「浅い脅しだな。それで従う怪人は半々だろう」
偶然見かけたロランジェの背中を追って追跡を開始した私たち。だがそれは、中々に困難な作業だった。
「あれ、どこだ!?」
「向こうだ!」
「あんなところに!? くっ、気を抜けば見失いそうになる……!」
市場を当てもなくフラフラと見て回っているようにしか見えないロランジェ。だがいざ追跡を開始してみると、とても追いづらかった。
すぐ人混みに紛れて見失いそうになるし、如何なる仕掛けか気付けばまったく別の場所に移動していたりする。一見は普通に歩いているようにしか見えないのに、まるで幻を追っているかのように捉えづらい。これが怪盗、ということなのだろうか。
ヘルガーの五感が鋭いからなんとか見失わずに済んでいるが、私だけなら五回は逃がしていた。
「私たちの追跡には気付いているか?」
「いや、そんな様子はないな……本当にただ観光を楽しんでいるだけに見える」
ヘルガーが唸る。確かに私の目から見ても、ロランジェは市場を見て歩いているだけで何かを警戒している素振りすら見せない。追われている自覚がないのだろうか。
だがそれはこちらにとって好都合だ。
「なんとか追って、アジトを突き止められれば……」
ここで捕まえようとは思わない。私たち二人では人手不足だし、捕縛用の装備もなかった。だがこのまま追跡を続け、ロランジェが寝泊まりしている場所さえ突き止められれば次へ繋げることが出来る。だから何としても、それまでこの追跡を続けたい。
その一心で私たちは蜃気楼のように捉えどころの無いロランジェの背中を必死に追った。視線の先では、露店に並べられた品を見て童女のようにはしゃぐロランジェの笑顔があった。
「人の気も知らないで……」
物見遊山を楽しんでやがる。誰の所為でガイアフロートが危機に陥っているのか知らないのだろうか。
そんな風に苛つきながら追跡を続行していると、ヘルガーが訝しげに鼻を鳴らした。
「ん、妙だな……」
「なんだ?」
「いや、何となく、空気が……」
スンスンと鼻を鳴らし、辺りを警戒する仕草を見せるヘルガー。だが上手くいっていないようで、眉を顰めている。
「クソ、よく分からん」
「怪人の気配がこうも多くては、ヘルガーの鼻も利きづらいか……」
「その通りだ」
「っ!?」
突如、私の耳元で低い声が囁かれる。
咄嗟に腰元に用意した護身用(という名目で持ち込んだ)サーベルを引き抜こうとするが、それよりも早く背中に当てられた固い感触に、手を止めざるを得なかった。何か、銃口のような物を当てられている。肩越しに背後を見ると、黒い服に身を包んだ特徴の無い男が立っていた。
「……いつ、の間に」
「お前が今言ったとおり、怪人ばかりのこの島では怪しい気配を捉えづらい、という訳だ」
隣のヘルガーも背後に黒服がいる。私と同じように何か当てられているのだろう。今から抵抗しても先にやられる。私は観念して、目立ちすぎないよう小さく手を挙げた。
「やれやれ、何者だ?」
「名乗る必要があると思うのか?」
「まぁ、それはそうだな……」
所属は明かさない、か。向こうの完全優位だものな。
固い感触がグッと押し当てられる。
「こちらについて来い」
「だが……」
チラリとロランジェを見た。今従えば折角見つけた背中を見失ってしまう。しかしこの状況では……。
結局、私は折れた。
「分かった……」
「来い」
男たちの誘導に従い人気のない場所に入っていく。銃口は当てられたままで、逃げ出せそうもない。
やがて辿り着いたのは路地裏にある廃ビルだった。内部へと連れられた私たちは、中でようやく解放される。入り口は黒服で固められて、脱出は出来なそうだが。
「奥へ行け」
黒服の一人が部屋の奥にある扉へ促す。私とヘルガーは目配せし合い、一先ずは従うことにした。ヘルガーが扉を開け、入室する。
そこは変わらず廃屋で、しかしテーブルと椅子があった。その奥側に、誰かが既に座っている。だが明かりが罅割れた壁から差し込む陽光くらいしか無い為、人相はよく見えない。
「よく来てくれた。歓迎するよ」
声は男の物だった。私とヘルガーは警戒しつつ、椅子へと座った。
ふんぞり返って、男の言葉に答える。
「その割りには随分手荒な歓迎だったがな」
「申し訳無い。だがこの島においては穏便な方ではないか?」
「それは言えてる」
私は肩を竦めた。悪人ばかりのこの島では、あんな脅しもマイルドな方に入るか。
「で……何用だ。というのも、まぁ見当はついてるが」
「ほう?」
「大方目的は同じだろう。……ロランジェを追っている、な」
隣のヘルガーが片眉をピクリと持ち上げた。
「つまり?」
「さっき店主が言っただろう。私の前に三人程聞き込みに来たと。その誰かということだ」
ロランジェを追っている中での出来事だ。私たちがガイアフロートに来て行なったリアクションがそのくらいなのだから、見当はつく。となるとそれを察知出来るのは、情報で私たちの先を行く誰か――即ち、既に先んじて聞き込みを行なっていた三者の誰かという訳だ。
「だがそれにしても早すぎるだろ、いくらなんでも」
「それは、多分こうじゃないか? ……『もし自分と同じようなことを後から聞いてきた連中を教えてくれれば、更に謝礼を出すぞ』とかね」
「あの店主、グルかよ……」
まぁ、そのくらいは予想出来る。だってこの島に来ている時点で、全員悪人だしな。
「フッ、流石の慧眼……と、この程度でお褒めするのは逆に失礼に当たるかな」
男がパチパチと気のない拍手を叩く。余裕たっぷり。こりゃ結構な大組織の上役だな。
「それで? 何をするつもりだ」
私は鼻を鳴らし、話の続きを促した。
「ロランジェを追うのはやめろ、か? それとも掴んでいる情報を寄越せ、か? 生憎、どちらも聞けない相談だね」
「そうかね? 我々と君たちとでは、圧倒的な武力の差があると思うがね」
扉越しにガシャガシャというが聞こえる。やれやれ、ここの会話は筒抜けか。もったいぶって奥に案内した意味が無い。
「浅い脅しだな。それで従う怪人は半々だろう」
「確かにそうだ。悪の組織は反骨精神がある輩が多いからな……」
暗闇の中で男が溜息をついた気配を感じる。そんな奴らを山ほど見てきたという呆れだ。
「だが全員とは限らない。その一縷の望みに私は賭けるだけさ。……君たち、我らが傘下に入りなよ」
「……そう来たか」
男は本題を切り出した。求めるは……従属。下につけということだ。
「勿論、君らの組織ごとという訳では無い。この一件……ロランジェの捜査についてだけ、私たちの元に加われという話だ」
「具体的には?」
「情報の共有だ。指示も出そう」
……明け透けだな。流石のヘルガーも意図が分かったらしい。椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
「つまりこっちからは情報を取り上げて、そっちからは渡すかは気まぐれってことだろう!? それでいて命令もする……手足になりやがれってことじゃねぇか!」
男の言っていることの裏を要約すれば、そういうことだった。情報の共有とは謳っているが、要はこちらには得た情報を差し出すように迫り、向こうからは出すも出さないもあちらの気分次第ということ。上下関係のある情報共有とはそういう物だ。それに加えて指示……まぁ、命令だ。奴らは私たちを末端の構成員として雇いたいらしい。ローゼンクロイツ摂政が舐められたものだ。
「悪い話ではないだろう。現に君らは、何も出来ずここまで連れてこられた。それだけの力の差がある」
「痛いところを突くね……」
そんな舐めた態度が許されるのは、圧倒的な力の差があるからだ。
そう……力の差。それがあれば、全てが許される。
「だったら、見せつけようじゃないか」
「……何?」
男が訝しげな声を上げた瞬間、私の背後の扉がギィと開いた。
「何だ? 命令があるまで入るなと命じた筈だぞ」
部屋の前で待機する黒服たちには、そう命じていたのだろう。だから命令もなく扉を開けた馬鹿者を咎めるべく男は言った。
しかしそれに従うのは、黒服ならば……の話だ。
「ええ、その命令はよく聞いていましたよ。まぁ……聞いていただけですが」
「!? 何者だ!?」
扉の向こうから姿を現わしたのは、黒服ではなかった。金髪で、糸目の美青年だ。男は見覚えがないだろう。だが私とヘルガーはそれが誰か、知っている。
「遅かったなコンラッド」
「申し訳ありません、摂政様。静かに倒すのに手間取りました」
慇懃に頭を下げるコンラッド。一方で男は狼狽している。
今度は私が余裕たっぷりに告げた。
「さて……話を続けようか?」




