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「ではようこそ。秘密結社ローゼンクロイツへ」





 玄関先でお父さんとお母さんと別れの挨拶を交わす。


「百合、食べ物には気をつけるのよ」

「お、お母さん……」


 昔は泣き虫だった百合はお母さんと手を握り合い目を潤ませている。このまましばらく会えなくなるのが寂しいのだろう。

 それはそれとして、どこか落ち着きが無い。握られた手を気にしているようだが、もしかして先程お母さんの怪力を教えた影響だろうか。だとすればお母さんの腕力は若い頃の暴走を経て既に制御は完璧なのだが、それを耳打ちするような空気でもない。感動の別れのシーンであることは確かなのだから。


 一方で私はお父さんと拳を合わせる。


紅葉(あかは)家の家訓。ゆめゆめ忘れるな」

「分かっているよ。お父さん」


 私とお父さんの別れは、これでいい。お互い感情を露わにして悲しむタイプでもない。しかし心は確実に交わしているのだ。

 瞬きを用いたモールス信号で。


(ヤクトはチョロい。陥落はほぼ完了した。ローゼンクロイツの内部崩壊のプランは捨てていないけれど、しばらくは百合に危険はないと思う)

(油断するな。人の心を百パーセント把握することなど神にも出来ない。内部崩壊プランは保持しておけ。無論黒騎士に気付かれずにな)


 背後で待機しているヤクトの目を気にして、秘密の通信を交わしている。だが話す事はまだ多くない。全てはこれから始まるのだから。


「じゃあ、お父さんお母さん」

「行ってきます!」


 手を振り、用意された車に向かう私たち。

 そう、ヤクトが送迎用に用意したのは一般的な車だった。

 しかも、トラックである。おかげで荷物は楽々積めたが、座席は手狭である。更に運転手はヤクトである。騎士甲冑の男がハンドルを握っている姿はかなりシュールだ。

 エンジンを始動し、走り出すトラック。窓から顔を出し、両親に手を振る。

 お父さんお母さんも手を振り、私たちを見送ってくれた。

 お互いに見えなくなるまで、ずっと、ずっと。






 ◇ ◇ ◇






 移動手段が車ということは、つまりローゼンクロイツの本拠地は車で行ける距離ということだ。それ自体は予め予想していた。ローゼンクロイツの活動地域は日本が主だ。稀に外国が標的となることもあるが、それでもローゼンクロイツの仕業と目される案件の八割は日本で発生している。

 だから車で行ける地続きの場所であることは分かっていたのだが……。


「近っ」


 そう、本拠地は私たちの暮らしていた街から高速に乗って二時間ほどの場所だった。いや近過ぎでしょ。県一つぐらいしか跨いでない。日帰り旅行じゃないんだからさ。

 しかし呆れている私とは正反対に、妹は息を飲んでいた。


「これが、秘密結社本拠の入口……」


 私たちがヤクトに案内された場所は、自然公園の一角だった。

 緑の草木に囲まれた平地の一部が、こんもりと盛り上がり丘になっている。そして一部が抉られ小さな崖となり、そこには金属製の壁と扉が設置されていた。

 下げられた立ち入り禁止の看板。金網で囲まれた室外機が傍にあることもあり、一般人は公園を管理する施設があると考えと近寄らないだろう。

 しかし分かる者には分かる……扉には小さくローゼンクロイツのエンブレムが刻まれていた。


「ここが、正面入り口かヤクト君」

「いえ、裏口のようなものです。正門扱いされるのは、向こう」


 ヤクトがそう言って指さしたのは、自然公園から見える高層ビル。


「あのビルはカモフラージュ企業です。地下には組織の施設が広がり、そしてこの公園の出入り口とも繋がっています」

「成程、ね」

「……? なんで正門から入んないんですか?」


 百合が首を傾げる。頬に指を当て小さく首を傾ける仕草は狙ったものではない筈だが、あざといという感想が先行せざるをえない映像だった。だけど可愛い。

 可愛さに悶えている私の代わりに、ヤクトが説明する。


「総統閣下。閣下にはこれから組織全体に向けた演説をしていただきます」

「うえぇ!? いきなりですか!?」

「勿論、ぶっつけ本番で可能だとは考えていません。そこで原稿を書く時間と、練習する時間を設けます。それまでは組織の人間に姿を見られる訳にはいかないので、こうして裏口から進入するという訳です」

「あ、ああ成程。よかった~、ぶっつけじゃなくて」


 ほっと息を吐く百合。

 そんな百合を尻目にヤクトは手にした鍵で扉を開いた。


「ではようこそ。秘密結社ローゼンクロイツへ」


 こうして我々は悪の組織へと足を踏み入れた。






 長く薄暗い階段を降ると、やはり鉄製の扉が現れる。

 今度は鍵も無くヤクトが開けると、その先には長い廊下が広がっていた。


「誰もいませんね。それでは練習する為の個室へ行きましょう」

「確認するが、この施設の広さは?」

「何分地下ですから、正確なところはなんとも……今も増設を繰り返しているくらいです」

「では最低でもどれくらいある?」

「東京ドーム二個分はあります」

「成程」


 私に対するヤクトの口調は段々砕けて来ている。いい兆候だ。信頼を得られれば扱いやすくなるからな。

 ヤクトに先導された私たちはとある一室へ入った。扉には第三事務室と書かれている。

 部屋の内部は雑多な機械が置かれた部屋というのが第一印象だった。壁などにはインテリアなどは飾られておらず、唯一ローゼンクロイツのエンブレムが書かれた旗が飾られているだけだ。

 それに対して、作業に必要な機械は山ほどある。パソコン、プリンター……ワープロもあった。流石に何年も使われていないようだが。

 それ以外にも本棚にはぎっしりと分厚い装丁の本が詰まっているし、原稿用紙がどっさりと積まれている。何万枚あるんだろうか。

 一目で分かった。ここは歴代総統が原稿を書く為の部屋だ。


「えっと……」

「ここで原稿を仕上げていただきます。練習もこの場で。防音設備は完備しているので外に声が漏れる心配はありません」


 困惑する妹にヤクトが説明する。やはり私の想像通りで正しかったようだ。

 だが、原稿を書く必要はない。


「ヤクト君。原稿は本人が書いたものである必要はあるのかい?」

「いえ、その必要はありません。しかし総統の方針を発表していただく必要がある為こちらで用意することは出来ません。なので新総統閣下ご本人に書いていただく必要がある訳ですね」

「ならば、私が書いたものでも問題ないと」

「……しかしそれは、総統閣下のご意思に沿うものですか?」

「本人が認めれば、いいだろう」


 私は、手持ちのリュックサックから原稿を取り出し、妹に手渡した。


「え、予め書いて来てたの!?」

「ああ、一応ね。書いて来て正解だったみたいだけど」

「相談したの昨日だよね?」

「流石に徹夜したよ」


 紙の束を受け取った百合は、内容を流し見る。成績優秀な我が妹は速読が得意だ。この程度の量の読み物は数秒もかかるまい。

 読み終えた百合は苦い顔をした。


「これ……言わなきゃ駄目?」


 どうやら内容に納得がいかなかったようだ。それでも読めと言おうと思ったが、背後のヤクトの面頬の奥が光った気がした。そうだった、演説の内容は総統の方針に沿わなきゃ駄目だったか。

 私は百合を説得した。


「百合……別に書いてあることは百合の考えとは逸脱していないでしょう?」

「でも……なんか物騒な口調だし……」

「それは仕方ないよ。悪の組織だし。でも百合の良心を咎める内容ではないよね? 多少の口調の違いなんて演説の時と普段は違うってみんな理解してくれるって」

「そうかなぁ……」


 自信なさげに首を傾げる百合。私は畳みかけた。


「そうだよ。一番最初なんだから、インパクト重視であるべきなんだよ。だからさ、ここに書いてある通りに読んだ方がいいとお姉ちゃん思うんだよ。それにほら、新しく原稿用意しなくてもいいんだよ? すぐに演説の練習を始められる。練習時間もいっぱい取れる。ヤクト君、演説までの時間は?」

「十二時の予定です。後三時間ですね」

「ほら! 元々無茶なスケジュールなんだよ思った通り。だからさ、この原稿で妥協しちゃいなよ。後の事は私がうまくやるからさ」

「う、うぅ~ん……」


 唸って思考する妹。ここまでくれば言いくるめは成功したも同然だ。私は止めを刺す。


「それに百合、パソコン苦手でしょう? 原稿用紙もここにはあるけど、手での執筆は時間もかかるし……ほら、昔みたいにパソコン壊しちゃうよ」

「うっ……それは、やだけど……」


 百合は電子機器はあまり得意じゃない。いや触れれば煙を上げるとかそういうレベルでは無いのだけれど、ふとしたきっかけでうっかり壊してしまうことがある。だから操作を理解できないというよりも、電子機器との相性が悪いのだろう。百合はそれが軽いトラウマになっている。そこを突くのは姉として少し気が引けたけど、この原稿を通すのは今後のためにも必須だ。

 かくして私の言葉に百合は……頷いた。


「分かった、これを読む」

「よしよし、いい子だいい子」


 私は百合の頭をぐりぐりと撫でてあげる。こんな事をするのは久しぶりだ。思春期に入ってからは流石に天使な百合といえども嫌がったからだ。だけど私はついやってしまった。

 百合の反応は……大丈夫だ。喜んでいる。セーフ。

 私は百合の頭から手を放して本題に戻す。


「さ、練習しましょう!」


 こうして百合は私の原稿を演説することとなった。


「……本当に大丈夫かなぁ」


 不安そうな百合の言葉。心変わりする前にさっさとリハーサルの勢いで押し切ってしまおう。






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