『フン。所詮は手駒に過ぎん。それに、もうそれも要らぬか』
「な――」
思考を挟む余地など無かった。咄嗟に上げた光忠を爪と頭の間に割り込ませ、身代わりとする。黒い刀身がひしゃげてインクに還る一瞬の隙、私はその場から飛び退いた。
着地して、ようやく全身から汗が噴き出る。危、なかった……。
「は、はぁ……っ!」
ドクドクと耳障りに鳴る心臓を抑えつつ、今し方起こった出来事を振り返る。
といっても、事象はシンプルだ。超スピードでクシャナヒコが私に迫った――それだけ。
それだけなのに、私は今、死にかけた。
『グロロロ……どうした?』
クシャナヒコが嗤っている。だが、私はそれに対し反抗的な態度を取ることすら出来ない。
見えなかった……何も。光忠を割り込ませる事が出来たのは奇跡だ。命の危機を感じた手足が反射で動き、その結果偶然爪を受け止めることが出来ただけ。ただのラッキーだ。同じ事は二度と起こらない。
つまりラッキーが起こらなければ一瞬で死んでいただけの、実力差があるということ。
「こ、れ……が――」
侮っていた、と言わざるを得ない。
私は所詮、妖怪の亜種、つまり怪人の変形に過ぎないとどこか高をくくっていた。自分単体よりも格上ではあろうが、そんな奴らは今まで沢山相手してきた。だから今回も、どうにかなると思い込んでいた。
だが、そんな幻想は捨てなければならない。コイツは、クシャナヒコは間違いなく――。
「――神、か」
人間とは一線を画した存在。その事実を、改めて受け入れる。
そうしてようやっと心拍を落ち着けることが出来た私は、再び戦闘態勢を取った。小瓶を砕き、インクから新たな光忠を複製する。
その間、クシャナヒコは一切のアクションを起こさなかった。私を攻撃することも、他の新ヒーローの支援をすることもなかった。ただただ、私を観察するようにじっと見つめていただけ。さながらガラスケースの中に落とした芋虫がどうやって立ち上がるのかに興味を抱いているかのように……。それを油断とは言い切れない。事実、それだけの実力差がある。
『グロロ……それでよいのか? もう少し待ってやっても良いが』
「生憎、時間はこっちの味方じゃないのでね」
チラリとクシャナヒコの背後を盗み見る。そこには変わらず、磔にされた狛來ちゃんが苦しそうに呻いていた。キノエの術が効いていても、後どれだけ猶予があるか分からない。ユナイト・ガードの応援が上の構成員たちを突破してくる可能性もある。モタモタしてはいられない。
「そっちが来ないなら、こっちから行くまでだ」
光忠を右手に構え、私はクシャナヒコに肉迫した。足元に潜り込む……と見せかけすれ違うようにして後ろ足を斬りつける。が、刃は通らない。毛に止められて肉まで届かない。
「簡単にはいかない、だが!」
織り込み済みだ。私は発電機関を励起し、刀身を通じて電撃を流し込む。刃が通らずとも、雷はどうだ。
結果は……。
『グロロ。何かしたか?』
平然とした様子で首だけで振り返るクシャナヒコ。その表情にまるで堪えたところは無い。効かないか。
『手品はしまいか?』
「まさか。手数だけが取り柄なのにさ」
次の手を即座に繰り出す。インク瓶を割り、新たな武器を複製する。手に取るは拳銃。刃も電気も駄目なら銃弾を試す。
『グロロ。飽きもせずよくやる』
が、そこでクシャナヒコが動き出した。後ろ足から毛が伸び、生き物のように私を絡め取ろうとする。手に、足に、首に。
「くっ!」
私はそれをどうにか光忠で切り払う。……纏まっていなければ斬れるのか。
『グロロロ!』
どうにか逃れた私に毛を伸ばしての追撃が襲い来る。それを私は片っ端から切り捨てて防ぐ。数本が束ねられた程度ならまだ刃が通る。だが段々と太さが増した束が多くなってきて、次第に斬る感触が重くなってきた。
そして遂には受け止められ、刀ごと絡め取られてしまう。
「くそっ!」
刀から手を離し、私は苦し紛れに拳銃の引き金を引いた。マズルフラッシュと共に打ち出される弾丸。しかし毛の束はそれを羽虫を叩き落とすかのように容易く弾く。
「反則だろ……鋼鉄製か!?」
いや、それよりもタチが悪い。光忠の手応えからして、もっと硬い筈だ。
銃弾すら通じない毛の猛攻を、身のこなしだけでどうにか捌いていく。防戦一方。
『どうした? 時間が無いのではないのか?』
「分かってるっつの……!」
こっちが一番理解しているさ。だけど通じないのなら、守るしかない。
やりたくもない時間稼ぎをしながら、私は機を待った。
『ぬ……』
幸い、その機はすぐに訪れた。クシャナヒコが目を見開く。私へ伸びた毛が一束、横から伸びた腕に無造作に掴み取られたからだ。
毛を掴んだのは機械の手甲に包まれた右手……ヘルガーの手だった。
「ったく、手が空いたら他を待たずにすぐ本丸に突っ込みやがって」
「来ない方が悪いだろう」
苦い顔で呟くヘルガーに軽口で答える。タイガーマイトも片付けて駆けつけてきてくれたらしい。どうやら新装備の調子はいいようだ。
『グロロ……何匹増えようが同じ事だ』
横槍を入れてきたこと自体に驚きはしても、クシャナヒコの余裕は変わらない。手を変える必要もないと断じ、毛の攻撃が再開される。
「ちっ、どうするか」
「俺に任せろ」
そう言ってヘルガーは私の前に立ち、両手のガントレットを構える。駆動音が響き渡り、紫電が両手に漲っていく。そしてヘルガーは、電気に包まれた手で、
「鬱陶しいんだよ……!」
手刀を作り、迫る毛の束へ向け思い切り振り下ろした。
「散髪ぐらい行きやがれ!! 超電磁ソード!!」
二つの軌跡が交差する。紫の光を帯びた手刀は私の斬れなかった太さの束を容易く切断し、宙空に解けたクシャナヒコの毛が舞い散った。
手刀での超電磁ソード。だがヘルガーの腕力と体術であれば、それも充分な切断力を持ち得る。しかも今、ヘルガーは両手で挟み込むようにした。二枚刃をハサミのように扱うことでより切断力を増加させたのだ。
『ほう……』
これには意外そうにクシャナヒコも溜息をつく。対してヘルガーは、紫電を纏った指をくい、と煽るように曲げた。
「もっと来いよ」
『ふっ……後悔するでないぞ!』
挑発に乗ったクシャナヒコが更なる猛攻を浴びせてくる。毛の量は倍に、太さもより増した。それでもヘルガーは切り捨てているが、やはり反撃には転じられない。危機を感じて私はヘルガーの背中に叫ぶ。
「ヘルガー!」
「黙って守られてろ!」
ヘルガーは振り返りもせずにそう答えた。しかしこのままじゃ、防戦一方のまま……。
そこで、ふと、私は気付いた。辺りが妙に静かであることに。
今ヘルガーが戦っている以外の戦闘音が、まるで。
『!? グ!?』
クシャナヒコが呻く。その理由は、背後から黒い人影の集団が強襲してきたからだ。私たちに集中していたクシャナヒコは不意を突かれ、攻撃をまともに受けてしまう。
『小癪な……』
それでも痛痒は無さそうだ。神の毛皮は射抜けなかった。しかしそれでも、注意は分散する。攻勢が止まる。
「エリザさん!」
クシャナヒコを挟んで反対側にいたのは、やはり美月ちゃんだ。多数のインク人間を展開し、クシャナヒコを攻撃させている。それだけでは無い。
「なんだぁ。オラがいっちゃん鈍間か」
美月ちゃんの傍らにキノエが着地する。その片手には、ボロ雑巾のようになったミエザルを掴んでいた。
「グッ……ギギッ」
「大人しくしてらぁ。念入りに痛めつけたんだからさぁ」
指先一つ動かせない様子のミエザルを投げ捨てるキノエ。よく見ればパイソンやバニーホップも倒れてインクの兵隊に拘束されている。他に立っている影は無い。
つまり……新ヒーローたちは全員制圧した。
「ははっ……流石だ」
これで四対一。イザヤの複製たちも含めればもっとだ。
囲まれたクシャナヒコはゆっくりと頭を巡らせた。コンバード、ウォートホグ、タイガーマイト、パイソン、バニーホップ、そしてミエザルの倒れ伏す姿を目撃する。
『グロロ……やられてしまったか。情けのない奴らめ』
「……自分の為に働いてくれた部下に対してその言い草は無いんじゃない?」
失望した様子の言葉に私は眉を顰める。確かに全員熨されているが、それでも奴らはクシャナヒコの為に戦ったのだ。それを悪し様に言うのは敵とは言え気分が良くない。
そんな私に対し、クシャナヒコはつまらなそうに鼻を鳴らした。
『フン。所詮は手駒に過ぎん。それに、もうそれも要らぬか』
「何……?」
その言葉の意図を計りかねるより早く、パシンと何かが弾ける音がする。クシャナヒコを警戒しつつ音のした方を振り返る。そこには磔にされている筈の狛來ちゃんがいた。だが、既に拘束されていない。
「!? 毛が解けている?」
縛り付けられていた狛來ちゃんの手足は解放され、彼女は床にへたり込むようにしていた。俯いていた表情は分からないが、苦しげにしている様子も無い。
「狛來ちゃん。よかっ……」
とにかく保護しなければ。ここに来た目的を果たすべく私は狛來ちゃんへ駆け寄ろうとした。
「っ! 駄目だ! 近寄んじゃねぇ!」
そんな私の背に、焦ったようなキノエの声が掛けられる。そして変化は、私が足を止めるより早く起こった。
「……な」
項垂れる狛來ちゃんの身体から紫色のオーラが染み出す。最初は、狛來ちゃんが自衛のために例の骨犬を出そうとしているのだと思った。だが、違う。その紫のオーラに絡みつくようにして、黄金色のオーラも立ち昇ったのだ。
オーラは螺旋を組み合うかのように混じり合い、そして一つの生き物を形作った。
黒い頭、金の頭を持つ、骨だけの犬を。
「これ、は」
『グロロロ、間に合ったからな……最強の傀儡が』
『■■■■■!!!』
双頭犬は二つの口で歪に吠える。
本来より一回り大きく、そしてとびきり醜くなったそれは。
もう、化け物としか言いようが無かった。




