「いや、悪い人だよ」
普通に考えたらヒーローが一人増えた状況なんて絶体絶命だ。だけど私は心からホッとしている。来てくれたのが竜兄ということもあるけど、何より話がまともに通じるヒーローが来てくれたことに、だ。
「コンバード! 攻撃を中止しろ! ウェブデロスは200mも離れていない。奴らが少しでもよろければ巻き込まれるぞ、こんなことをしている暇はない!」
「分かっていますよ、先輩! だからこうして怪人を速攻で倒そうと……!」
「いやお前は分かってない! こんな議論をしている暇も無駄だ!」
ジャンシアヌは率いてきたユナイト・ガードから離れ、コンバードの隣に歩み出た。私に一瞬だけ視線を向ける。心なしかその視線は、「またか」と疲れた声で呟いているようにも見えた。いつもすみませんね。
未だ攻撃態勢を解かないコンバードに対して竜兄は声を荒げる。
「避難はまだ完了していない! なら怪人など二の次だ。市民の安全が第一優先! 今回の任務の前にそう徹底した筈だが」
「ですが奴らは怪人です! 人質を渡す訳がありません!」
「そう、聞いたのか?」
「悪の甘言など聞くわけがありません」
「……はぁ、お前という奴は……いや、分かった。もういい」
竜兄は深いため息をついた。なんというかその、同情するよ。どうやら新ヒーローの件で苦労を背負い込んだのは悪の組織だけでもないらしい。
「先輩!」
「黙って見ていろ」
ジャンシアヌはコンバードを諫めるように間に立ち、私へ向けて手を突き出した。
「怪人! その子を引き渡せ。大方、『偶然見つけた見知らぬ少女を攫って実験材料にでもしようとした』のだろうが、ヒーローに掴まっては元も子もないだろう」
……上手いな。渡しやすい言い訳を私たちにくれた。その方便に有り難く乗らせてもらおう。
「あぁ、まったく運が悪いね。ドサクサに紛れての悪事はするもんじゃない。やっぱりやるなら堂々と、だね」
「それもどうかと思うが」
呆れる竜兄は置いておき、私はヘルガーへ視線で合図し二人共構えを解いた。敵意がないことをアピールする。コンバードは竜兄が抑えてくれている。ここは平和的に解決するのが吉だ。
防御態勢を解除し無防備になった私たちに、一瞬コンバードがいきり立つように羽根のマントを膨らませたが、竜兄が手で遮って留めた。厳しい視線がコンバードをバイザー越しに刺し、羽毛は萎んでいく。
安全だと判断し、私はヒーローたちの方向へ向け狛來ちゃんの背中をそっと押した。
「えっと、あのっ」
「大丈夫だ。あっちの鳥頭は怖いだろうが、花の人は理知的で安心できるヒーローだ。あの人にくっついていけば、すぐ親御さんと会えるよ」
戸惑う狛來ちゃんへ、こっそりと耳元で囁く。狛來ちゃんがご両親と再会するのならこれが最善の道だ。
「……行かなきゃ、駄目ですか?」
それでもなお、狛來ちゃんは躊躇いを見せた。コンバードの攻撃に巻き込まれかけたのがそれ程怖かったのだろうか? でも……
「……私たちと一緒にいていいことなんて何一つない。私たちは所詮悪の組織で、君を守ってくれるのはいつだってヒーローだ。今日のことは気まぐれで、もうあり得ないと思った方がいい」
悪の組織の怪人とこれ以上仲よくなるのはこの子の為にならない。悪評が立ってしまうかもしれないし、そして何より、この子が悪の組織は安全だと覚えてしまってはいけない。
悪の組織は結局、人が顔を顰めるような悪事を繰り返すのがお仕事なのだから。
狛來ちゃんは寂しそうに俯き、ポソリと呟く。
「また……会えますか?」
その問いに、私は頷く訳にはいかなかった。
「……一夜の夢を、また見てしまっただけさ。悪夢はもう、見ない方がいい」
私はその言葉を最後に、狛來ちゃんの背中を強めに押し出した。躓きながら数歩踏み出した狛來ちゃんが振り返るより早く、私は軍服を翻しながら踵を返す。
「ではヒーロー諸君! 今度は真っ当な悪事で会おう!」
飛べない私はヘルガーに抱えてもらい、その場を後にした。
振り返りはしない。もうあの子は、会うことはない子から、会ってはならない子になったのだから。
◇ ◇ ◇
「待て!」
「お前が待て!」
あの人を抱えた狼男が大きくジャンプしビルの壁を蹴って去って行くのを、少女は、狛來はぼうっと見上げていた。
すぐ傍では、追いかけようとする鶏冠のヒーローを花兜のヒーローが肩を掴んで止めている。
「何故です! 怪人を逃がすなど、あってはならない!」
「優先順位を考えろ! この子を無事に避難させるのが先だ」
いつの間にか狛來の肩には花兜のヒーローの手が置かれていた。優しい手つきだ。まるであの人を思い起こさせる。
「ですが……!」
「……撤収する。ユナイト・ガード班は先行し危険が無いルートを探せ。コンバードはその上空を飛び他の民間人がいないか監視を厳にしろ。いいな?」
「………」
「いいな!」
「……はい」
鳥のヒーローは渋々頷き、翼を広げて飛び立った。その方向はあの人たちが去った方向とは真逆だ。
鶏冠のヒーローが飛んでいき、黄色い制服の人たちもいなくなり、近くには花のヒーローだけが残る。
「ふぅっ……君、親御さんは?」
「あ、その、はぐれちゃって……」
その口調がどこかあの人に似てるな、と思いつつ狛來は答える。不思議と、もうこの状況を怖いとは思わなくなっていた。
怪獣はまだ見えるところで暴れている。周りは崩れたビルだらけで危険が一杯。お父さんお母さんにもまだ会えてない。……でも怖くない。どこかのんきで、むしろ楽しくなるような気持ち。あの人と一緒にいた時にも感じた、もう何も心配する必要はないと言われているかのような、温かい安心感に包まれていた。
「そうか。避難所に行けばすぐ会えるだろう。……災難だったな」
「あ、違うんです!」
同情するその言葉に、狛來は首を振った。誤解されていると思ったからだ。
「ボク、あの人たちに酷いことされてません! あの人は、エリザベートさんは……!」
それだけは、伝えたかった。
あの人は自分を助けてくれたのだと。あのままじゃ怪人に踏み潰されていた自分を抱きかかえ、決して傷つけないように守り続けてくれた。だから自分は、無傷でここにいられてる。
怖いことは、酷いことはされなかったと、誤解を解かなくてはならない。そう意気込んで、花のヒーローへと訴えた。
「エリザベートさんは、悪い人じゃありません!」
「いや、悪い人だよ」
しかし花のヒーローは即答した。有無を言わさぬ論調だ。
狛來が反論しようと口を開く、より早く、花のヒーローは首を横に振った。
「……悪い奴さ。怪人ってのは、そうじゃないといけない。アイツにとっても、だ」
「えっ……?」
「悪の組織ってのは複雑怪奇で、悪い奴じゃないと生きられないんだ。中途半端にいい奴って知られるよりも、とことん悪い奴って言われた方がいいことなんだ。だから、アイツは悪い奴だ」
その声に、悪い感情は一切乗っていなかった。ただただ誰かを案じる声音。それが何故なのか、狛來には分からない。ただ分かったのは、あの夜あの人の言ったようにきっと今日のことも誰にも言わない方がいいということ。だからもう一度だけ、あの人と同じように優しいのであろうこの人にだけ、念を押した。
「でも、本当に、酷いことされなかったんですよ……」
「知ってる」
花のヒーローはそれも即答した。エリザベートが去った方を見つめながら。
「知ってるよ。そんなことは」
その声は、やっぱり優しかった。
やがて怪獣はオーバーナイト必殺のメガブラストを受け爆発四散し、その日の騒動は終結した。
狛來が無事避難所に辿り着き両親と再会するのはその四時間後のことだった。




