「治りそう?」
目覚めたら、灰色の天井が目に入った。
「……知らない天井だ」
「いや知ってるだろ」
間髪入れず隣から突っ込みが入る。まぁね、ローゼンクロイツ本拠は地下故にどこも同じような天井だ。
「……ヘルガー」
「おう、目ぇ覚めたか」
声の方を見ると、カーテンを背にヘルガーが座っていた。
私が上体を起こすと、コップに入った水を差し出してくれる。冷たい水で喉を潤しつつ、周囲を確認する。
どうやらここは、ローゼンクロイツの医務室のようだ。今は私たち以外に世話になっている人間はいないようだが。
そして私は医務室のベッドで寝ていた身だったらしい。私は自分の容態を確認する。
身に纏っていたのは病人服だ。体を触ってみた感じ、外傷はない。手も動く。
……が、足に力を入れようとしてもピクリとも動かない。
「……足が」
「やっぱ無理か。ドクターの見立てもそうだった」
溜息をついてヘルガーは私のカルテを差し出す。目を通すと、『下半身麻痺の可能性大』と記されていた。
どうしてこうなった? 確か私は、ビートショットの出現範囲内の遊園地に襲撃を仕掛けて、それから……。
「クルセイダー君がやられて、追いつめられて……そっからの記憶が無い」
「だろうな。お前はずっと気絶していた」
「どうなった?」
私の質問に、ヘルガーは答える。
「お前はビートショットの超電磁ソードを喰らった。その際お前は意識を失って、ビートショットは倒したと誤認したのか超電磁ソードをお前からすぐ離した。まぁ俺が迫っていたという理由もあるんだろが」
「ヘルガーが助けてくれたの?」
気絶した私を抱えてビートショットから離脱できるのは、あの場にはヘルガーしかいない。
「まぁな。そんで第一小隊を使って撹乱し、第一小隊のイチコマンダーと共に装甲車に乗り込んで脱出したって訳だ」
「そう……。損害は?」
「分かってるとは思うが第二小隊のイチゴ怪人は全滅。第三小隊のイチゴ怪人は二体の損失に収まったが接収した金品も半分を失った。第一小隊も離脱の際に半分くらい殿にしたな。もっと上手く指揮できればよかったんだが」
「いや、私がやってもそうなっただろうし、いい判断だったよ」
あの状況から、よく離脱できたものだ。それにイチゴ怪人は失ったが人的被害は皆無だ。戦果は遊園地の破壊と半分まで目減りしたとはいえ強奪出来た金品。それにビートショットをある程度追いつめたデータと実績。誇るべき戦果と言えよう。
「……それで、私の足は」
「ドクター曰く、本人の意見が無ければ断定できないって話だったが……どんな感じだ?」
「下半身全体がピクリとも動かない。ただ感覚はある。金縛りみたいだ」
下半身の感覚がまったく消え失せた訳じゃない。触れば感触があるし、くすぐったさも感じる。けれど動かそうと思っても反応しない。寝起きとか、金縛りに近い感じだ。
「そうか、なら最重度ではないが……けど深刻だな」
「治りそう?」
「改造を受ければな」
「なら問題ないね」
ローゼンクロイツの技術で治せるのなら、また動くようになる。なら支障はないだろう。
「……いいのか?」
「何が?」
「だんだんと戻れなくなってるぞ」
……ローゼンクロイツの改造技術は万能ではない。改造すればそれでおしまいという訳ではなく、定期的なメンテナンスが必要不可欠だ。更に門外不出の技術を数多く使っている為、組織から離れればいずれ体にガタがきて動かなくなる。
つまり改造の深度が進めば進む程組織から離れる事が出来なくなるということだ。
「……構いやしないよ。どうせ総統紋がある限り百合は離れられないんだ」
「お前と総統閣下は違うだろう」
……なんでヘルガーは私を心配するんだ? 分からない。
だが、答えは分かりきっている。
「確かに私と百合は違う。けれど家族だ」
「家族だからって……」
「私は自分の性格が少々エキセントリックであるということを自覚している」
私は普通の女子高生だったが、それでもまったく普通という訳では無かっただろう。少しだけ個性的な面があったと言わざるをえない。
ヘルガーは「少々?」と首を傾げているが構わず続ける。
「受け入れてくれるのは、家族だけだった。だから、私には家族しかないんだ」
私に友人はいない。いた瞬間はあったが、流れ星のようにすぐさま過ぎ去った。
恋人を考える時期には、既に家族第一の思考になってしまっていた。
だから、私にとって最も大切なのは家族で、そして唯一だ。
「両親は立派で、兄もそうだ。庇護が必要なのは、百合しかいない」
そんな百合が悪の組織の総統に選ばれてしまった。だったら、私が助けるしかない。
「……私の存在価値は、百合を助けることでしか証明されないんだよ」
自嘲気味に笑って、肩を竦める。はみ出し者を受け入れてくれるのは、それこそ家族くらいだ。
「……だ、そうですが、閣下」
「え」
振り返りながらそう言ったヘルガーに、私は固まってしまう。だってヘルガーがそう呼ぶ相手なんて、一人しか。
ヘルガーの背後のカーテンが開き、その陰に隠れていた人物が現れる。
露出の多い紅き軍服を身に纏った少女。見間違えようもない、最愛の妹。
「……お姉ちゃん」
大切な家族、百合だった。
「な、なんで……」
私はうろたえた。なんでここに百合が……。
「私がお姉ちゃんを心配しない筈ないでしょう? お姉ちゃんが眠っている間心配して看病させてもらっていたの。でもヘルガーさんが代わるから休んでって……」
「それでお前が目を覚ましたタイミングで顔をお出しになられた気配がしたので、来訪を告げずに黙っていたという訳だ」
だ、だからあんな心配をしたのか!?
私は百合に弁解を始めた。
「い、いやあのね、百合。家族を大切に思うのは一般的なことで……」
「やっぱり、私の所為なの?」
「……それは……」
百合が両目を潤ませて問う。
所為、では断じてない。私の勝手だ。
だが傷付いた要因が百合を守る為か否かといえば、否定はし切れない。
そもそも私がヒーローと戦う理由は、百合を守る為だからだ。
「私が、頼り無いからお姉ちゃんが傷付いて……」
「それは違う……」
否定する私。けどその声は自分で分かるくらいに力が籠っていなかった。
違うと、言い切れるのか? さっきの私の発言は、百合が頼り無いと言っているような物じゃないか。そんな私が百合の言葉を否定する権利などない。
「足、もう動かないって……」
「動くようになるよ。大丈夫だって」
流石にもう一生動かないとなれば私としてもショックだが、改造で治るのならば気にすることは無い。私は心底そう思っている。
「そうじゃない。そうじゃないよ、お姉ちゃん」
けれども百合は首を振った。
……百合の言いたいことは分かる。私が傷付き、悪の組織でなければ回復が困難な状態に陥ったという事実。それこそが百合の心を苛んでいる。
「百合、私は……」
自責の念に駆られる百合を前に、私は言い淀む。私に何か言う資格はあるのか? 仕方ないとは言え、ヒーローと戦いこんな無様を晒している私が。
百合を傷つけない為にローゼンクロイツへ来た。けれど現状、一番傷つけているのは……。
「その辺にしておきましょう。閣下」
助け船は、意外なところからもたらされた。
ヘルガーが私の頭にぽんと手の平を乗せる。
「コイツだって反省していない訳じゃないでしょう。それにあの状況では仕方ありませんでした。なまじ俺に機動力がある分、あの場はああするしか無かった。コイツの判断は間違っていませんでしたよ。少なくとも俺はそう思います」
私の髪を乱暴に撫でつけながら、ヘルガーは言った。
ヘルガーの言葉は、間違っていないと私も思う。
第二小隊が全滅したあの時、最優先でするべきは一番戦闘力の無いイチコマンダーの退避だった。そしてそれが可能だったのは、人一人を抱えても高速で動けるヘルガーだけだ。
客観的に考えても、私の結論は変わらない。
あの場の最適解だっと思う。
もし雷太少年が居ないことに気が付いていたとしたらもっと別の戦術があったのかも知れないが、そこはあの全包囲攻撃を目隠しにも利用したビートショットたちの方が上手だったということだ。気付かなかった以上、アレが正解。
ヘルガーはそう私を擁護した。
「でも……」
「もっと俺が上手くやれりゃあよかったんですがね。どうしてもって言うなら、俺を処罰してください」
「私、処罰したい訳じゃ……」
「じゃあこの話はおしまいでいいでしょう。次が無いよう、俺もこいつも努力する。それが最善だと思いますが」
ヘルガーにそう諭された百合は、複雑な表情をしながらも頷いた。
「そう……だよね。次が無いようにすれば、もうお姉ちゃんが傷付かなくて済むもんね」
「俺も見張りは続けます。総統閣下を煩わせるつもりはありませんから。……そろそろヤクトとの訓練の時間でしょう。行った方が良いのでは?」
懐中時計を取りだしたヘルガーの言葉に百合はハッとした。
「あ、そうだった……。じゃあ、ヘルガーさんお願いしますね! 行ってきます! お姉ちゃん、後でもう少し話聞くからね!」
「行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃい……お手柔らかに」
パタパタと慌ただしく駆けて行く百合。
遠ざかっていく足音に私は安堵の息をついた。
「ふぅ……行ってくれたか」
「今のはイエローカードと見なした方がいいぞ」
「次は無いようにするさ。百合を必要以上に悲しませたくないからね。……それはそうと」
私はヘルガーに向き直る。
「何故庇ってくれた? 正直助かったが……お前が処罰される恐れもあったぞ」
ヘルガーの出してくれた助け船は有難かった。しかし私を庇う行為は普通に考えて代わりに処罰される恐れもある行動だ。無論百合はそれほど厳しい処罰は下さないだろうが、だからといってヘルガーが身を張る必要ないように思えた。
「ん? あー……ほらあれだ。お前が失脚すると俺の立場も危ういからな」
「ああ、そういえばそうだったな」
そういえばコイツは今、私の預かりだったのだ。
成程、そう考えれば納得がいく。上司である私を助けなければ自分にも響くからな。
「あ、そうだ。リンゴ食うか?」
気を利かせたヘルガーが、果物の盛られたバスケット(ヴィオドレッドからの見舞いの品)からリンゴを取り出して言った。
あまり物を食べる気はしないが、そう言うと怒られるだろうからなぁ。
「少しだけ頂こうか」
「おう」
そう言ってヘルガーはほっと息を吐いた。
それはなんだか、先程百合の追及を逃れることのできた私に似ているような気がした。




