「求人を見てここに来たんですよ~」
炎が燃える。紅色が踊る。
つい数瞬前まで何の変哲もないビルだった筈のその建物は、見るも無残に崩れさり炎上していた。
そんな炎の中心で、二人の人間が対峙する。
一人は、白い装束の男。
未来的なスーツと騎士甲冑を組み合わせたかのような一角の戦士は、槍を構えてもう一人の影と対峙する。
炎に照らされたその表情に、怯えは一片もない。
もう一人は、軍服を着た女性。
若い――否、幼いと言ってもいい顔立ちをした女性は、薄紫の瞳に炎を映す。
軍服は所々焦げ、左足のズボンの腿は裂け血を流す太股と巻かれたベルトが露出している。
騎士には瑕疵は何一つなく、逆に軍服の女性は傷だらけだ。
しかしどちらも不敵な笑みを浮かべ、余裕そうな表情さえ浮かべて見せる。
「騎士よ、重くないか? その荷物」
槍以外何一つ手荷物の無い白騎士へと、女性は語りかける。
騎士は手に持った槍をくるりと回し、答えた。
「重くないさ。重いと思う人間は、だからこそ弱いんだ」
そう答えた騎士に、女性は憤怒の表情を浮かべる。
「ああ、そうだ。――だからこそ、私は躊躇しない」
女性はその言葉と共に腰に佩いた日本刀を抜き、正眼に構えた。
それに応えた騎士もまた、槍を腰だめに持つ。
揺れる炎に炙られた空気が、冷やされ張り詰めたように錯覚する程に変わる。
対峙し、互いから目を逸らさない両者。
殺気を迸らせたまま、女性が口を開く。
「――私は、エリザ。今この瞬間から――」
女性が告げた言葉は、炎に巻かれ立ち消える。
そしてそれを合図として、二人は交差した。
白い残像が舞い、黒髪が跳ねる。
炎はいよいよ燃え上がり、二人の姿は火災旋風に消えていった。
火が消えた瞬間、立っていたのは――
◇ ◇ ◇
「ふむ、ここが新しい事務所か」
補助器具を身に纏い歩けるようになった私は、その勢いでばりばり仕事をこなした。
おかげでレベリオン・プランも大きく進み、他の幹部とも話し合いを深めることが出来た。
今日はその一環として、街中に作られたローゼンクロイツの事務所に訪れている。
「摂政殿、ご足労いただき感謝します」
「今日はちゃんと足を使っているからな」
「は?」
「いや、こっちの話だ」
怪訝な表情を浮かべるシマリスに、私は手を振って誤魔化した。
彼はこの新しい事務所の責任者、シマリス君である。かつてはメカシマリスとして活躍しローゼンクロイツの全年度MVPを受賞した。まぁ維持が難しくメカ要素は取っ払ってしまったのだが。
「で、このビル全部がそうか?」
「ええ、表向きは二階、三階、そして地下は全部違う店になっていますが実際は全部我々のフロント企業です」
ローゼンクロイツの所有する拠点は地下本拠だけでは無い。こうして街中に事務所を構えることもある。
今回新しく設立した事務所は地方都市にある雑居ビル内だ。一階が階段のみの三階建てのビル。
事務所として使う三階は表向きには探偵事務所を名乗り、二階には飲食店。地下にはバーが入っているが全て偽装。
実際に店として稼働することは出来るが、ローゼンクロイツの構成員が働いているカモフラージュに過ぎない。
まぁ、それなりの稼ぎになるから組織的には助かっているが。
「地下二階はまだ建造途中という話だったが?」
「地下構造体自体は問題ありませんが、設備がまだ整っていません。つまり現状ただの箱ですな」
地下のバーの下、地下二階にはローゼンクロイツの武器庫や作戦室を建設予定だった。拷問室なども設ける予定だ。悪の組織だからね。こそこそ悪い事をやる施設はいくらあっても足りない。
「資材搬入の予定は?」
「本部待ちですな。目途が立っていないようで」
「分かった。急がせる」
「お願いします」
シマリス君と細部の打ち合せを進める。
正直摂政の役目ではないが、こういった業務を引き受けることで人脈や部署との繋がりを深める目的がある。
ヴィオドレッドの言う通り、派閥争いが起こってしまっては面倒だからな。
「本格稼働は?」
「二階の飲食店と地下のバーの開店と同時にします。地下二階の設備がある程度整っていなくても、何とかなるでしょう」
「まぁ構成員のセーフハウスという意味合いが強いからな。あまり気負わず……」
私がシマリス君を励まそうとした瞬間、事務所の扉が勢い良く開かれた。
扉を開けたのは組織の構成員だ。
エプロンをして飲食店の店員になり済ました構成員が、焦った様子で報告する。
「シマリス様、摂政様! その、緊急事態です!」
「何があった?」
私との話しあいを打ち切り、シマリス君が問う。
よほど取り乱しているのか、身振り手振りを交えながら構成員は答える。
「今女性が店に来ていて……」
「店? まだ開店前だろう?」
「それが、その……。面接に来たと」
「面接ぅ?」
顔に疑問符を浮かべたシマリス君が私へ振り返る。
多分私も同じような顔をしているだろう。
事の次第を確かめるために、私とシマリス君は階下の飲食店に降りた。
◇ ◇ ◇
「求人を見てここに来たんですよ~」
私たちの目の前には、そう言って朗らかに笑う女性の姿があった。
女性の風体は有体に言って美女である。
それも、時代によっては傾国と謳われるほどの美貌だ。
ぬばたまの髪は艶やかで、長い睫毛や白い肌は人の目を惹きつけてやまない。身に纏った白いツーピースも上品そうな雰囲気を醸している。そして何よりも、楽しそうに笑う女性だ。見ていて心が和やかになり、自然と好きになる魅力を秘めている。
女性はにこにこと笑いながら言った。
「私、働くの初めてで、それで出来るならお役に立てるところで働きたいなぁって思って。あ、これ履歴書です~」
「あ、はい、どうも」
美貌の女性の持つ独特な雰囲気に気圧されつつも、私は履歴書を受け取った。
名前は早乙女 怜奈。二十歳。大学生。
通っている大学は百合の進学先として私が内偵を進めていた有名な大学だ。確か偏差値がすごく高かった筈。
「これはどうも。それであの、求人?」
「はい~。求人誌で……。もしかして私間違っちゃいました? ここ、『中華料理店 緋扇』じゃありませんでしたか~?」
「いえ、合ってます」
ローゼンクロイツのフロント企業として開店した飲食店は、確かに『中華料理店 緋扇』だった。緋扇というのは薔薇の品種の一つで、ローゼンクロイツとしてはピッタリの名前だ。ちなみに何故中華料理なのかというと、売れるからである。ローゼンクロイツはネオナチを基盤とした組織でありドイツ圏に憧れを抱いているが、ドイツ料理は日本じゃあまり売れないと思う。実際売れない。かつて存在したドイツ料理を振舞うフロント企業はあえなく倒産した。
私は早乙女さんに背を向け構成員君とこそこそ話を交わす。
(これは一体どういうことだ? 何故求人が出ている?)
(どうやら飲食店経営の経歴がある構成員に任せていたところ、かつての癖でうっかり出してしまったとか……。昔、人手不足で経営不振に陥ったとかでトラウマを持っていたそうで)
(それはどうでもいいが。しかしこのまま帰ってもらうしかないか?)
ローゼンクロイツは悪の組織にして秘密結社。組織の秘密を洩らしかねない一般人はあまり歓迎できない。
フロント企業には一般人を雇っている物もあるが、当事務所においてはカモフラージュの意味合いが強い。活動しやすくするためにも、引き取ってもらった方がいいだろう。
そう考えて、シマリス君にも同意を得ようと振り返る。
そこには、早乙女さんと和やかに会話する栗色の髪の青年が居た。シマリス君の人間態である。獣型の怪人には人間に化ける能力を持ったタイプもいる。そうでなくては人間社会の拠点の責任者など任せられないしね。
だからシマリス君が変身して対応しているのは問題ない。しかし、その表情は悪の組織の構成員とは思えないほどにやけている。
「そうですか! 社会勉強の為に在学中に働いてみようと!」
「そうなんですよ~。友人にバイトをしたことが無いって言うと、驚かれちゃいまして~。私も一回ぐらいはやった方がいいかなって思って」
「立派な心がけです。いやぁ素晴らしい!」
なんか話に花を咲かせているんだが。
(おい!)
私は小声でシマリスに声をかける。こちらを向いたシマリス君へと、ジェスチャーで早乙女さんにお帰りになられるよう伝えた。
しかしシマリスは頷きもせず何事も無かったかのように再び早乙女さんとの会話に戻る。
「それで中華料理が得意だからうちの店に?」
「はい。これでも調理師免許持ってるんですよ~」
「へぇ~! そのお年で!? すごいなぁ」
シマリス君はにこにこ笑顔で早乙女さんに相槌を打つ。
あ、コイツ……!
早乙女さんは美人だ。同性の私から見ても思わずクラリと来てしまう美貌を持っている。
男であれば、尚更に。
(惚れやがった……!)
シマリス君は性別学上は男に分類される。改造前は男だったから。
なので早乙女さんの魅力にやられ、絆されてしまったようだ。
……えぇ? 嘘だろ怪人のくせに。お前人間態と解いてみろやシマリスだろうが!
そんな私の怨念の籠った視線もなんのその、シマリス君は話を勝手に進めてしまう。
「実は今日面接の用意とかは特にしていなくてですね、出来ないんですよ」
「あ、あー。そうですよね。私早とちりして……」
「いえいえ! ですのでね、後日またお呼びしますのでご連絡先を……」
「あ、分かりました~」
アイツ連絡先まで交換しやがったぞ!
もう止まらない。下半身の思考に支配されたシマリス君は我が道を突っ走る。
「では後日面接にお呼びしますので、今日の所は……」
「はい、分かりました~。では~」
ひらひらと手を振って出入り口へと向かう早乙女さん。手を振る姿も可愛らしく、牡丹のように華やかだ。
そんな美しい後ろ姿に鼻の下を伸ばしながら見送るシマリス君。
早乙女さんの姿が完全に消えた後、くるりとこちらに振り返って真面目なキメ顔で言った。
「摂政殿。ご命令通りお帰ししました」
「ご命令通りじゃないんだよなぁ!?」
お前雇う気満々じゃねぇか!
こうして、新しい事務所へと早々に怪しい雲が立ち込めていた。




