「了解。いつも通り無事に帰ってくるよ」
「あり得ないだろ、こんなの!」
「残念だけど……これは決まったことなのよ」
抗議に声を荒げる俺の前でお袋は首を横に振った。溜息をつきながら言葉を続ける。
「上層部のほとんどは狛來の扱いに懐疑的なの。仮にも怪人になりかけた相手に対して甘いんじゃないかって」
「なっ……」
「だから手早く実績を見せることを望んでいるの。本当にヒーローになりたいのなら、悪を討って見せる必要がある、って。……ようするに、悪ではないという証明をしろ、ということね。もしユナイト・ガードに潜り込んだ怪人の手先なら、怪人を倒すことを躊躇う筈だから」
「馬鹿な……」
俺は絶句した。確かに狛來は正義と悪、二つに一つを選ぶ天秤を前にした。ユナイト・ガードとローゼンクロイツ。何かが少しでも違えば彼女は悪の道を行っていたかもしれない。それは本当だ。
だがだからといって、今更狛來の覚悟を疑うのか。しかも味方である筈の俺たちが!
「理不尽だ! 俺たちユナイト・ガードはヒーローと、それを支援するための組織だろ! だったら他の誰でもない、俺たちがあの子を信じてやらなければどうする!?」
ヒーローは悪を挫く以前に、人を助ける仕事だ。ユナイト・ガードは、そんなヒーローの支援組織。ならそんな俺たちだからこそ、狛來を助けるべきだ。
「甘い? ヒーローが甘くなくてどうする! 理想論を実現させてこそのヒーローだろ!」
怒りのまま拳を叩きつける。大音声が鳴り響き、激情を受け止めた木製の机は軋みを上げた。それでも冷めやらない憤怒を漏らしながら、俺はお袋を睨み付ける。
「……撤回してくれ。今からでも」
「……無理よ」
けれど、お袋もまた俺の鋭い視線から一切逸らさずに言い返す。
「既に決定事項なの。……私を含め数人の幹部は反対したのだけれど、多勢に無勢だったわ」
「……くそっ!」
お袋がそう言うなら、そうなのだろう。長官であるお袋の発言力はユナイト・ガードの中でもトップだが、それで全てを牛耳れる訳では無い。巨大な組織であるユナイト・ガードは多くの人間が携わっており、運営に発言権を持つ幹部の数もまた膨大だ。今回のお袋の意見は多数派の言葉に押し潰されてしまったのだろう。一部の人間の意見に流されず合議によって決定するのは健全な組織の証とも言えるが、それ故に数という絶対の壁には敵わなかった、ということか。
「最初は狛來ちゃん単独で任務に当たらせるという話だったわ。それでも何とか交渉して、貴方を付かせた」
「当たり前だ!」
憤懣やるかたないまま俺は荒々しく答えた。その後、少しだけ冷静になって首を振る。
「……すまない。お袋に当たっても仕方ないのに」
「いいのよ。止められなかった私の力不足は確かだもの」
お袋もやるせなさそうに目を伏せた。
……もう、認めよう。飲み込むしかない。命令書は発行されてしまった。ならばもう、どうすることも出来ない。
俺は改めて命令書の内容を確認した。さっきまでは狛來の名前を見たところで怒りに駆られてしまいちゃんとよく読んでいなかったのだ。
「……ん? 護衛任務なのか」
再度目を走らせると、思っていたよりは穏当な任務だった。
内容は民間組織の護衛とある。護衛……つまり怪人を積極的に倒しに行くわけではなく、あくまで対象の防衛が主目的。必ずしも敵を倒す必要はない。
「えぇ。上層部もそこまで無茶なことは要求しなかったわ。段階を踏んで、ということでしょうね」
「そうか、まぁ、そうだな」
頭に血が上って忘れていたが、上層部はみんないい歳した大人ばかりだ。怪人の疑いがあるとはいえ狛來はまだ少女。本気で怪人に立ち向かったところで普通に力負けしてしまう可能性の方がずっと高い。だから最初は簡単な任務から慣れさせてから、徐々に怪人との当たりを強めていく方針なのだろう。
だがこれなら、この初回の任務に限ってはそこまで心配する必要もないか。
「仕方ない。受けるよ」
「助かるわ。……くれぐれも、無茶はしないように」
「分かってるさ。狛來に怪我はさせられねぇ」
「そっちもそうだけど、貴方もよ、竜胆」
命令書から顔を上げると、心配げな眼差しが注がれていた。
俺は苦笑した。そうだった。この人はユナイト・ガード日本支部の長官だが、それ以前に俺の親だった。
「了解。いつも通り無事に帰ってくるよ」
安心させるようにそう告げて、俺は長官室を去った。
◇ ◇ ◇
任務の日は、意外とすぐにやってきた。
隣には命令通り、狛來がいる。今日は訓練用のジャージではなく、専用に作られたユナイト・ガードの制服に身を包んでいた。任務中であることを示す為だ。
「ここが、今日の任務の……」
「そう、『フォーリナー研究所』だ」
並んだ俺たちは、白い建物を見上げてそんな言葉を交わした。
ここが今日から護衛に当たる予定の民間組織、未認可外来生物特殊研究所、通称フォーリナー研究所だ。
「何をしているところなんですか?」
「まぁ、よく分かんない生き物の研究だな」
ここでいう外来生物は宇宙や異世界、あるいは古代に封印されて現代に蘇った生物など……まぁ、様々な物を指す。その中で法律に認められ市民権を与えられていない、つまり未認可の生物を研究するのが、この研究所という訳だ。
「護衛の方々ですね?」
入り口で待っていると、白衣を着たここの研究員らしき人物が話しかけてきた。穏やかな笑みを浮かべた中年男性だ。
「はい。今回護衛に付かせていただくジャンシアヌこと紅葉竜胆。そして私預かりの菖蒲狛來です」
軽く自己紹介して頭を下げる。ちなみに、俺は自分の正体を隠してはいない。生身の状態でも顔を出して広告塔の役割もしているからだ。
「あぁ、お噂はかねがね。先日も怪人をやっつけたと報道されていましたよね。いやぁ流石です」
「恐縮です。それが仕事なので」
なので顔が知られていることも多い。こういう時は話が早くて助かる。
「申し遅れました。私は主任研究員の白井といいます。今回の責任者でもあります。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
握手を交わす。すると白井さんは、次に少し屈んで狛來にも手を伸ばした。
「菖蒲さんも、よろしくお願いします」
「あっ、はい、よろしくお願いしますっ!」
慌てて手を握る狛來。それを見て俺は丁寧な人物だなという感想を抱いた。
俺の顔を見るくらいニュースを見ているなら、もっと大々的に報道されてしまった狛來のことも当然知っている筈だ。なのに白井さんは顔色一つ変えず握手を求めた。内心までは窺い知れないが、少なくとも仕事を請け負ってくれる人間に対して敬意を欠かさない人物ではあるようだ。
「では研究所をご案内いたしましょう」
「護衛対象も、そこに?」
「えぇ、まぁ。出来うるなら、研究所全体を守っていただきたいですが」
「それは勿論そのつもりですが、最重要は確認しておかないと」
今回の護衛任務はこの研究所の研究成果の警護だ。勿論誰にも被害が出ないよう研究所だって守ってみせるが、それでも一番に優先すべき物は頭に入れておきたい。
「分かりました。まぁ、あるいは逆になるかもしれませんからね」
「……逆に?」
訝しむ。妙な話だ。つまり護衛対象"を"、ではなく、護衛対象"から"……?
「えぇ、何せ我々は……」
白井さんの表情が、変わる。柔和な表情から、どこか凄みを帯びた狂気的な笑みへ。同じ笑顔でもそれは、百八十度違う質感を持っていた。
「神々の領域に手を出したのですから」
それを見てしまった俺と狛來は息を呑む。
これは……一筋縄じゃいかなそうだな。
取り敢えずなんとかなると嘯いていたこの間の俺を殴りたい。
 




