「人魂……?」
「狛來ちゃんの犬神……いや、これは」
確かに、犬神ではある。しかしそれに浸食するように別の存在が混ざっている。金色の部分が、おそらくは。
「魔使の憑依に、間に合わなかったってことか……!」
クシャナヒコの目的。狛來ちゃんに取り憑かせようとした手駒。魔使。
キノエが時間を稼いでくれたにも関わらず、タイムオーバーか……!
『グロロロ! よいぞ、やはり見込み通りだ……!』
クシャナヒコが歓喜の声を上げている。それも頷ける程で、狛來ちゃんから現われたソレは――双頭犬は、恐ろしい気配を纏っていた。対面しているだけで凄まじい重圧を感じる。
「……どうする、エリザ」
ヘルガーが私と双頭犬の間に入りながら問うてくる。私は少し思案してから口を開く。
「倒すしか、ないだろう。キノエ! あの金色を引き剥がすことは可能か?」
狛來ちゃんを傷つけるわけにはいかない。となると、あの双頭犬をどうにかしなきゃいけない。しかし倒したところで狛來ちゃんの中に戻るだけでは元の木阿弥だ。どうにかしてあの化け物を、せめて金色の魔使は取り除かなければならない。
「……出来ねぇこたぁねぇが、こっちの霊力が勝らねぇと負けちまう」
「つまり?」
「弱らせねぇと無理ってこった」
「分かりやすい理屈だな……!」
そしてバッドニュースでもある。結局真正面からぶつからないといけないのだからな……!
私たちが方針を決めた瞬間、双頭犬も動いた。
二つある頭のうち、黒い方が顎門を開く。
「! 来るぞ!」
『■■■■!!』
私が警句を発するが早いか否か、咆哮が響いた。すると、コンクリートの床や壁が切り刻まれていく。
見覚えがある。身に覚えも。犬神の持っていた斬撃能力!
「散開しろ!」と
私たちは双頭犬から飛び退くように散った。同時にクシャナヒコの包囲も解けてしまうが、背に腹は代えられない。
斬裂の嵐が吹き荒れる。インク人間の幾人かは避けきれず細切れとなった。人間大の存在が二桁に分割されているのを見てゾッなる。
『グロロロ。良き力だな』
一方でクシャナヒコも、斬撃に巻き込まれていた。しかし奴はインク人間とは違ってその毛皮で悠然と耐えている。だが、意外だ。コントロールが出来ていないのか?
「っ!」
気が逸れていたからか、髪が一束犠牲となった。恐ろしい切れ味だ。痛みどころか抵抗すら感じなかった。
そこで斬撃はピタリと止む。反撃を考え踏み込むか迷うが、今度は金色の顎門が開くのが見えて再び回避を選択した。
『■■■■■!!』
「何が来る……」
金色の、魔使の方は未知だ。どんな能力を持っているのか分からない。特に警戒し即座に躱せるよう身構える。
変化は、すぐに現われた。
「人魂……?」
双頭犬を囲うように、金色の火の玉がぼうっと出現した。数は十つほど。不気味に揺れるその様はまるで墓場に浮かぶ人魂のようだ。
そして十の人魂は、ゆっくりと放射状に動き始めた。そのスピードは非常に緩慢で、赤子のハイハイと同じくらいだ。
正直私は拍子抜けした。だって犬神の、斬撃の方が遥かに脅威だ。見えず鋭い攻撃は躱すのに苦労する。一方でこちらは遅すぎる。見ていれば躱すのに訳がない。
私はゆっくりと近づいて来た人魂をすっと横に移動して躱した。人に道を譲るような気楽さで避けられる。何の脅威にもならない……。
「……これで終わりか? それなら」
切り込むチャンスか。そう思ってインクの武器を取り出そうとする私。しかしそこへ、鋭いヘルガーの声が飛んできた。
「駄目だエリザ! 後ろだ!」
は? 後ろ?
私はヘルガーの言葉通り背後を振り返る。そこには、私目掛け迫ってくる黄金色の炎があった。
「うおっ!」
慌てて躱す。人魂はまた、私を過ぎ去っていく。やはりスピードは遅い。だが何故後ろから迫って来た?
その理由は、他に飛んだ人魂の動きを目に追っていたら分かった。
「跳ね返っている……!?」
黄金の人魂は、コンクリートの壁に当たるとボールのように跳ね返り、軌道を変えていた。スピードは変わらないが、そこで消滅しない。そしてまた壁や床、天井に当たると跳ね返る。消える気配が一向に無い。こうなるといくら遅くても動きの予測が出来なくなる。視界内にある奴ならまだしも、視界の外にある奴は動きが読めない。
そして避け損ねたインク人間が人魂に追突される。すると今までは消える気配の無かった人魂は簡単にインク人間に燃え移り、その全身を黄金色の炎で覆い尽くした。火達磨となったインク人間はあっという間に燃え尽きる。
「げ、生き物にだけ燃え移る炎か……!」
インク人間が生き物かは怪しいが、少なくとも壁や床には反射して、私たちだけを燃やす炎のようだ。これは厄介だ。つまりは私たちを焼き尽くすまでずっと残り続ける障害物……!
『■■■■■!』
しかも、それだけに終わらなかった。再び金色の頭が吠えると、人魂が更に十、追加される。
「増えるのか!」
増加した人魂は先に発射された人魂と混じり合い、室内を縦横無尽に跳ねまくる。こうなるとスピードが無い方が却って厄介だ。障害物として邪魔すぎる。
「くそっ……ウグッ!?」
「っ、ヘルガー!」
手をこまねいている内に、ヘルガーが被弾してしまう。大柄な身体がパッと炎上する。まずい、そう思った私は消火すべくヘルガーに近づこうとするが、その出先を火の玉が横切って挫かれた。
「ヘルガー!」
「ぐ、うおおおおっ!!」
炎は見る見る内に広がっていく。それを止めたのはキノエだった。
「ラン・ソワカ!」
キノエがそう唱えると、炎は水を掛けられたかのように鎮火した。後には白い煙と、ちりちりに焦げたヘルガーの毛並みだけが残る。
「あっつつ……」
「キノエ! 助かった……炎を消せるのか!」
「アレが魔使がらみだからなぁ。んだが、全部までは手が回らねぇ……!」
キノエの言う通りだ。私たちが必死になって躱している内に、双頭犬は更に火の玉を増やしている。その数は、最早数えるのが億劫になる程。今いる地下空間自体が広いからまだ動き回れているものの、この分ではあっという間に埋め尽くされてしまう。そんな数をキノエ一人が消火して回るのは、どう考えても間に合わない。
「畜生、数が足りない! ……数?」
頭を悩ませる私の視界に再び被弾して燃え上がるインク人間が映った。……そうか!
「美月ちゃん! インクの兵隊を人魂に突っ込ませて!」
「!! そうか、その手が……分かりました!」
私の指示に頷いた美月ちゃんが、自分から染み出したインクで兵隊を形作る。美月ちゃんの手駒の中で特に低コストな雑兵だ。
「行きなさい!」
美月ちゃんの命令を聞いたインクの兵隊は、それぞれバラバラに散開して跳ね回る人魂の前に立ちはだかった。そしてその身で火の玉を受け止めて、松明めいて燃え上がる。
インク人間は耐えきれず消滅する。だが燃え尽きたそこにもう黄金の火は残っていない。インク人間一体と相殺だ。
よし、狙い通り! これなら人魂を無効化できる!
『小癪な……』
クシャナヒコが呻く。奴にとってもこれは、流石に予想外だったようだ。普通はこんな特攻じみたことはしないものな。だけどいくら使い捨てにしてもいいインク人間なら出来る。
「へっ、神さま肝いりの僕さんも、この程度だったみたいだな」
『愚かな。この程度だと?』
クシャナヒコがそう鼻を鳴らすと、双頭犬が吠え猛った。
『■■■■■!!』
「! 同時!?」
その吠え声は、二つ重なっていた。黒と黄金、二つの頭が同時に吠えた。吠えることが能力のトリガー。なら、どちらが発生する!?
答えは、シンプルだった。
「ど、っちも!」
刃が迫る。炎の刃だ。
あの厄介な炎が、斬撃のスピードに乗って放たれる!
「やばっ……!」
段違いのスピード。それに対応しきれず、私はどう躱せばいいか迷い、足を詰まらせる。
「エリザ!」
「エリザさん!」
二人の叫び声が聞こえる。しまった。この炎の刃も……!
壁に跳ね返って軌道を変え、背後から迫ってきていた刃を私は躱すことが出来なかった。
「まずっ……!」
炎が、私を捉えた。
 




