『……ハッ、難儀だな。ヒーローになると降参も出来なくて』
「なっ……!」
巨大な樹木の幹が如き氷柱が、まるでレンジにかけられたように溶けていくその様は私たちに大きな衝撃を与えました。あれはただの氷ではありません。レイスロットの魔法で作られた氷なのです。それがあんなにあっさりと。それは難攻不落の城が崩落していく様子にも通じていました。しばし呆然としてしまう私たちでしたが、すぐにショックから立ち直って、コテージ内部の監視カメラへ目を向けました。
中では二人の男が対峙していました。本来のこのコテージの主たるグレンゴ一家の怪人ではありません。それを征服したレイスロットと、もう一人。
オレンジの鱗に覆われたトカゲの顔面。体躯は逞しく戦場を生き抜いてきた男のそれ。見紛う筈も無い、裏切りの姿。クリメイションでした。
『ははは! 全員やられちまったのか、グレンゴ一家さんよぉ』
クリメイションは累々と転がるグレンゴ一家の怪人たちを見て笑い飛ばしました。牙の生え揃った口が凶悪に歪みます。その足元近くには溶けた大穴が。そしてそこから出る際に強力な熱波を放ったのか、周囲は少し焼け焦げていました。恐らくは氷柱を溶かしたものでしょう。
一方でレイスロットはその熱波を魔法陣の盾でやり過ごし、唐突に現われた新手に鋭い眼差しを向けていました。
『……何者ですか?』
刃の如き警戒心を受けても、クリメイションは涼しい顔です。
『そこに転がっている奴らに雇われた者、って言っておこうか』
ヒーローを前にしてクリメイションは余裕の態度でした。周囲の状況からして幾人もの怪人を前に圧勝したことに、気付いている上で。
そんなクリメイションの程近いところに倒れていた怪人が、意識を取り戻しました。
『ぐっ、うっ……く、クリメイションか』
グレンゴ一家の生き残りは縋るようにクリメイションを見上げます。
『お、お前の出番だ。奴を……レイスロットを倒せ。報酬は当然、追加する……』
『おう、承った。しかもその上、追加報酬は無しでいいぜ』
『何……?』
『もうお前らとは手を切るからな』
言い放つや否や、クリメイションは掌を下へ、蹲う怪人へ向けました。
そして、そこから紅蓮の炎を吹き付けたのです。
『が!? がああぁっ!!?』
炎は怪人の身体を容赦無く飲み込み、燃え盛りました。その様はかつての私の仲間、その最期を彷彿とさせます。胸が悪くなるのを感じながらも、その後の動勢を見守るべくモニターを注視します。
唐突に裏切ったクリメイションを見てレイスロットが顔を顰めました。
『なんてことを……仲間だったのでは無いのですか?』
『んな訳。俺は単なる雇われ。そして』
クリメイションが炎に巻かれる怪人を踏みつけると、既にほぼ炭化していたのかそれはあっさりと崩れました。物言わぬ煤の塊となったそれをブーツの底で踏み躙り、クリメイションは溜息ともつかない言葉を返します。
『用の無くなった奴らからは全部掠め取る。弱肉強食の常識だろ?』
……クリメイションは、あの時からまったく変わっていないようでした。改造だけ受けてローゼンクロイツを裏切った、あの瞬間から。
『さて、後はアンタを倒せばコイツらのもんは全部俺の物だ』
『させる訳がないでしょう』
この残忍な怪人のことを放置できない新たな脅威と認めて、レイスロットが改めてレイピアを構え直します。クリメイションもまた両掌に橙の炎をちらつかせ、戦闘態勢に入りました。
両者の緊張が高まり、空気が張り詰めます。
そして戦闘に耐えかねたコテージの一角が崩れ落ちたことを合図に、二人は弾かれたように動き出しました。
まずはレイスロットの刃がクリメイションの喉元へ迫りました。そのままなら急所を貫かれる致命の一撃。それに対しクリメイションは慌てること無く悠々と炎を盾としました。
レイスロットのレイピアは普通の鉄より遥かに硬いですが、魔法によって生み出された氷で出来ています。炎に突き刺さったその切っ先は、飲み込まれるように溶けて消えてしまいました。
『っ!』
『ハッハァッ!』
息を呑むレイスロットと、勢いづくクリメイション。
攻守が交代し、今度はクリメイションが攻め立てます。
『オラオラァッ!!』
両腕に発生させた炎をボールのように投げつけ、得物を失って一旦距離を取ったレイスロットを追撃します。レイスロットは氷の盾を作り出し火球を受け止めましたが、熱に負けた氷盾がすぐに砕けてしまった所為で弾ける炎の全てを防ぐことは敵わず、純白の装束をいくらか焼き焦がしました。
『くっ、これは!』
レイスロットと見ている私たちの脳裏には同じ言葉が浮かんでいたことでしょう。
――天敵。
氷の魔法を主に扱うレイスロットと炎を操るクリメイションの相性は、端から見ても最悪でした。
クリメイションもまた、その凶悪な顔を嗜虐的に歪めます。
『どうしたぁ、ヒーローさんよぉ? 俺を止めるんじゃ無いのかぁ?』
そう煽るように言うと、掌に発生した炎の形を変えました。細長い縄状の、武器に例えるなら鞭のような形状へ。それを見て私たちは確信します。やはりクリメイションは、炎の形質を変化させる技を身につけたのだと。
クリメイションは炎の鞭を大上段から振り下ろしました。
『くっ!』
レイスロットが選んだのは回避。もう受け止めようとは考えていないようでした。受けてもまた溶かされるからでしょう。妥当です。ですが……
『ハッハァッ!』
クリメイションは炎の鞭をカウボーイめいてしならせ、避けるレイスロットを追い立てます。奔る鋭い音。打たれる度に床には惨たらしい焦げ痕が刻まれました。コテージという狭い空間では躱すにも限界があり、レイスロットは次第に追い詰められていきます。
『っ、はぁっ!』
そしてついに避けきれなくなった鞭を、レイスロットは氷の剣で迎撃します。一見細く見える鞭を断ち切らんと迫る刃は、しかし振れた瞬間にあっさりと溶かされ蒸発しました。
そのまま鞭は、レイスロットの肩を強かに打ち据えました。
『ぐあああっ!!』
『ほう、存外丈夫と見える。普通なら溶けて真っ二つだったぞ』
感心したように呟くクリメイションですが、レイスロットの被害は甚大でした。白い貴公子風の装束は黒く焦がされ、その下に見える肌は赤く爛れて火傷しています。痛烈なダメージ。それは端正な顔に流れる冷や汗から見ても明らかでした。
『ぐ、うううぅ……』
そのままレイスロットは膝を突いてしまいました。クリメイションの炎から伝わる熱は見た目以上にその身を苛んでいるようです。
最早息も絶え絶えな様子の青年を見据え、クリメイションはその歯列を剥き出しにして嗤いました。
『ククク。もう立ち上がることも出来ねぇだろ。なんだったら降参したっていいんだぜ?』
ニヤニヤ笑いながらそう告げるクリメイションへのレイスロットの返事は、鋭い睨み付けと氷の短剣でした。短剣は真っ直ぐと、至近距離にある顔面へ向かって飛びます。
『……ハッ、難儀だな。ヒーローになると降参も出来なくて』
しかし短剣はその途中で炎に巻かれ、蒸発して消えてしまいました。
『だったら望み通り焼き殺してやるよぉ!!』
『ぐ、があああああっ!!!』
嗜虐の表情を浮かべたクリメイションの腕から放たれる炎が、レイスロットの全身を包みました。火達磨になったレイスロットはゴロゴロと床をのたうち回り、破壊されたコテージの壁から外へと転がり落ちていきました。
『フン。これで邪魔者は消えたな』
そう鼻を鳴らしクリメイションは、残されたグレンゴ一家の死体を漁り始めました。
「何をしているんだ?」
背後のコールスローが呟きます。ですが、私にはおおよその見当が付いていました。
「……最悪です」
それは考えたくも無い、とても嫌な想像でした。しかし、大当たりでしょう。
『お、あったあった』
そしてクリメイションはそれを見つけ出します。古びたアクセサリーめいた、それは……
『悪魔召喚の儀式を行なう鍵だ』
グレンゴ一家の計画に必要なパーツでした。
つまりクリメイションは、
「悪魔召喚を、続行しようとしています……!」
最悪の野望が、最悪な輩へと渡った瞬間でした。




