「お前が保護すれば、あの娘は本物の怪人だぞ」
「エリザッ!」
床が、天井が、座席が切り刻まれていく。数え切れない程の裂傷が刻まれ、客車はズタズタになっていく。その脅威が襲い来る寸前、私を庇ったのはヘルガーだった。捕まえるように抱きしめられ、横へすっ飛んでいく。
運が良いのか悪いのか、丁度その時斬裂によって壁が崩落した。私とヘルガーは外へと繋がる穴へ呑み込まれていく。
列車から落ちる寸前、最後に見たのは骨犬が狛來ちゃんを咥えてどこかへ飛び去る姿だった。
それを目撃した直後、私は衝撃に気を失った。
次に目を覚ました時には、私は草むらの上で寝かせられていた。
「うっ……何時間経った?」
「まだ十分ほどだ」
私の隣にはヘルガーがいた。気絶した私を守って周囲を警戒してくれていたようだ。
チラリと私に目を向けて容態を確認してくる。
「怪我は?」
「大……丈夫みたい。庇ってくれたおかげだね。ありがとう」
「それが俺の役目だからな」
助けてくれた礼をして立ち上がる。落下の衝撃に気を失ったものの、ヘルガーに守られていたおかげで打身などは無い。起きたばかりで少しふらつくが、それもしばらくすれば消えるだろう。
今いる場所は、どうやら郊外の森のようだ。森の端に出ると、盛り上がった土手に線路があるのが見える。列車から転げ落ちたすぐのところらしい。肝心の車両の姿はない。
「ブラックエクスプレスは?」
「そのまま走って行った。刻まれたのは壁や床の一部で、脱線はしなかった。後方車両が切り離されることもなかったな」
「なら、一先ずは良かったというべきか……」
あの車両には逃げ切れなかった数人の生徒がいたが、新ヒーローと戦っている内に車両の端には逃げていた。あの斬撃に巻き込まれた可能性は低いだろう。そして新ヒーローも残念ながら死にはしない。狛來ちゃんはもう、あれ以上殺めることは無かったのだ。一応、良かったと言って良いだろう。
「……これからどうする?」
ヘルガーの問いに、普通に答える。
「撤収だな。本部に戻ろう。今回の騒ぎで世間もヒーローも、それから悪の組織もざわつく筈だ。現場の一次情報を伝え対応を練る必要がある」
「そうじゃねぇだろ」
私の答えに満足いかなかったヘルガーが苛立った声を上げた。……まぁ、私も分かっている。
噛み締めるように呟く。
「……普通の子、だった筈だ」
「あぁ、俺も見ている。怪獣騒ぎの時は、だが」
そうだ、あの時は普通の子どもだった。……いや、もしかしたら片鱗は見たのかもしれない。だが開花したのはついさっきだ。
追い詰められなければ、きっと一生目覚めることはなかっただろう。
「……逃げたのは見た?」
「あぁ、見た。あの犬、結構動けるようだ」
「みたいだね……」
最後に見た狛來ちゃんは、犬に咥えられて飛び去った。おそらくは無事。あの骨犬の力はかなり強いように感じた。列車から飛び降りる形になったが、それでどうにかなるとは思えない。それに狛來ちゃんに寄生、あるいは憑いているのかは分からないが……少なくとも彼女の命を守ろうとした。なら宿主の命を脅かすような行為はしないだろう。だからきっと生きている。
問題は、その後だ。
「新ヒーローに目撃されて、おそらくは怪人として指名手配されるだろうね。ブラックエクスプレスの事件は未曾有の大惨事として世間のニュースとなる。警察もユナイト・ガードも、捜査の手を緩めるとは思えない……」
そうなれば当然、狛來ちゃんの身に危険が及ぶ。まず両親の元へは帰れない。公共機関を使うことも難しい。従って彼女は一人で生きていかねばならない。
小学校を卒業もしていない彼女が独力で生活するのは……ハッキリ言って無謀だ。
「……保護、しなければ」
「いいのか?」
ヘルガーの問いは色々なものをすっ飛ばした問いかけだった。
何故ローゼンクロイツが異能を持っているとは言え見ず知らずの少女を保護しなければならないのか。
どうしてわざわざ危険を冒してまで新ヒーローたちと対立する道を選ぶのか。
そんな疑問を全部、私ならやるだろうという理解で省略した。
そしてなお問いただすのは、確認だ。
「お前が保護すれば、あの娘は本物の怪人だぞ」
「………」
そうだ。
私が狛來ちゃんを保護すれば、彼女は怪人として認定される。
それはヒーローたちからだけではない。悪の組織からも認識される。そうなればもう、元の生活に戻るのは困難だ。
美月ちゃんの時は、ローゼンクロイツの総力を挙げれば何とか出来た。偽装、資金、別の身分の用意。それでどうにかなる。しかしそれは、あくまで美月ちゃんが黒死蝶として暗躍し、そして誤魔化すのが表の、赤星の娘としての身分だったからだ。つまり悪の組織からはターゲッティングされていない。
だがこうまで大騒動を起こした狛來ちゃんを私が保護すれば……間違いなく、悪の組織にもバレる。何故ならエクスプレスには怪人も同乗していたのだから。潜んでいた全員が捕まったということは無いだろう。狛來ちゃん顔はきっと割れている。あるいは目撃した生徒たちから漏れ聞こえる。
裏に精通した悪の組織からも隠れて表に返すのは、ローゼンクロイツといえども難しい。
私が保護するということイコール、怪人としての一生が決定づけられてしまう。
それは不幸だ。普通の生活が剥ぎ取られる、転落人生の始まりだ。
だが……。
「……もう彼女は、殺めてしまった」
私の目の前で、惨劇は起きた。
瞬く間に三人と一体の命を奪った殺戮。明確な殺意を以てやった訳では無いだろう。だが出来てしまった。不運にも持ち合わせた力の所為で。
その罪悪感は、どれほど彼女に重くのし掛かっただろう。
「なら悪として生きる方が、楽かもしれない」
いっそ、悪として。
社会に帰って裁かれるくらいなら、本当に悪の怪人となってしまった方が気が楽かも知れない。
ローゼンクロイツなら彼女は責められる心配は無い。だって周りの怪人たちはもっと人に害を為している。私だって、怪人には手を下した。
少なくとも悪の組織でなら、彼女の罪は、罪じゃない。
「……また抱え込む気か」
ヘルガーが溜息をつく。
確かに、私は似たようなことをしてきた。はやてに、美月ちゃん。そして百合。表では幸せに生きることが出来ない子たち。彼女らの為の居場所を作ること。それも私がローゼンクロイツで摂政をやっている理由の一つだ。
正義で生きられないなら、悪で幸せになった方が良い。
それが、悪の組織に身を置いて私が育んだ価値観だった。
そしてヘルガーもそれが分かっているから、質問を省いた。私が止まらないことも、分かった上で。
「そういうことだ。さて大変なのは、総統閣下に許可を貰うことだな」
私は思いきり伸びをし、次に待ち受ける試練に備えた。
狛來ちゃんを追いかけるのは確定事項だ。だが一度本部に戻り、百合に許可を願わなければならない。
それが大変そうだ。また負傷やトラブルが連続しているから、百合に心配されるかもしれない。いや絶対される。今度こそ謹慎を食らうかも……。
そうならないよう、今から反省文や説得の甘言を考えておく。
「まぁ、あの子が悲しむよりずっとマシか」
狛來ちゃんの表情を思い出し、目を瞑る。
怪人が迫ることによる怯懦。己から湧き出る力への困惑。殺してしまったことへの、絶望。
あれをあの子の最期の表情にしたくない。
その為なら新ヒーローとも戦ってみせるさ。
「苦労は慣れている。女の子の尻を追いかけるのもね」
覚悟は決まった。やるだけだ。
私は踵を返し、ヘルガーと共に本部へ帰還した。




