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「……もう誰も殺さなくてすみますように」




 パタリと力尽きるように、狛來は川辺の芦の中に倒れ込んだ。骨犬に咥えられて空を舞い、辿り着いたのは知らない場所だった。少なくとも、人気はない。

 息が荒かった。長い時間空を飛び、身体は疲労困憊している。だがそれ以上に、心が弱り切っていた。


「うぐっ……ひっ……」


 仰向けに倒れ、顔を覆って啜り泣く。


「なんで……ひっぐ……どうして……」


 何も分からない。どうしてあんなことになったのかも、逃げてしまった理由も分からない。

 ただ一つ分かるのは、全ての元凶が目の前に佇む存在にあるということだけ。


「お前の……お前の所為でッ!!」


 涙を流したまま身体を起こした狛來は、傍にいる骨犬を睨み付けた。赤紫のオーラを身に纏った骨駆は、まるで忠犬のように微動だにしない。意思があるのかどうかすら、不明だ。

 いや、ある筈なのだ。狛來はそう思った。少なくとも列車での最後の瞬間、何もかも分からないまま力を解放したあの時、狛來はもう何も考えられていなかった。ただただ何もかも嫌で、全てを破壊したかった。自分が助かろうとか、そんなことすら。

 だがその中でも骨犬は助けた。あの時狛來は完全に無思考だった。だから狛來助けたのは狛來自身の意志では無い。ならば、それは骨犬の意思だ。

 だったらこの罵倒も、聞き届けている筈だった。


「何なんだよ、お前は! 何者なんだよ! どうして、ボクにっ……!」


 問う。聞きたいことは山ほどある。

 だが骨犬は答えず、佇むだけだ。


「……なんで答えないんだよ……なんでっ……」


 物言わぬ骨犬に、狛來は何も出来ない。

 拳を振り上げるが、それから逃げる素振りすらしない。

 怒りのまま振り下ろす。だが……


「っ!」


 拳は黒い頭蓋骨をすり抜けた。まるで幽霊のように。

 少しの手応えもない感覚に、狛來は恐怖と無力感を覚える。

 自分は、この骨犬に、本当に何も出来ない。


「……何なんだよ、お前は……」


 虚無に苛まれた狛來は、そのまま座り込み、膝に顔を埋めた泣いた。

 何も分からない。だが――


「どうして……殺しちゃったんだ……」


 取り返しのつかないことをしたことだけ、理解していた。






 しばらくはそうしていた。

 このままいなくなってしまいたいと半ば本気で思っていた。だが身体はシグナルを発する。


「……(くぅ~)」


 鳴り響く腹の虫。どんなに心が追い込まれていても、身体は普段通りのサイクルに努めていた。

 顔を上げれば夕暮れ。いつもなら家でお菓子でもつまんでいるであろう時間帯。その温かな家庭を思い出し、また泣きそうになる。


「お母さん……お父さん……」


 帰れない。それも分かっていた。

 自分はヒーローに倒されかけた。つまりヒーローの敵、怪人と同じなのだ。そんな自分が家に帰ったら、両親に迷惑がかかる。


 立ち上がる。ここずっとはいられない。どこかに行かなければ。だけどそれは、家にではない。

 ならどこに行くのか。


「……ご飯とか、どっかで食べれないかな……」


 小学生で、しかも学校行事の最中だった狛來はお金など所持していなかった。

 周囲にあるのは川と、そして地平まで広がる田園地帯だ。どこかに農家がいるかもしれない。取り敢えずは、そこを目指して。


「……もう誰も殺さなくてすみますように」


 その歳では背負いきれない己の業を自覚しながら、一歩を踏み出した。






 ◇ ◇ ◇






「クソッ、なんたる無様だ……!」


 ユナイト・ガード、日本支部。その一室のテーブルへバニーホップは拳を叩き落とした。ヒーローの膂力に耐えきれるほど頑丈ではなかったテーブルは、そのまま大きくひしゃげる。

 それを見た壁際のパイソンが苛立たしげに言う。


「あぁ、みすみす目の前で悪を……これじゃ御大(・・)に何も言い訳できねぇ」


 パイソンもまた、悔しげに拳を握りしめる。その拳の中で溢れだした毒は機械さえ麻痺させる猛毒だ。


「次は仕留める」


 そう、己の能力に誓った。


 そんな二人の言葉を聞いていたコンバードは、椅子に座りながら顔を上げた。


「しかし、本当に怪人、だったのか?」

「何を言ってるんだ、コンバード!」


 疑わしげなコンバードの言葉に激昂を解かずバニーホップは吠える。


「奴は三人殺し、更に列車を破壊した! 殺人と器物破損! 唾棄すべき悪だ」


 バニーホップは断じた。並べたのは二つの罪。確かにそれは、逮捕に値する罪悪だ。

 しかしそれを、小学生に貸すことに迷いがなかった。

 悪を許さない。

 その点でバニーホップは揺るがず、パイソンも同じだった。


「……だが」


 しかしコンバードは、あの少女が怪獣騒ぎの際に保護した少女であることに気付いていた。

 あの時保護し、避難所へ連れて行った少女。

 ジャンシアヌと合流した時、彼女は自分を怯えた眼差しで見上げていた。まるで怪人を見るような目だと思った。

 ヒーローである自分を、悪の怪人を差し置いて何故。コンバードはその時動揺した。そしてその動揺が、あの少女を見たことでまた再発した。


「俺は……悪と戦っている」


 それは確かな筈だ。

 だが何の為だ?

 考えると、頭痛がした。悪を倒す。そう思えば頭は痛まない。だがその先を考えようとすると、必ず頭痛が奔る。我慢できなくはないが思考の纏まらない痛みだ。故にコンバードはその先を考えることは出来なかった。

 悪を憎む。そうすれば何も心配要らない。だが少女の怯懦の表情が、コンバードにそれを許さない。


 悩ましげにしているコンバードを前にバニーホップとパイソンが痺れを切らしそうになったその時、扉が開いた。

 現われたのは猪の意匠のヒーロー、ウォートホグだ。


「お前たち、御大から指示が出た」

「おう、なんだって?」

「件の少女、ソイツもまたやはり悪だ。しかし拘束せよ、とのことだ」

「拘束だと!?」


 バニーホップが再び机を殴りつける。


「何故だ!? 奴は明確な悪! であるなら撃滅することが正義の筈!」

「……少女の姿をしているのだから、まずは保護すべきということだろう」


 コンバードは自身に言い聞かせるようにそう呟いた。どこかホッとして見える。

 一方でパイソンとバニーホップは不満げだ。


「温いんじゃねぇか? いくら御大の言うこととはいえ……」

「そうだ。討つべきだ。悪を討たずして何のためのヒーローだ!」


 不機嫌そうに唸るパイソンと、まだ暴れたりないと拳を打ち合わせるバニーホップ。ウォートホグはそれに頷きつつも自らの見解を述べた。


「概ね同意するが、おそらくはユナイト・ガードを配慮した建前なのだろう。奴らは滅悪よりも市民の安全を優先している。警察よりも武力が高く稼働性が高い組織といえどそこは変わらないからな」

「甘い奴らだ!」

「そうだな」

「まぁ、仕方あるまい」


 バニーホップはそう断じ、二人も追随する。以前ならコンバードも従っていたが、今日はどうにも頷けない。

 その様子に気付いたバニーホップは怪訝そうな顔を浮かべる。


「どうしたコンバード。覇気が無いようだが」

「あ、あぁ……疲れているのかもしれん。今日はもう上がっても良いか?」

「御大の指示を仰ぐために待機していた訳だからな。いいんじゃねぇか」


 パイソンがそう言うのを幸いに、コンバードは椅子から立ち上がり退室する。疑わしげな視線が背中に突き刺さることに居心地の悪さを感じながらその場を後にした。

 脳裏に浮かぶは、疑問、疑問、疑問。

 自分は、何をしている?


「……クソッ!」


 考えを進めようとすると行く手を阻むように邪魔をしてくる頭痛に苛立ちながら、コンバードは支部の廊下で頭を振る。

 そこへ、一人の男が通りかかる。


「……コンバードか。どうかしたのか?」


 通りがかったのはかつて共に行動したヒーロー、花の銃士ジャンシアヌ。それが変身を解いた青年、紅葉竜胆であった。

 廊下の自販機でジュースを買っていた竜胆はコンバードのただならぬ様子に気付き、声をかける。


「……あぁ、先輩。いや大丈夫です。少し頭痛が」

「そうか。大変だったようだから無理もない。しかし……」


 竜胆は言葉を濁らせた。ブラックエキスプレスで起きた事件については聞き及んでいる。だが新ヒーローとユナイト・ガード側で、見解は異なっていた。

 新ヒーロー側は幾人もの怪人を捕縛、除去した快挙として。

 ユナイト・ガード側は一般市民に数多くの被害を出してしまった忌まわしき過失として認識していた。

 両者には致命的とすら言える齟齬があった。悪を絶対許さない新ヒーローと、市民を守るためのユナイト・ガードの間で連携の歪みが生じ始めている。

 そも事件の発端となった怪人のスパイも、ユナイト・ガードは気付かないフリをしていた部分があった。広くから人を集めた以上スパイが入り込むことは必然で、今回のブラックエクスプレス試乗にはその新たな力を悪の組織たちに見せつけるという狙いもあった。結果的にはあらゆる意味で大失敗に終わったが。

 その認識を、新ヒーローにも説明し、理解していたとユナイト・ガードは思っていた。そうしたら今回の事件だ。

 執拗なまでに悪を憎む新ヒーローたち。

 竜胆はそれを警戒していた。


 コンバードもまた、悪を断ずるべきだという考えなのだろうと竜胆は思っていた。同じ思想であるのは怪獣事件の時に目撃している。

 だが今日のコンバードからは、そんな荒々しい意気が消えているように見えた。


「……コンバード、お前……何か様子がおかしいぞ」

「そうでしょうか。俺はいつも通り……いや」


 そうではないことは流石のコンバードも理解していた。いつもなら悩まない。悪は滅ぼせばいい。そこに何かを考える余地はない。その筈だった。


「……先輩は、あの少女の件は知っていますか?」

「あぁ……狛來ちゃんか」


 ブラックエクスプレスの事件の詳細は大事件であるが故に、ユナイト・ガード中で共有されていた。竜胆も資料を見て驚いた。そこに書かれていたのはあの時保護した少女が殺人を犯したという内容だったのだから。


「にわかには信じられん。しかし新ヒーローもユナイト・ガードも、目撃談は一緒だ。少なくとも何かの力が彼女には宿っていて、それが周囲を害してしまったということは事実なのだろうな。残念ながら」


 沈痛な面持ちで竜胆は頷いた。新ヒーロー側だけの見解なら正直信じられなかった。だが狛來から出現した骨犬が生徒を切り刻んだ瞬間は、壊滅しかけていたユナイト・ガード隊員も目撃しており、信じざるを得ない。

 だがそれが狛來の明確な殺意の下行なわれたということは信じていなかった。


「俺の推測に過ぎないが、何か彼女の意思ではどうにもならない状況になっているのではないかと推察している。力という物は自分の意思で制御できないことも多い。俺にはあの子が明確な悪であるとはどうしても思えないんだ」


 竜胆はどうしようもなく悪の力が宿ってしまった例を知っていた。百合だ。愛する妹はその気質とは正反対に、悪の組織の総帥として君臨してしまった。総統紋が適合してしまったが故に。

 悪が許せない気持ちは竜胆にもある。だがそういった人間まで恨む気持ちは竜胆にはなかった。


「……そう、ですか。そうですよね」

「コンバード?」


 竜胆は眉根を上げた。同意されるとは思わなかったのだ。竜胆の知っているコンバードなら、ここは悪は悪と断じてくるところだ。だが今日はかなり素直に同意した。

 軽く目を瞠って驚く竜胆を余所に、コンバードはふらりと廊下を進み始める。


「悪は……だが悪とは……」


 左右に揺れながら去って行くコンバードの背中に、竜胆の胸には一抹の不安が過ぎった。

 そしてそれは疑念に変わる。


「新ヒーローは、いやヒーロー育成計画は本当に……正義なのか?」


 自身の残した呟きに、竜胆は決意する。

 この真相は、曝くべきだと。






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