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『グロロロ……グロロロロ……』




 そこは暗い、しかし広い空間だった。

 僅かな明かりが照らす床は白く平らで、ここがどこかの建物の中だということは分かる。だがあまりにも見通しが悪く、どのような用途に使われるものなのかはまったくと言っていいほど分からなかった。

 そこで跪くようにしている人影は二つ。

 タイガーマイトとコンバードだ。


「……申し訳ありません、御大」


 タイガーマイトは謝罪しつつ、暗闇へ向け頭を下げた。コンバードも習う。マスクを失って晒された素顔には畏怖が浮かんでいた。


「御大の命を遂げることが出来ず、あまつさえ悪を取り逃がすとは……この失態、どう償えばよいか……」

『構わぬ』


 低く、心臓に響くような強い声が暗闇から発せられた。


『命令したのは我だ。それを責めるような愚は犯さぬ。……が、コンバードよ』


 声に呼ばれ、コンバードの肩はビクリと跳ね上がった。顔には脂汗が浮かんでいる。まるで処刑台にかけられる寸前の死刑囚のような様相だ。


「はっ……」

『お前は何を悩んでいる? 悪を倒すことがお前の使命だろう?』


 声は恐ろしいが、口調は柔らかい。喉元を撫で上げるような優しさすら感じる。だがコンバードの冷や汗は引かなかった。


「お、お許しください。俺は……」

『許すも何も、何に悩んでいるか教えてくれればいい』


 あくまで優しく、しかし反論を許さない言葉。コンバードは話さざるを得なかった。


「……自分の為していることが正義か、分からなくなったのです」

「貴様……!」


 隣のタイガーマイトが憤る。ストライプの毛皮が針山のように逆立った。腕の筋肉は縄のように隆起し、今にも掴みかからん剣幕だ。


「悪を討つ! それが俺らの使命だろうが! テメェ、言うに事欠いてそれを疑うだぁ? 大概にしろよ……!?」


 怒れるタイガーマイトの言葉をコンバードは何も言わずに受け止める。もしタイガーマイトが憤怒のままに自分を殴りつけるのならば、それも甘んじて受けるつもりだった。確かに自分でも思うからだ。悪を倒す。それが絶対不変の自分の使命だと、今でも思う。

 思うが、そこに黒い染みのように浮かんだ疑念を消せないのだ。


「………」

「歯ァ食いしばれよ、テメェ……!」

『やめよ』

「! は、はっ……!」


 立ち上がりかけたタイガーマイトを諫めたのは、やはり暗闇の一声。爆発寸前だった虎の戦士はたちまち水に打たれたかのように大人しく居住まいを正した。煮えたぎるかのような憤怒すら鎮火したかのように感じられない。一瞬前の猛々しさが嘘のようだ。

 タイガーマイトが静まったところで再び声が続く。


『そうか、正義が分からなくなった、か』

「はっ……。俺は、あの少女が悪だとは思えないのです。故に悪は悪というだけで討つべき存在なのか? そう……疑問に思ってしまったのです」


 怯えた少女の顔を思い出す。そうさせたのは自分だ。正義だと思って悪を倒すことばかりを考えてきた。しかしそれが本当に正道だったのか? 何か他にすべきことがあるのではないか? 一度そう思ってしまうと止め処なく溢れてくる。


「悪を倒す。それさえ出来ればヒーローとしての使命を果たせると思っていました。しかしそれは、本当に……」


 そも自分は、何故そう思ったのか?

 確かに悪を倒せば平和は訪れる。だがそれ以外にも平和を守る手段はいくらでもある。先輩ヒーローのように誰かを守ることも、ユナイト・ガードのように市民を避難させることも、立派な正義の行動だ。

 だが自分は、悪さえ倒せればそれでいいと思い込んでいた。それが絶対だと信じ切っていた。

 何故か? それを深く考えようとすると頭が痛くなる。

 なら自分がヒーローを志した動機を思い出そうとするが、それを考えても頭痛が走る。藻掻いて答えを出そうとしても前に進めない。だからといって疑念を忘れることも出来ない。故に迷うしかない。悪へ向けるべき切っ先は鈍り、だから後れを取った。


「自分が戦う理由……それが、分からないのです」


 コンバードはその思いを素直に吐露した。言い訳にしかならない。だがそれが己の真実だ。

 この心中を告白し、もしかしたらヒーロー失格の烙印を押されるのかもしれない。それならばそれでいいという思いも、コンバードの中にはあった。自分はもう、戦えない……そう判断されても受け入れるつもりだった。

 この苦しみを抱えて戦うぐらいならいっそ……。

 コンバードは緊張しながら、沙汰を待った。


『そうか。そうか』


 ……が、闇の中からの声はそれを聞き届けているようには聞こえなかった。


『それならば、簡単だ』


 ずるり。

 闇が蠢く。否、闇の中から何か現われた。それは毛、と呼ぶのが一番相応しかった。

 真白い毛。絹糸のように艶やかなそれが闇より数百本生じ、うねりながらコンバードへ迫った。


「っ!?」


 避ける暇も無く、コンバードはそれに絡め取られる。四肢の自由を奪われ、首を絞められ、指一つ動かせぬほどに雁字搦めにされていく。


「かっ……!」


 コンバードは毛の束に持ち上げられ、そのまま貼り付けにされたかのように四肢を広げ拘束された。苦しそうに呻いてもビクともしない。その内目隠しされ視界すら奪われる。


「………」


 一方すぐ隣の同僚が不可思議な毛に襲われているのにも関わらず、タイガーマイトは微動だにしなかった。苦悶の声が広く響き渡ってもその方を向くことすらしない。まるで最初から見えていないかのように。


「ぐっ……が、あぁっ、頭、が……!?」


 やがて肉体的な苦痛に喘ぐ声音は次第に精神的に苦しむ声に変わっていく。得体の知れない虫が身体を這いずっているかの如く悶える。頭の中からその感覚を振り払おうと首を振るが、成果は上がらずむしろより強くなっていった。


「がっ、あぁっ!!?」

『グロロ。簡単だ。変えればいい(・・・・・・)場所が分かりやすいのは大変有り難い』


 絡まる白い毛は脈打っているように見えた。何かをコンバードへ送り込んでいるような、あるいは吸い取っているような。確かなことはその時間が続くほどコンバードの苦悶は激しく、そして抵抗は弱々しくなっていくことだけだ。


 そして、完全な静寂が訪れる。


『……ふむ、よいか』


 そう声は言い、白い毛は静かになったコンバードをそっと床に降ろした。コンバードはしばらくは死体のようにピクリとも動かなかったが、やがて寝過ごした昼下がりのようにゆったりと起き上がった。


「う、うぅ~ん……」

『目が覚めたか。具合はどうだ?』


 優しい問いかけ。その声にコンバードは、至って元気よく答えた。


「はっ、快調です。流石は御大。ご迷惑をおかけいたしました」


 その言葉、声音に先程の迷いや調子の悪さは一切感じられなかった。まるで人格が切り替わってしまったかのような、別人のような変化。その場に他の人間がいればたちまち怪訝な渋面を浮かべただろう。

 だがここにいる誰もがそれを自然なことと受け止めている。闇の声も、その返事を嬉しそうに迎え入れた。


『おぉ、そうかそうか。ならお前のすべきことはなんだ?』

「はっ。勿論、悪を討つことです! 迷い無く!」

『では捕まえるよう指示を出した少女は?』

「当然捕らえます。それが悪であるなら!」


 そう、コンバードは答えた。瞳は真っ直ぐ揺るぎない。先程とは百八十度翻った意見。それを心の底から信じていた。

 その姿を見届けた闇の声は喉を鳴らして笑う。


『グロロロ。ならばよい。今日はこれで終わりだ。励め』

「はっ!」

「失礼いたします」


 敬礼し、コンバードは踵を返し去って行く。その方向には出口らしき扉があった。タイガーマイトも立ち上がり、共にその部屋から退出する。

 後には闇が広がる空間が残された。

 その中で声は密やかに響く。


『グロロロロ……それでよい。悪を討つ。それだけしていればよい……』


 闇の中で何かが蠢くのが見えた。それは巨大な獣のようにも見えた。

 しかしやはりそれは闇に沈み、全貌は垣間見えない。


『グロロ……さて』


 蠢く何かが一方を振り向く気配がした。


『そろそろお前に出張ってもらうとするか』

「キキッ……いいんですかい?」


 その方向からまた別の声が響いた。そこには誰もいない筈だった。だがまるで闇の中から滲み出すように、何者かの姿が現われた。

 それは猿の面を被った和装の男だった。


「オラの遣り口は、ヒーロー向けとは言えませんぜ……?」

『構わぬ。我が眼前にさえ連れてくれば、後は如何様にでもなる』

「分かりやした……ではご期待に添えるよう努力いたしやしょう……」


 再び猿の面は闇に沈み込む。そうすると、また気配は完全に消えた。

 闇の声は満足そうに喉を鳴らす。


『グロロロ……グロロロロ……』


 奇怪な笑い声だけが響く。

 あるいは、慶事を祝福する鐘の音の如く。






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