表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
153/281

「ごめん、なさい……百合、ごめん、ねぇ……っ」




 学校から百合が消えて失意に暮れている(みつき)は、唐突に嫁ぐことを決められた。勿論、私の意思なんて介在していない。

 婚約が決まって、ようやく私と赤星は顔を合わせた。


「お前の使い道が決まった」


 執務机越しに合わせた顔は確かに私と同じ面影があった。微かに抱いていた、血が繋がっているという話は嘘じゃ無いかという願望は完全に断たれた。そして同時に、愛されているという可能性もまた潰えた。物を見るような冷たい瞳の所為で。


「日本で有数の重工業の御曹司に嫁がせることにした。計画されている都市開発に参入する為には必要な行程だ。向こうも昴星官との間に太いコネクションが結べると乗り気のようだ」


 やはり政略結婚だった。分かっていた、自分はただの道具として引き取られたのだと。


「別腹の子ということにも向こうは了承してくれた。一応顔も及第点だからな。向こうからすれば器量よりも横に置いて不足の無い容姿の方を気に入ったのだろう」


 それでも、まるで贈答品のように捧げられることに心が軋んだ。

 私は……私は、何なのだろう。

 夢見崎美月という人間は、一体何なのだろうか。

 ただの政略の道具? パーティに連れ歩くアクセサリー? 今まで苦境に耐えて頑張ってきたのも、全部、この為に?

 他人の道具になるために生まれて、生かされて、そして死ぬの?


 ――百合とは、まるで違う。


「来週に形ばかりの見合いをして婚約を決定し、お前が適齢期になったら結婚だ。高校の方は退学で構わないということだから――」

「……ゃだ」

「何?」


 母と一緒に居たときはずっと楽しかった。いい暮らしでは無くとも愛されて幸せだった。しかし今は、ずっと不幸せだ。物質的には満たされても、心は空虚なまま。そして未来すらも剥ぎ取られ、他人の道具にされようとしている。

 それでいいの?


「――嫌だ、嫌だ! 私は、幸せになりたい!」


 母との過去を思い出し、その時の幸せを渇望する。自由に羽ばたける未来を希望する。そして、不自由な現実を否定する。

 心からの慟哭。けれど、赤星は冷たい目のままだ。


「……お前が何を言おうと無駄だ。今まで食わせてやったのは何故だと思っている。それすら分からない頭に落ちこぼれたようなら、いっそしゃべれないように加工するか?」


 最早赤星にとって私は人の形をした贈り物に過ぎない。どんなに言葉を尽くしても無駄だ。

 なら、力が欲しい。この現実を壊す力が。理想を造り出す、力が。


「誰、か――」


 その先に続けようとした言葉を、私は思い出せない。赤星の背後にある本棚が輝き、眩い光を発したからだ。


「何? うおっ」


 突如自分の前に長い影が出来たことに驚き、振り返った赤星が目を覆う。


「っ!!」


 それを横目に私は本棚に駆け寄り、光源に手を伸ばした。何が起きているかは分からない。けど、これの逃せば私は一生人形のままだと思った。

 光っていたのは一冊の本。手に取った瞬間に光が和らぎ、見えたタイトルは『異世界幻獣見聞録』。

 私は直感した。

 これが、力だ。


「お願い!」


 私は祈りながら本を開いた。開かれたページの文字は淡く輝いている。ラテン語で書かれたその文字を、私は読み上げた。


「イザヤ!!」


 名前を唱えた瞬間、私の中に何かが入ってくるのを感じる。心に染み込むようなそれは、何かと繋がったということなのだと私は何となく理解した。

 本の文字が浮き上がり、形が生まれていく。虫の身体となり、文字の浮かんだ翅となり、そして感情を映さない虚ろな複眼になった。まるで今を認識していない空虚な瞳。けれど私にはそれが、ここでは無い遠いどこかを見ているかのようで、きっと自分が憧れた目なのだと思った。

 今じゃ無い。過去と未来を肯定する力。


「お前、何を――!」

「っ、ひっ」


 ようやく目が回復した赤星が私に手を伸ばす。それに恐怖を感じた私は、繋がった感覚をそのまま振るった。

 イザヤの身体から節を持った虫の足が伸び、赤星の首を掴む。


「ぐえっ」


 あっけなく赤星の身体は宙に浮いた。ギリギリと締め上げる音が聞こえてくる。赤星は白目を剥いていた。苦しんでいる。さっきまで私を道具と見下していたあの男が。


「ぐ、おげぇっ」

「……あ」


 赤星の顔は苦悶に歪んでいる。涎を垂らし、口を開閉し、足をバタつかせて無様に抵抗している。もう少し力を入れれば首がへし折れてしまう、そんな姿を見た私、は――


「……あはっ」


 笑みを浮かべた。

 これが、力だ。今を否定する力だ。

 これなら、望む物が手に入る。


「イザヤ、造って」


 どうすればいいかは、心の繋がりが教えてくれた。私は執務机の上に置いてあったインク壺を開けイザヤに差し出す。イザヤの翅の文字が薄く光ると壺の中のインクは宙に浮き上がり、薄く、薄く伸ばされていく。その間に私の意識は遠い旅をする。現実では一瞬の、数多の歴史を辿る永い旅。可能性を切り抜き、現実に造り出す能力。

 インクが固まり現われたのは赤星とそっくりの等身大。

 黒いそれは、私が望めばしゃべりだす。


「……ん、おぉ、美月か。どうしたんだ、勉強で疲れたのか? もしそうなら少し休むといい。誰もお前を咎めたりしないよ」


 インクで出来た人形は、私の望む言葉を口にした。

 これは、細い可能性から作り上げた赤星のifだ。私に優しい、理想の父親となった赤星の姿。ずっとずっと昔まで遡って、延々と遠い可能性を辿らなければあり得なかった、普通の父親。その遠さは、どれだけ本当の赤星が私を愛していないのかを私に知らしめた。


「う、ぐ……うぅ」


 やがて、赤星は意識を失った。

 理想とはまるで遠いクズを投げ捨て、私は複製した赤星と向かい合う。


「……お父、さん」

「なんだ美月? どこかに出かけに行くか?」


 慈しむような目を向ける、理想の父親。夢にまで見た、私を普通に愛してくれる家族。

 だが、それを前にして私は、


「……ははっ」


 自嘲しか湧いてこなかった。

 こんなの、偽物だ。こんなものを作ったところで嬉しくもなんとも無い。胸の空虚がより広がっただけ。

 力を得た充足感と、相反する飢餓感が私の心を支配する。

 自由にはなった。けど欲しかったもの(かぞく)は手に入らなかった。幸せってなんだ? 分からない。イザヤはそこにいるだけで何も教えてくれない。

 どうしたら百合みたいになれる? 満たされて、誰も恨まず、いつも笑っていられるあの子みたいに。

 どうすればいい? どうすればいいの?

 分からない。何も分からない。


「あははははっ!!」


 ただ、笑うしかなかった。私にマネできることはそれしか無かったから。

 でもそれすらも、偽物だった。






 ◇ ◇ ◇






 それから私は昴星官日本支社の掌握を始めた。

 理想の父親を代役に立て、赤星は監禁した。死んでも別に良かったが、もう二度と理想の父を複製出来ないと困る。何故なら複製の赤星は私の言いなりで、どんな権限もこいつがいれば手に入れられたからだ。

 昴星官で活動しながら、支社の使われていない地下を拠点にインクを蓄えた。昴星官の系列を使えば足も付かない。手狭になると、山奥の水利施設に移った。

 これらは、力だ。力が無ければ私は何も出来ない人形のままだ。何をすればいいか分からなくても、力は蓄えておくべきだと思った。


 イザヤの力も検証し、理解を深めた。

 複製にはインクが必要なこと。記憶の複製には対象者の知人の記憶だが、可能性の複製は本人だけでいいこと。強い存在を作ろうとするとそれだけ大量のインクが必要になること。一度倒されて溶けたインクは再利用不可能なこと。そしてイザヤは自分のことを記された書籍やデータに潜り、盗聴紛いのことを実践できること。

 知れば知るほど、制限が多い代わりに強力な能力だと思い知る。インクさえあれば誰にも負けない力だと思った。そして昴星官の財力なら大量に用意出来る。

 誰にも負けない力だ。そう確信し、私は安心した。もう誰にも私の自由を奪わせない。

 けど、幸せになれるかは……まだ分からなかった。


 そんなことをしていると、昴星官にとある秘密部署があることを知った。

 私設部隊。要するに軍隊だ。昨今流行の悪の組織に対抗する為作り上げた部隊のようだった。あるいは、悪の組織の真似事をする為か。

 だが本当の力を持っている私からすればままごとみたいな組織だった。一応訓練を見学して複製出来るようにはしたが、雑兵程度にしか役に立たないだろう。

 複製を得れば後は不要と解散を命じたが、残されたデータに目を瞠る物があった。


「お姉さん……?」


 そこには悪の組織ローゼンクロイツの新たなる幹部、エリザベート・ブリッツの情報が載っていた。悪の組織の真似事をする為に、悪の組織の情報を集めていたらしい。

 顔を見た瞬間、すぐに分かった。この人は百合のお姉さんだ。目の色が変わって変な格好をしているけど、間違いない。

 だが……私は疑問に思った。

 あの人が、百合を置いて悪の組織なんかに加担するだろうか。百合を何よりも大切にして、それ以外に活動しているところを見たことが無いあの人が?

 答えは、否だ。絶対にあり得ない。

 だとすると何故か? きっとこれも、百合の為なのだ。

 私はローゼンクロイツについて調べた。すると組織の長は代替わりする時、総統紋の適合者を総統に迎えるとあった。

 私は確信した。百合が選ばれたに違いないと。だから学校に来なくなったのだと悟った。


「百合が、悪の組織の総統に……?」


 ……憎い、と思った。

 私は力を手に入れて安心した。幸せは無い。けれどこれで誰にも私を侵害させずに済むと。

 しかし百合は、それ以上の力を手に入れた。本物の悪の組織、総統の能力、そして、妹のために幹部になったお姉さん。

 私以上の物を、こんな簡単に手に入れている。

 憎しみが湧かない筈が無い。


「でも、どうしようもない」


 憎くても、何も出来ない。百合が私の欲しいものを何でも手に入れるのは当たり前で、私がどう頑張っても百合を曇らせることは出来なかった。だからいつものことだと、諦めようとした。

 肩に留まっているイザヤが目に入るまでは。


「……そうだ、私には今、力がある」


 成績でも運動神経でも無い、本当の力。

 これがあれば、そうかこれがあれば。

 私は……百合と同じになれるんだ。


「――奪ってやる」


 百合の持つ全てを。

 蹂躙し、簒奪し、剥ぎ取ってやる。ローゼンクロイツも、お姉さんも手に入れてやれば、後に残るのは他の誰かがいなければ何も出来ない百合だけだ。そんな彼女の表情を歪ませるのは、きっと容易い。


「……あははっ!」


 今度は心から笑えた。

 これからは、私が百合になるんだ。






 そうと決めた私は早速工作に乗り出した。まずは傭兵怪人を騙し、良質な複製を増やすことにした。元々彼らを金で集めようとしていたのか、情報は豊富だった。そんな彼らを欺き、捕らえることで複製怪人の質は向上した。

 そして自作自演で昴星官コーポレーションを襲わせた。事件が無ければローゼンクロイツとは関われない。多分百合を引き出すには私の名前と、ローゼンクロイツと組むことが必要だ。私の複製たちを架空の悪の組織に仕立て上げ、それに対抗する為にローゼンクロイツを雇う。そうすればきっと、百合もお姉さんも引っ張り出せる。あの赤星が支社長を務めていた会社だ。心は痛まなかった。

 十分な損害を出したら今度は昴星官コーポレーションのコネクションを総動員しローゼンクロイツとのコンタクトを取った。そして、計画はスタートした。


 順調だった筈だ。お姉さんを攫い、百合を引き摺り出して、孤立させる。後は百合に出来ることは何も無い。総統紋があっても百合に戦うことは出来ない筈だ。

 その筈だったのに。


 百合は戦った。本当はすごく苦手で、傷つけることも嫌いなのに。それでも百合は私に挑んだ。

 どうして? 百合は、他の人がいなければ何も出来ない、ただ優しいだけの少女の筈なのに。それなのにどうして、百合は私と戦える?

 そして、圧倒的だった。私は簡単に敗北し、正体を明かした。その時の百合の表情は私の仄暗い感情を満たすものではあった。だけど、直後に駆けつけたお姉さんや他の怪人がまた私を阻む。


 追い詰めても追い詰めても、百合を守ろうとする人が必ず現われる。

 どうして? どうしてみんな百合ばっかり!


「――君は、百合になれない」


 そんなことない! 百合の持っているものを奪えば、私も百合と同じになれる!

 お姉さんの言葉を拒んで、恨み、憎んだ。手に入らない物ばかりを羨んで、現実を認めずに暴れ続けた。


「美月ちゃんが、友達だからだよ!」


 それでも百合は、そんな私を傷つけなかった。最後まで私を、友達だと言い続けた。私に酷い事をされたのに、大切なものを奪われかけたのに。それなのに私のことを抱きしめて。

 認めざるを得なかった。悟らざるを得なかった。

 百合がこんなにもたくさんの人に囲まれているのは、百合が百合だから。優しいのも、まだ私のことを友達と言ってくれるのも、夢見崎美月じゃ無くて紅葉百合だから。

 私には最初から手に入らなかったものなんだ。

 私の手に、あったものは――


「ごめん、なさい……百合、ごめん、ねぇ……っ」


 親友の手だと、今知ったのだ。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ