「お前と違って世渡り上手なのさ、ヘルガー」
そこに降りたってまず感じたのは、爽やかな潮風の香りだった。ついで陽射しの暑さと、人々の喧噪。やたらと賑やかなのはここが空港であるのもそうだが、この地自体の注目度が高い所為だろうな。
「やれやれ、はぐれたらすぐ迷子になってしまいそうだな」
「フラフラすんなよ。治安はいつも俺たちがいるトコより遥かに悪いからな」
「悪の組織が治安を気にするのも変な話だがね……ま、分かってるさ。案内頼むよ、ヘルガー」
私は肩を竦め、人に化けたヘルガーの言葉に頷いた。
そうこうしていると、人混みの中から一人の人間がこちらに向かって進み出てくる。
「お待ちしておりました、摂政様」
そう言って歩み出てきたのは慇懃な態度をした金髪の青年だった。長身痩躯。糸目に細められた目付きはまるで常に笑みを浮かべているかのようで柔和な印象を受ける。青年は私たちの前まで来ると頭を低く下げた。
「お越しくださりありがとうございます。この度は我々の不徳が致すところ……」
「いや、いい。そういうのは面倒だ。省いてくれ」
急につらつらと述べられて私は少しウンザリした気分になってしまった。こちとら長い空の旅で疲れているのだ。多少無礼でも面倒くさいのは省略してくれた方が助かる。
「相変わらず上にはおべっかを使ってるのな」
そう明け透けな口調で青年に語りかけたのは隣のヘルガーだった。姿勢を低くする青年を見下ろし呆れた表情をしている。
その言葉に青年は顔を上げ、打って変わって愉快そうに口角を持ち上げた。
「お前と違って世渡り上手なのさ、ヘルガー」
「よく言う。仮にも本部にいる俺とこんな辺境の支部へ飛ばされたお前じゃ格が違うだろ」
「大山の子分より小山の大将ってね。快適だよ支部長というのは。お前もやってみたらどうだ?」
「生憎、頭を使うのは他に任せているんでね」
ヘルガーと青年は気さくに言葉を交わし合う。まるで数年来の友人のように。いやまるで、ではなく、本当にそうなのだ。
勝手に盛り上がる二人へ私は咳払いする。
「コホン。……面倒はなしでいいとは言ったが無視しても良いとは言ってないぞ。それに自己紹介もまだだ」
「ああっと、申し訳ありません。では改めまして……」
青年はわざとらしく頭を打った後、私へ向き直って再び礼をした。
「私はこの地域の支部長を務めさせていただいているコンラッドと申す者です。ようこそ――ガイアフロートへ」
私は青年改め支部長コンラッドと手を結び、その歓迎を受ける。
ガイアフロート。それが私が新しく踏みしめた大地の名だった。
誰かが言った。『悪の組織の国を作ろう』と。
悪の組織とは法律やヒーローに抑圧される定めにあるものである。だがそのほとんどは悪を為すことそのものを望んでいる訳ではない。中には社会と相容れない主義主張、種族であるが為に戦い続ける者たちもいた。そういった悪の組織たちは戦い続ける生活を疎み、自治可能な国を求めた。そしてその理念に数十の悪の組織が呼応する。悪の組織のみが持ちうる超技術や素材、怪人という人足によって、それは規模から考えるにはあまりに短い時間に実現した。
そうして建造されたのがこのガイアフロート……つまり、動く島だ。
海上に浮かんだ島は小国ならばすっぽりと入ってしまうほど巨大だが、船のように移動可能だった。常に大洋を動き回り、他の国々に捕捉されない為だ。絶えず移動を繰り返す巨大人工島……それがガイアフロート。
世界の国々から逃れた悪の組織の理想郷とも言えるそこに、ローゼンクロイツもまた支部を作っていた。
「ここから眺める景色は平和なもんだ」
車での移動中、ヘルガーが窓の景色を眺めながらそんなことを呟いた。ヘルガーの言う通り、海に沿うような街並みはほどほどに発展した島国という様子で、平和そのものだ。
しかしハンドルを握るコンラッドはミラー越しに苦い表情を浮かべた。
「そりゃ、表向きは安全協定が結ばれているからな。都市部はガイアフロートの生命線。万が一港や空港に被害が及ぶようなことがあればそこで機能が麻痺してしまう。だから大規模な破壊が行えるような武器や兵器は持ち込み禁止。ヘルガーお前も、そして摂政様も入念な検査がされたでしょう」
「そうだな」
コンラッドの問いに私は頷いた。彼の言う通り、持ち物検査は厳重だった。悪の組織が蔓延るだけあって銃刀法などという温い法律は存在しない。だが大規模な破壊が可能な兵器――爆弾や大砲などはその持ち込みを制限されていた。これは法律ではなく悪の組織同士が結んだ安全協定によるものである。
「だからこそ、内蔵兵器の私や肉体そのものが武器であるヘルガーたちがやってきたのだから」
しかしそれも抜け道がある。私のように兵器を内蔵するタイプや変身するタイプなどは、スルーされることが多いのだ。あくまで法律ではなく安全協定による規制である為、強制力が低いからである。なのでそういった者たちなら強力な武力をガイアフロートへ持ち込める。
私は背後に続く別の車をチラリと見ながら、コンラッドに向かって溜息をついた。
「ま、それは他の組織も同じだろうが」
「ですね。なので安全協定は実際には暗黙の了解程度にしか作用してしません。そこらで怪人が暴れ放題ですよ。昨日なんかは食い逃げ騒ぎで三つの頭を持つキマイラ怪人が大暴走して、コランダムゴーレムの集団に鎮圧されるなんて事態になってました」
「どんちゃん騒ぎだな。退屈しなさそうだ」
「なるほど、歴戦を潜り抜けてきたと噂の摂政様にとってはそんな程度の話ですか。流石です。確かに、悪の組織が密集しているこの島においてはまだ平和なイベントでしょう。日常茶飯事という奴ですね」
私の呑気な感想にコンラッドが苦笑する。この島の支部を預かる彼にとっては、頭が痛い問題なのだろう。
しかし実際その程度は、この島においては毎日のように発生するような問題である。言ってしまえばいつも通り。ならば支部を預かる彼の裁量でどうにかすべき日常だ。わざわざ私たちを呼び立てる必要はない。
「ですが……そんな平和を破ろうとする連中が出てきました」
つまり私たちが呼ばれたのは、それ以上のことが起ころうとしているからである。
さて、複数の悪の組織によって自分たちだけの国として作られたガイアフロートだが、問題はその後だ。
果たして悪の組織が仲良く手を結んで自治できるのか?
答えは否だ。悪の組織たちはすぐ仲違いし、互いに支配権を競って争い始めた。社会と相容れない者たちが、簡単に他者と相容れられる訳がないのである。
以来ガイアフロートは慢性的な戦争状態に置かれた。ローゼンクロイツなどはガイアフロート戦線とも呼んでいる。いくつもの悪の組織が潰れては新たに流入し、決して終わることはないかと思われた。
だがその状況が数年前一変する。その当時有力であった悪の組織たちの手によって安全協定が結ばれたのだ。それは既に十分な領地を保持していた組織たちが勝ちを逃さない為に結んだものとも言えたが、終わりの見えない争いがずっと続くよりかはマシだった。それ以降ガイアフロートは、平和な時間を過ごしている。犯罪行為や小競り合いは絶えないが、悪の組織がひしめき合っている場所として考えれば驚くほど平穏だった。
だがその平和を、打ち破ろうと暗躍する者が出てきた。
「確かなんだな? この島に――ヒーローが潜入してきたとうのは」
悪の組織を乱すのは。
いつだってヒーローだった。




