「餌やりです」
研究所内は医療機関を彷彿とさせる、清潔感のある白い壁や床に覆われていた。真っ白な廊下は埃一つ無い。掃除だけでなく警備も万全で、通り過ぎるだけでいくつもの電子セキュリティの存在が確認できた。コソ泥どころかネズミ一匹許さないという気迫を感じる。
「すごいですね。民間でこれほどの設備とは」
「えぇ。それだけウチに期待を掛けているスポンサーが多いということです」
白井さんの先導で俺たちは研究所内を歩く。その間、すれ違う研究員たちの好機の目線を浴び続けていた。見慣れぬ、しかも白衣も着ていない俺たちは非常に目立つ。物珍しさが勝つのだろう。
しかし、その中には好意的で無い物も混ざっていた。
「あれって……」
「あぁ、ブラックエクスプレスの件で……」
「殺人事件の……」
ヒソヒソと囁き合う声が届く。その内容に俺は眉を顰めた。
狛來は悪い意味で有名になりすぎた。ユナイト・ガードが実名を公開して探していた所為だ。更に相当な期間、ユナイト・ガードと悪の組織両方から逃げ延びたということも悪く作用している。既に菖蒲狛來という名は、ブラックエクスプレス死傷事件を起こし逃亡した危険人物として広まってしまっていた。
話を聞いてしまった狛來の顔が曇る。まったく、内緒話はこちらに聞こえない場所でやってほしい。
俺はフォローすべく話しかける。
「狛來。嫌なら外で待機も出来るぞ」
「……いえ、大丈夫です」
しかし狛來は首を横に振った。しまったな。聞き方を間違えた。これじゃこの子は頷かない。
クラスメイトを誤って死なせてしまった過去を、狛來は悔いている。その件で自分が責められることも受け入れていた。人を殺めてしまった自分には、当然のことだと。そうして自罰して生き続けることが、相応しいと。
誰かを助けたいと心から願った。故にこそ、彼女は己の罪を受け入れ続け、耐え続ける。その幼き身では辛いであろう、呵責無き声たちを。
……見ていて気分が良いものじゃない。鋭い言葉が冷たい目線が、どれだけ彼女を傷つけているかが表情だけで分かる。心が流す見えない血は、今もドクドクと溢れているのだろう。だからこそ、アイツは……エリザは、狛來をローゼンクロイツに誘おうとしていたのだ。
例え悪に属していても、悪を為したとしても、心から笑えたっていい。
それが、エリザが抱いている今の信念だ。
百合を始めとする悪に為らざるを得なかった者。悪としてしか救われなかった者。それらが幸せに暮らすことを、あの姉バカ摂政は実現しようとしている。
社会から見て、良いことではない。罪は罰されるべきだ。倫理から見ても、良くない。悪行は償われるべきだ。
それでもそんな勧善懲悪に唾を吐き、悪を堂々と救うのがエリザベート・ブリッツという幹部だった。
「………」
今の狛來を見ていると、やはりローゼンクロイツに行っていた方が幸せになれていたんじゃないかと思ってしまう。
向こうでなら、人を殺めてしまったことで陰口を叩かれる心配も無い。周りはもっと悪事をこなしているから。いずれは悲しみや後悔も風化して、全て忘れて笑える未来もあったかもしれない。
だがこちらに残った以上、それは叶わぬ夢だ。ずっと言われ続けるし、抱え続ける。その覚悟は、尊い物だが。
「こちらです」
と、言う白井さんの声で意識を浮上させる。今はまだ、仕事中だ。そちらに集中しよう。
白井さんに案内されたのは、研究所内でも奥まった場所にある扉だった。他の部屋のよりも重厚で、傍にある機械を見るとセキュリティも多い。
「厳重ですね」
「それだけ貴重な物を扱っているということです」
網膜認証や指紋認証など、様々なセキュリティを経た後扉は開く。空気の抜ける音と共に開かれたその先は、広めの一室だった。
「……ガラス」
白井さんの後に続いて入室したその部屋は、途中でガラスに区切られていた。ガラスのこちら側には様々な機械が並べられ、研究員たちが何やらそれを眺めている。正に研究室といった光景だ。
問題は、その向こう側。白いタイルの敷き詰められた殺風景な部屋には、一体の生き物が存在していた。
いや……生き物らしき何か、と言った方がいいか。
「なんだ、アレは……」
名状しがたい存在だった。色は灰色を中心に、茶色や黄色が混ざっている。岩のような質感の箇所もあれば、カエルの表面のようにぬめっているところもあった。触手らしき物、口らしき物、瞳らしき物があちこちに付いていて、どれもギョロギョロと蠢いて機能している。
敢えて例えるなら……フジツボとタコとナメクジを混ぜて捏ね合わせたかのような生き物。
その上見上げる程に巨大な存在が、ガラスの向こう側には鎮座していた。
「こ、れは……動物、なのか?」
「怖い……」
隣で狛來も口を抑えて怯えている。無理もない。こんなの、俺だって竦む。
しかし白井さんは嬉々として解説しだした。
「これは我が研究所で再生に成功した、旧きエイリアンの一部です」
「……エイリアン?」
「はい。我がフォーリナー研究所は様々な存在を研究しておりますが、その中でも熱心に取り組んでいるのが外来種……即ち、宇宙から飛来した生物なのです」
そう語る白井さんの顔は輝いている。本当に楽しそうだ。目の前には、悍ましい生物が蠢いているというのに。
だが、成程。エイリアンか。そう聞くと、あの恐ろしい外見にも頷ける。
「アレはその中でも化石化していた程古代に飛来した種類なのですが、この度我が研究所の最新技術にて復元に成功いたしました!」
「それは、すごいのだろうが」
感心はする。俺はその当たりのことに関して完全に素人だが、そのすごさはどことなく分かる。分かるのだが、それはそれとして目の前にある物がいい物とは思えない。
「危険は無いのか? あの生物は」
「それは、まぁ見ていてください。丁度始まります」
白井さんがそう言うとほぼ同時に、研究員たちが何かを始める。ガラスの向こう側にある壁が開くと、そこから人間大の生き物が現われた。
こちらも不可思議な、複数の生き物が入り混じった生き物だ。こちらは人間と同じような体形をしていて、犬の成分が大きい。
その姿に俺は見覚えがある。あれは……バイドローンのキメラ怪人だ。
「まだ現存していたのか」
「大量に確保した怪人たちをどうするのか決めかねていたようで、一部を実験体として引き取り研究していました。残念ながら生体を変異させるウィルスについては解明出来ませんでしたが」
それは、よかった。それならしばらくは次のバイドローンは生まれなさそうだ。
そんなことを話していると咆哮が耳を劈く。キメラ怪人が吠えたのだ。ガラスを貫通するほどの声量だ。
「ガアアアァァッ!」
エイリアンに気付いたのだろう。キメラ怪人は己を鼓舞するように吠え猛り、エイリアンへと飛びかかった。手に付いた鋭い鉤爪を振り下ろす。
が、それはフジツボのような硬い甲羅に弾かれた。
「ギッ!?」
予想外の硬さにキメラ怪人は驚愕しているようだ。まぁ見ている俺からすると、甲羅の部分はそら硬いだろうとしか思わなかった。相対した俺だから分かるがキメラ怪人の知能はさして高くない。このままじゃまた繰り返すだろうな。
案の定、キメラ怪人は何度も甲羅に鉤爪を叩きつける。激しい衝突の度に火花が散るが、甲羅は傷一つついていない。
「グルゥ……」
疲れたのだろう。キメラ怪人の手が止まる。そしてその瞬間だった。
「グアッ!?」
スルリと、まるで自然なことのように触手が巻き付いたのだ。人の胴体ほどに太い触手がキメラ怪人を簡単に締め上げ、宙へ持ち上げる。凄まじいパワーだ。一本であれなら、複数合わされば小さな家くらいは運べてしまうな。
そしてエイリアンは捕食しようとしているのか、藻掻くキメラ怪人を口の一つへ運ぼうとする。だがどうみても口の方が小さい。エイリアンもそれに気付いたのか、ピタリと動きを止める。
なのでエイリアンは、小さくする努力を始めた。
「ひっ!」
狛來は小さく悲鳴を上げる。むしろ感心した程だ。よくそれだけで済ませた。
それ程に凄惨な光景が、目の前で繰り広げられた。
エイリアンが触手ごとキメラ怪人を床へ叩きつける。さながら車が衝突したような轟音が響く。そして何かがへし折れる音も。その時点で多分、いくつか骨折していたのだろう。
だがエイリアンは止まらない。何度も、何度もキメラ怪人を叩きつけた。駄々をこねる子どもの如く。しばらくは断末魔が聞こえていたがそれもすぐ聞こえなくなり、やがて衝突音には水音が交ざり始めた。
形を無くしたキメラ怪人の死体を、エイリアンは壁へ放り投げた。ビチャリ。トマトのように弾けて飛び散る。
そうしてバラバラになった死体を、エイリアンは一つずつ拾って口に運んだ。彼の目論見通り、キメラ怪人は食べやすい大きさに小さくなったのだ。
ひょいひょいと口の放り込むその姿は上機嫌にすら見えた。
「うええぇぇ……」
ついつい俺もそんな声を漏らしてしまう。酷い光景だ。自然界ではあり得ない程に残虐な捕食シーンだ。
「今のって何ですか」
「餌やりです」
白井さんはサラリと答えた。
「ご覧の通りかなり凶暴でして、研究員も手を焼いています。このままでは研究も進みません。なので近く大人しくさせるための処置を取るつもりなのですが……まぁ、我々の想定を超えて暴れ、手がつけられなくなる可能性もあります」
苦笑しながら答える白井さんの話の行き先に、俺は不安を覚える。
「……まさか」
「えぇ、はい。あなた方には、その際の万が一にも備えていただきたいのです」
冗談だろ?
俺はエイリアンを見た。異形の怪物は、嬉しそうにバラバラ死体を口に運んでいた。
……その万が一は、俺たちがああなるかもしれないって事じゃねぇかよ。




