「キノエに、聞かないとな。敵の正体と、彼女の正体を」
私が目を覚ましたのは、屋敷の布団の上だった。
「エリザさん! 起きたんですね」
私を覗き込んでいた美月ちゃんの顔がホッとしたように緩められる。来るまでに一時間はかかると言っていた美月ちゃんがこの場にいることで、私は時間経過を察した。
「狛來……ちゃんは」
「………」
そして沈鬱に曇る表情を見て、あの戦いの結末も理解した。
「そうか。……そう、か」
悔しさで唇を噛み締める。狛來ちゃんが……折角落ち着ける場所を見つけられた狛來ちゃんが、攫われてしまった。しかも新ヒーロー、その首魁であるクシャナヒコに、だ。最悪の状況だ。どんな酷い目に遭うか想像もつかない。
「……被害状況は」
「狛來ちゃんは誘拐。ヘルガーは全身打撲ですが回復しつつあります。キノエさんは体力を消耗してはいますが怪我はありません。そしてその……はやてが一番重傷で」
「どうした」
「パイソンの毒に侵されかなり危険な状態です。ただ本人が解毒の魔法を自身に用いているので、命の危険性は辛うじて……というところです」
はやてはあの時一番近くで狛來ちゃんを守っていた。その為に一番激しい攻勢を受けてしまったのだろう。
「そうか……なら本部へ後送の準備を整えてくれ。はやての魔法と蝉時雨の魔術、それからローゼンクロイツの医療班の技術があれば助かるだろう」
「それなんですが……」
美月ちゃんが言い淀む。どういうことだろうか。指示におかしな部分があったか?
「はやては無理矢理意識を保って、エリザさん、あなたが起きるのをずっと待っています」
「な……本当か!?」
「はい。伝えたいことがあるそうで。その相手が私では駄目だそうです」
その言葉を聞いて布団を撥ね除けるように身を起こした。すぐさま全身に痛みが奔る。特に首だ。そういえば首を絞められて気絶したんだったか。
「エリザさん! まだ寝ていなきゃ……」
「私より重傷なはやてが待っているんだ。行かなきゃどうする」
私は本調子にはほど遠い身体を叱咤し美月ちゃんの肩を借りて無理矢理起き上がる。そして美月ちゃんの案内の元いくつかの襖を潜り、はやての眠る部屋へと辿り着いた。
畳張りの部屋の中央には布団が敷かれ、その中で苦しげな顔で息をつくはやての姿があった。目を開けてはいるが、脂汗をビッシリ浮かべて辛そうだ。その傍らにははやてとよく似た姿で魔法陣を展開する真っ黒なインク人間の姿があった。イザヤの能力ではやてから近い可能性を複製したのだろう。
「はやて……」
「……ぁ……エリザ……」
か細い声ではやてが応える。意識を保っているのも苦しそうだ。
「はやて、伝えたいことってなんだ。どうしても言わなきゃいけないことか」
私はその苦しみを一刻も早く取り除いてやるべく見舞いの言葉を省いて本題を切り出した。いくら魔法があってもこれは寝かせてやらないと命に関わる。
焦点の合ってない目を私に向けながらはやては言葉を紡ぐ。
「うん……こ、れ……」
はやては震える手を差し出した。そこには稲穂色の魔法陣が展開している。私はそこに手を重ね、魔法陣は私の手に移る。制御権が委譲されたのだ。
「……これは」
私はその魔法陣を見て目を瞠った。魔法陣の中央はモニターになっている。そこには地図と、位置を示す光点が映っていた。
「ビル、ガ……。気を失う直前、ビルガを操作して……狛來ちゃんの服の中に……」
「分かった。ありがとう。確かにこれは私じゃ無きゃ受け取れなかった」
ビルガは魔術の素養があれば誰でも操作できるが、逆に言えば無ければ何も出来ない。ビルガの操作権と位置情報を受け取るには魔術が使える私でなければならなかった。だからはやては私が起きるまで意識を繋ぎ止めていたのだ。
「これは値千金の情報だ。ゆっくり休め」
「……うん……そう、させてもらうね……」
そう言ってはやては意識を完全に失った。一瞬焦るが、苦しげな呼吸が続いていることを見て少しだけ安心する。しばらく寝込むことになるかもしれないが、複製はやての魔法があれば死ぬことはないだろう。
そして実際、はやてはよくやってくれた。このビルガの位置は間違いなく狛來ちゃんの現在地だ。これで狛來ちゃんを追いかけられる。
「じゃあ、次だ……」
「エリザさん、休まないと」
「勿論、そうするさ。でもその前に済まさないといけない用事がある」
「用事?」
私は痛む首筋を撫でながら答えた。
「キノエに、聞かないとな。敵の正体と、彼女の正体を」
◇ ◇ ◇
「目を覚ましたかい」
私たちが居間らしき場所に顔を出すと、既にキノエが人数分のお茶をちゃぶ台に並べ、座布団に座っていた。体力を消耗していたと聞いたが、元気そうだ。
「あぁ、聞きたいことがある」
「分かった。答えられる範囲は答えるさ」
「頼む。美月ちゃん、ヘルガーを……」
「その必要はない」
詳しい範囲を意識のある全員で聞く為に美月ちゃんにヘルガーを呼びに行かせようとしたが、その前にヘルガーが居間に入室してきた。
「ヘルガー、大丈夫か」
「俺は怪人だ。飯食って寝れば治る」
どっかりと座布団の一枚にヘルガーが座ったのを皮切りに、私と美月ちゃんも席に着く。そこから一呼吸おいて、キノエは切り出した。
「さて……どこから話したもんかね」
「まず、確認させてくれ。あの猫の怪物……クシャナヒコは、村の裏山にある神社に奉られていた存在だな?」
私は自分の推理の確認から取ることにした。前提から間違えてはその後の全部が狂いかねない。
「あぁ、そうさ。奴は祟り神さ。代々あの神社に封じられてきた」
日本の信仰では、恐れるべき対象も崇める。尊んで敬いますので、悪いことをしないでください、という感じでだ。あのクシャナヒコも、そうした一柱……ということか。
「だが、祟り神は祟り神でも少し毛色が違った」
「うん?」
「奴は……人から頼まれて祟る奴だったんだ」
私は目を瞠った。美月ちゃんも、ヘルガーも驚いた顔をしている。それが意味するところは、つまり。
「人が奴を利用していたのさ。昔の村人がな。『誰々を呪ってください』、『隣の村の奴を病気にしてください』ってな具合にな。しかもそれを正義のためだとおためごかしてやるんだ。全く、誰が一番恐ろしいか分かったもんじゃない」
寒気のする話だ。悪い力と知りつつも、それを正義と偽って振るう。大義名分があれば罪悪感は薄れる。かといって、超常の力を私欲のために使うとは……酷い話だ。
「だが一番の問題は、そのおためごかしをクシャナヒコ本人が信じちまったことだ」
「……何だって?」
私は耳を疑った。だってその物言いは、まるでクシャナヒコが……。
「正義のために、行動しているっていうのか」
「少なくとも本人は、そのつもりさ」
にわかには信じがたい。だって奴は新ヒーロー共を操り、狛來ちゃんを攫った。どこが正義の行ないだ。
納得いかない気持ちに悶々としながらも私は続きを聴くために押し黙った。
「……ま、首を傾げるのは当たり前さ。だが少なくとも、自分は正義だと信じている。だからこそ、アイツは力を拡大することに躊躇しなかったそうさ」
キノエはその顛末を語った。
「正義のために人を祟るようになった奴はそこらの動物を従えて神の使い……神使とした。今は転じて魔使と呼ばれるようになったがね。兎に蛇。猪に鳥……変わったところでは、虎なんか従えたらしい」
「それって……」
新ヒーローの持つ特徴と一致する。つまり新ヒーローの、ヒーロー育成計画の正体は……。
「そうさ。アイツらはクシャナヒコの魔使に取り憑かれた人間だ。クシャナヒコの呪いは人間の記憶を書き換える。それで村人同士で仲違いとかさせて、願いを成就させたらしい。早い話が洗脳だね」
「洗脳……それで、コンバードたちは操られている、ってことか」
それを聞けば襲撃時の新ヒーローたちに納得がいく。それ以前の様子にも、だ。新ヒーローが頑なに正義を信仰していたのは、クシャナヒコの影響だったのだ。
「……クシャナヒコのことは大体分かった。新ヒーローたちのことも」
まだ掘り下げるべきことはあるのだろうが、喫緊にはここまでだ。他に聞くべき事があるからな。
「では、キノエ。貴女のことを教えてもらおう」
私は遂に、目の前で茶を啜る老婆の正体を問い質した。




