「百合が忘れちゃ駄目でしょ。いつも傍にいたんだから」
オールブーケ・フォームとなったジャンシアヌがまず行なったのは蔦を伸ばすことだった。黒い蔦が闘技場の端と端を結び、蜘蛛の巣のような足場を作り出す。飛行出来ないという不得手を真っ先に打ち消した。駆け出すジャンシアヌ。器用なバランス感覚で両手に武器を構える。盾槍、レイピア。ライラックフォームとジェンシャンフォームの武器。強力な近接武器を手にしたジャンシアヌは百合の迎撃を盾でいなしながら前進する。標的は……私か!
「くっ!」
迎え撃つ為に紫電を放つ。しかし百合の攻撃が効かないのなら私のものはより通らない。だから私は足場を、ジャンシアヌの進行方向の蔦を攻撃した。足を止めれば、やりようはある。電撃はジャンシアヌの進路上の黒い蔦の上に着弾し、火花が散った。……だが蔦は何も変わりなくそこにあった。
「あーもー! 固すぎるよ!」
ジャンシアヌは止まらない。妨害に失敗した私へ容赦なく詰め寄り、間合いまで迫られた。十全に攻撃が届く至近距離。まず私を襲ったのは盾槍の刺突。
「うっぐぅ!」
私はそれをサーベルと義手でなんとかいなした。逸らすだけでキツい。重い一撃だ。全身が痺れる。
続いてレイピアが唸る。細い刀身は盾槍程の重量を備えていないが、故に鋭く速い。狙いを心臓と見切り胸を反らして回避を試みるが、衝撃の痺れが残る身体では躱しきれず、胸元を浅く斬られた。
「っつぅ!!」
「お姉ちゃん!」
出血した私に血相を変えた百合がジャンシアヌと私の間に割り込む。レイピアの追撃を片手で叩き落とし、カウンターで反重力を叩きつけた。さしものジャンシアヌも吹き飛ぶが、足場から滑り落ちるような間抜けはせずに踏みとどまった。しかし距離は開いた。百合が振り返り私の無事を確かめる。
「お姉ちゃん大丈夫!? 血が……!」
「いや、平気だよ。それ程深くはない」
横一文字に裂かれた衣服には血が滲んでいる。だが刃傷の程度は薄皮一枚より少し深い程度だ。臓器を傷つけ命に関わるような傷では無い。出血はあるがまだ戦える。
「それより百合。あの能力てんこ盛りはジャンシアヌの最強形態だ。迂闊にしていると百合でも危ないから気をつけて」
「最強形態……うん、注意する。それで、弱点とかはあるの?」
「燃費が悪いとか、りゅ……ジャンシアヌは言ってたな」
シンカーとの決戦時、竜兄の言っていた言葉を思い返す。確かすごい勢いで消耗するとか言ってたな。まぁ全形態の力を使うんだ、さもありなんといったところだが。
竜兄は太陽光を存分に浴びられる雲の上でギリギリ使えると言っていた。今の天気は晴れてはいるがまばらに雲があり、日差しはあまり強くない。ならこの黒いジャンシアヌは早々に限界が来る筈。
そして百合がいるなら、複雑な策を弄する必要もない。
「攻撃を耐え続けて、動けなくなったところを叩くよ」
「分かった!」
私たちはジャンシアヌの作った足場へと着地した。オールブーケ・フォームの攻撃を真正面から受け止めるのなら少しでもリソースは絞った方がいい。
百合に庇われながら胸の止血をする。その隙に、ジャンシアヌは攻撃体勢をとった。
出現するのは巨大な大砲。シンカーとの戦いの時も見た、複数のフォームの合わせ技だ。リリィフォームの射撃武器とライラックフォームのパワーが合わさった、大火力の大砲だ。
「百合! さっきのマスケットとは比べものにならないよ!」
私が警告を飛ばすとほぼ同時に、大砲は百合を目掛け火を噴いた。シンカーの腕を吹き飛ばした強力な散弾砲が炸裂し、硝煙が立ちこめる。私が喰らったら電磁シールド込みで粉々になっているであろう威力だ。だが煙が晴れた時、それを真正面で受けた百合は平然とそこに立っていた。
「確かにすごいパワーだね、だけど」
重力の渦を身に纏った百合は硝煙すらも吹き散らかした。鉄壁というのも生温い、隔絶した防御力。
目標が健在であることを見るやジャンシアヌは即座に第二射を放った。再び同威力の砲撃が百合を襲う。
だが、それでも。
「だけど、お姉ちゃんには届かせない!」
百合は無傷だった。
「……流石は、総統閣下」
呆れるくらいに強い。しかもよく考えれば、人を傷つけない防御なら百合は真剣になれる。ちょっとどうになるビジョンが見えない。
ジャンシアヌもそう思ったのか、砲撃を断念して接近戦に切り替えるようだ。駆け出した右手にレイピアを構え、その刀身に蔦が這っていく。
「今度は、そっちか」
これも見たことのある攻撃だ。いや、私が見たことがあるからイザヤが再現できるのか。
刃は蔦に支えられて巨大になり、ジャンシアヌの身長に匹敵する程に長い刀と変じた。刀は振り上げられ、重力の渦へと叩きつけられる。
「む!」
百合の可憐な顔が歪む。刃は渦の半ばまで食い込み、空中で静止していた。あれだけの砲撃に難なく耐えた渦に切り込むなんて、なんて切れ味だ。
だが、それは罠だ。
「捕まえた!」
百合は重力の流れを変えた。自身を取り囲むような流れから、今度はジャンシアヌを囲うように。何かおかしいと感づいたジャンシアヌは後退しようと試みるが、重力に阻まれて逃げ出せない。そして動きの止まったところで、百合は更に形を変えた。
「これで、潰れて!」
その瞬間、ジャンシアヌは膝を突いた。すぐに立ち上がろうと力を籠めるが、次は手も突いてしまう。起き上がろうと藻掻くが、敵わずに蔦の上に突っ伏した。
今度は説明不要なほど多用した、上からかかる重力場だ。何体もの複製怪人を潰してきたそれが黒いジャンシアヌにも襲いかかった。
並みの怪人なら潰れてる。しかし、
「うっ……硬、い!」
百合が苦しげに歯を食いしばった。ジャンシアヌは潰れない。起き上がることこそ出来ていないが、インクに戻らず藻掻いている。なんて丈夫さだ。氷雪機神だって一撃だったんだぞ。まぁ巨大な方が受ける重力が多いのはそうだが……。
あまりの重力に足場の蔦が軋む。これ以上やれば千切れてしまいそうだ。
「百合、そのままでいい!」
倒せない。だが、この状態は悪くない。
ジャンシアヌは逃れようと足掻いているが、重力には勝てないようだ。時折手を突いて力を籠めるが、それもすぐ力尽きて潰されている。そしてやがて、それも無くなった。
「よし、スタミナ切れだ」
最初に狙っていたこと、つまりオールブーケ・フォームの悪燃費が災いしたスタミナ切れだ。黒い影はインクに戻ってこそないものの、指先一つ動かせないでいる。
これならいくらでも料理出来る。
「百合、重力を解除して。トドメを刺す」
「う、うん。気をつけてね」
百合に言って、重力場を消させる。一応警戒しながら近づくが、起き上がる気配は無い。
「……さよなら、ジャンシアヌ」
サーベルを逆手に構え、首に振り下ろそうと構える。
だが私がトドメを刺すよりも早く、ジャンシアヌの身体を何かが貫いた。
「何っ!?」
それは黒い巨大ムカデだった。私は上を仰ぐ。上空ではイザヤの翅を羽ばたかせる美月ちゃんが見下ろしていた。
これは、自分でトドメを刺したのか? 複製ヒーローという強力な戦力を?
「血迷ったのか!?」
「まさか」
クスリ、と形の良い唇に微笑を浮かべた。嫌な予感がした私は咄嗟にその場を飛び退いた。一瞬後、そこに黒い刃が突き立つ。起き上がったジャンシアヌの仕業だ。
「まだ動けたのか!?」
驚愕する私は言ってから、あり得ないと考え直す。確実に力尽きていた。でなければわざわざ重力に倒れる必要もない。そして気付いた。身体に突き立った筈のムカデが消えていることに。
「そうか、ムカデを吸収させて力に変えたのか! そんなことも出来るのか……!」
どれだけ回復したのかは分からないが、今までの攻防のいくらかが無意味になったことは確かだ。再起したジャンシアヌは空中に数十丁のマスケットを出現させた。銃口は全て、私に向けられている。
「やばっ……!」
「お姉ちゃん!」
咄嗟に百合が私を庇う。マスケットが発砲するより一瞬だけ早く重力が渦巻き、銃弾は全て吹き散らかされた。
危なかった。あのままじゃ私は蜂の巣だった。
「……ふぅ、ありがとう、百合」
「うん。だけど……」
百合の顔は明るくない。その理由は私にも分かる。
銃弾が止まない。重力の渦の前には全く無意味であるのが分かっている筈なのに、射撃の嵐は終わらない。百合が重力を展開している限り、永遠に弾き続けられる。
だがそれはつまり、裏を返せば解除できないということ。
「……今度はそっちが兵糧攻めってわけ」
さっきの逆だ。
この銃弾の雨の中では重力場を解除できない。すれば一瞬で穴だらけになる。銃撃が止まない限り、百合はこのドームを維持し続けるしかない。しかしそれは消耗を加速させる。今は大丈夫そうだが、元々戦いに不慣れな百合のことだ。いくら総統紋の力が強くとも、疲れていない筈が無い。
一方で、相手はインクをいくらでも供給出来る。インクが尽きない限り、銃弾は止まらない。
先にジャンシアヌに仕掛けたスタミナ切れを狙う作戦を、今度は立場を逆にしてやり返されていた。
「これ……どうしよう!」
「落ち着いて、百合。どのくらい保つ?」
「まだ大丈夫そうだけど……」
百合はまだ余裕そうだ。重力操作は百合にとってかなり軽い力なのかもしれない。しかし楽観は出来ない。余裕があるのは敵もまた同じなのだから。
どうするかと思案していると、ふと空が目に付いた。
「……あぁ、そうだ。お前がいたな」
「? お姉ちゃん?」
安心した、という様子で表情を緩めた私に百合が首を傾げる。おいおい。
「百合が忘れちゃ駄目でしょ。いつも傍にいたんだから」
そう告げた瞬間、轟音が鳴り響く。まるで車が衝突したかのような重い音が。
「な……!?」
「え!?」
美月ちゃんも百合も驚愕に目を見開いている。それもその筈、その衝突音と共にジャンシアヌがベチャリと潰れたのだから。
百合の重力場にも耐えたジャンシアヌを潰したのは高所より飛来した、質量。
黒鉄の躯体が総統の敵を押し潰したのだ。彼の役割通りに。
「……大変遅くなり申し訳ありません」
滴り落ちていくインクの上に立つのは、見知った黒い騎士。百合の表情が歓喜に染まる。
「ヤクト!」
「遅れながら、はせ参じました」
百合の護衛役が、その任を果たしに来た。




