「ヒーローには、ヒーローを」
「バ、バイドローン……」
魚人の紳士が告げた名前を反芻する。ユナイト・ガード同様聞き覚えがある。それも、さっき以上に記憶に引っかかりを感じる。確か……。
「悪の、組織」
「はい、私共は貴女様と同じ、悪の組織の一員でございます」
紳士はにこやかに笑いながら私を降ろし、慇懃な口調で言った。
バイドローン。それは、日本で活動する悪の組織の一つ。
未知のウィルスを発見した学者によって設立された研究所にて生まれた、新たな生命。それこそがバイドローンの中核となる、バイオ怪人であった。
自我を得たバイオ怪人は研究所を乗っ取り、悪の組織としての活動を開始し、瞬く間に勢力を拡大した。
目的、戦力の詳細は不明。世間に対しては徹底的に秘匿するのは悪の組織の常識だが(その割には我が組織はオープン過ぎる気がするが)、今までローゼンクロイツとも関係は無かった為、同じ悪の組織としてもほとんど情報が入って来ていない組織だ。風の噂で、ヒーローを退けたという話を聞いた位である。
そんなバイドローンに所属しているといったおそらくはバイオ怪人の一人、シンカーと名乗った紳士はどこからか取り出したステッキをカツンとコンクリートの床に着けた。
「エリザベート殿、助太刀に上がりました」
「お、おお? それは助かるが……」
モノクルをいじりながら言ったシンカーの言葉に、私は思わず首を傾げた。
悪の組織は基本的に商売敵だ。共闘することは無くは無いが、やはり自分の組織の利益を一番に考える利己的な面が目立つ。
だから、バイドローンが私を助けた理由がイマイチ分からない。
「何故……」
「貴様……バイドローン幹部、〝深海〟のシンカーだな!?」
私がシンカーに尋ねようとすると、それを遮ってユナイト・ガードの隊長がシンカーに対して問いかけた。
いつの間にかユナイト・ガードの隊員に囲まれている。私が落ちて、シンカーに救われて着地した地点まで一気に詰め、隙間の無い包囲を展開したようだった。凄まじい練度だ。
シンカーは隊長の問いかけにやれやれと首を振って答える。
「……えぇ、そうですよ。自己紹介したいところですが、そんな物騒な物を突き付けられてはねぇ……」
余裕綽々といった態度のシンカーは隊長の持った銃を流し見ながら言った。それに対し隊長はやはり銃口を向けながら告げる。
「我々は悪の組織として認定された存在を補足無しに抹殺出来る権限を与えられている。お前もその対象だ」
さっきから銃弾を容赦なく浴びせて来たので薄々分かっていたが、どうやら彼らは私たちを拘束するつもりが無いらしい。確実に葬るつもりのようだ。
流石にこの数、そして質。助けに来てくれたとはいえシンカー一人ではどうにもならないのではないだろうか? 予備のバッテリーすら使い果たした私は役に立たない。
絶体絶命な状況。しかしシンカーはステッキをクルクル回し笑って見せた。
「私たち悪の組織も同じですよ。誰であろうと抹殺するのに許可はいりません。……こんな風に」
そう言ってシンカーはステッキを再び工場の床に叩きつけた。コォンという音が鳴り、私の紫電であちこちが焼け焦げた廃工場内に響き渡る。
「何を……ッ!?」
警戒し、引き金を引こうとした隊長だったが咄嗟にその場を飛びのいた。前転し、先まで立っていた場所から離れる。一瞬遅れ、その場に緑色の何かがボトリと落ちて来た。
それは、緑色のスライムのようだった。人と同じくらいの大きさのそれは、うねうねと蠢いている。
隊長は叫んだ。
「上だッ!!」
その警句と同時に、天井からボトボトとスライムが連続して降って来た。ユナイト・ガードたちは応戦し、落下中のスライムへと銃弾を浴びせた。私に撃った物と同じ、爆発する銃弾。何体かのスライムは爆発を受けて四散し、弾け飛ぶ。しかしその内の半分程は爆発に耐え、工場床へと辿りついた。
スライムは床に落ちると蠢いて、その姿を変えていく。
「変形するぞッ!」
ユナイト・ガードの隊員がそう叫ぶと同時に、その首が飛んだ。
「!!」
頭を失った首から血を噴き出した死体はそのまま傾ぎ、力を失って床に倒れた。突然の人死に、流石の私も息を呑む。
この場における最初の殺人を行ったのは、クリーム色の毛皮を持つ二足歩行の獣だった。
六つ目をギョロリと動かし、黄ばんだ牙を剥き出しにして、新鮮な血に濡れた爪をだらりと垂らす怪人。ハイエナがそのまま直立したかのような姿をした怪人は、最初に落ちて来たスライムが姿を変えた存在だった。
最初のスライムだけじゃない。コンクリートに降り立ったスライムたちは、皆一様に姿を変える。
象牙を持ったライオンに、触手を蠢かせるピラニアに、牛の角を生やした大蜘蛛に。
降って来たスライムは、キメラの大群へと変じた。
「ギャオオオォォォ!!」
「ヒュロロロロロ!!」
キメラたちは各々の好きなように暴れ始め、ユナイト・ガードたちに襲いかかる。突然の出来事にさしものユナイト・ガードも混乱に陥った。銃弾を辺り一面に闇雲に散らし迎撃を試みる隊員や、背後から近づいて来るキメラに気付かず胴を食いちぎられる隊員など、戦線は崩壊状態だった。
しかし、流石と言うべきか。そこは怪人と戦う為に集められた人間たち。やはり常人の集まりでは無かった。
「A班は後退! B班はC班を守れ! D班は蜘蛛に集中、アレが一番強い!」
隊長が矢継ぎ早に指示を飛ばし、戦線を立てなおす。自身もライオンの攻撃を躱し、銃弾で反撃していた。そんな隊長の的確な指示に隊員たちは冷静さを取り戻し、指示通りに動き連携を回復する。やはり訓練の行き届いた精鋭たちだ。中でもあの隊長は一角の人物といっても過言ではない。判断能力はヒーロー級だ。
キメラたちは怪人程の強さはないようで、ユナイト・ガードは劣勢を逃れた。
「ふむ、やはり所詮は戦闘員クラスですね。訓練された部隊相手ではこんなものですか……」
「駄目だ、シンカー殿! ここにいるのはユナイト・ガードだけじゃない!」
私が隣のシンカーに向かってそう叫ぶと同時。ハイエナを弾き飛ばしこちらへと猛突進してくる一つの影が目に入った。
電磁スラスターで床スレスレを超低空飛行するビートショットだ。
『超電磁ソード、展開!』
重厚な装甲に包まれた身体で駆けるビートショットは生半可な妨害では止まらない。電気エネルギーを纏った剣を抜き、一目散に向かってくる。
狙いは、私ではなく、
『親玉を討って怪物共を止める!』
傍らのシンカー!
迫りくる群青の機械兵に、しかしシンカーは未だ余裕の態度を崩さない。
「シンカー殿!」
「問題ありません。目には目を、兵には兵を、そして」
トンを越える重量を持つビートショットを止められる人間はここにはいない。そう思っていた。私は元より、キメラたちやシンカーにもそんな並はずれたパワーがあるようには思えない。
だが次の瞬間にはビートショットは弾き飛ばされ、宙を舞った。
「え……?」
『何!?』
天高く上がった巨体に呆然とする私と、吹き飛ばされながら驚愕するビートショット。そんな私たちを余所にシンカーは微笑みを浮かべる。
「ヒーローには、ヒーローを」
ゴシャン! とビートショットが墜落する音にまぎれ、羽ばたきの音が工場内に微かに響く。
ふと見上げれば、そこにはさっきまで居なかった新たな乱入者があった。
まず目に付いたのは、背中から生えた稲穂色の双翼。一枚で人の身を覆うには十分であろう翼をはためかせ、空に舞う姿。
翼とほとんど同じ色である黄金色の長髪を風にたなびかせ、怜悧な鳶色の瞳で眼下の光景を冷たく見下ろしている。年齢は、中学生か高校生ぐらいの顔立ちだ。
身を包むは黒いドレス。しかし丈は短く、ミニスカートといって差し支えない。黒地を基調として髪と同色のフリルを要所に付けたコスチュームは、配色の大人っぽさと反するようにどこか可愛らしいデザインだった。
そしてそんな美しいドレスとは裏腹に、首には機械らしさを感じさせる銀の首輪が嵌っていた。全体的な出で立ちの中で異質な唯一統一感に欠けるパーツだ。
フリルの付いたコスチュームを着こむ、超常の存在。
彼女を一言で言うならば、そう。
「黒い、魔法少女……」
翼を羽ばたかせながらビートショットを見下ろす目は、あくまで冷徹な輝きを帯びていた。




