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「――道を空けろ! 総統閣下のお通りだ!」




 サスツルギの壁の一角が崩れ液体となり、予言者、いや美月ちゃんへと集っていく。まるで中身の詰まったシャボン玉みたいになったインクの塊が、美月ちゃんを中心にして衛星のように彼女の周りをくるくる回る。

 ブヨブヨとした漆黒の塊は蠢く度に形を変える。ふと、その中に黒以外の色を垣間見た気がした。気になって目を凝らそうとすると、隣で「ひっ」と怯えた百合の声が聞こえた。


「百合?」

「あ、あの中、誰かいる」


 バッと顔を上げ、睨むように塊を注視する。無重力の液体のようにうねる漆黒。その中に、確かに――人の顔が浮かんだ。

 同じ物を見たコールスローが悲鳴を上げる。


「なんてこった! ありゃメタルヴァルチャーの旦那だ!」

「何! そういうことか!」


 即座に察した私は紫電を放ちインク塊を破壊しようと試みた。だがそれはインクの中からひり出るようにして現われた人型に阻まれる。

 狐の面に刀。落水狐か。

 雷を妖刀で防いだ落水狐の複製はインクの塊から千切れるように脱すると地面に降り立った。


「くっ!」


 続くようにして美月ちゃんを周遊するインク球の中から怪人たちが滲み出る。アンクレット。メタルヴァルチャー。そしてコールスロー。怪人たちが次々と生み出されては地に落ち、立ち上がる。それだけでなく、崩れた壁の中からも怪人や兵士が溢れ出てくる。新たに誕生した複製怪人たちは、一斉にこちら目掛けて襲いかかってきた。


「やば、い! ヴィオドレッド、応援を!」

「今呼んでいます!」


 雪崩れ込むように攻めてきたインク怪人たちに私たちは応戦する。数が多い。だがそんな怪人たちの内、半分は即座にぺちゃんこになって消えた。

 百合の重力操作だ。加減する必要の無い最大出力。美月ちゃんとの戦闘を経ても些かの衰えも見えない。まだまだ百合の体力は余裕のようだ。

 私がその凄まじさに息を呑んでいる隣で、百合が上空の美月ちゃんを見上げながら問うてくる。


「お姉ちゃん、あのインクの球ってどういうこと? 人が閉じ込められているの?」


 私は百合の重力場を抜けてきた兵隊の首を切り落としながら答えた。


「うん、このインク怪人どもの複製元をあの中に閉じ込めているんだ。メタルヴァルチャーがいたってことは、多分あの地下牢に閉じ込められていた奴ら全員が……」


 気にはなっていた。私以外の地下牢から連れ出された奴らがどこにいったか。

 その答えはあの闘技場の中。どこかの区画に纏めて放られていたんだ。いざという時の複製元として温存していた。そしてインクで包んで複製を生み出す機械に仕立て上げた。


「美月ちゃんをここで逃がせば、あれをまた繰り返す!」

「あれ、を」


 百合が思案するように俯く。けどそれに構えないくらい攻勢は激しい。私もサーベルを振るって血戦する。

 ヴィオドレッドの毒爪がメタルヴァルチャーの複製を切り裂き溶かす。インクの水たまりになった瞬間、インク球の一つからまたメタルヴァルチャーが染み出して宙に翼を広げた。


「これじゃイタチごっこ!」


 キリが無い。いやインクの総量という限界があるから永遠には続かないと分かっているが、この数は多すぎる。下手を打てばこちらが先に全滅してしまうぞ。

 消費したインクは闘技場の壁が崩れて補充される。その消費量から考えて、後小一時間はこの攻勢が続く。耐えきれるか。


「お姉ちゃん!」


 百合の叫びにハッとする。一瞬気が抜けてた。その隙を突き、ぬるりと間合いに入り込んだ落水狐が妖刀を振り上げる。

 回避不可能。致命傷は防御可能。サーベル一本か義手一本を犠牲に。

 刹那に思考が高速回転し――しかし横合いから狐の面に突き刺さったキックによって全部が吹き飛んだ。

 落水狐がバウンドし遠ざかっていく。どこかで重い物が衝突し弾けた音がした。跳び蹴りを喰らわせ私の前に降り立ったのは、最早懐かしく思える銀狼の姿だった。


「ヘルガー!」

「……言いたいことは色々あるがそれは帰ってからの説教に取っておいてやる」

「う、怒ってる?」


 その問いに対する答えは無言で振り返った双眸に籠もる憤怒の炎で判明した。ひぇっ。


「……で? なんで昴星官のご令嬢が浮かんでいるんだ? あれは総統閣下の……」

「うん。だから傷つけることは許可しない。インク怪人を掻き分けながら無傷で拘束して」

「帰ってきて早々無茶ぶりか……だがいつものことだな」


 やるせなさそうに頭を振り、ヘルガーは声を張り上げる。


「お前らはインク野郎共の排除だ! 幹部級で本丸をやる!」

「「「「了解!」」」


 その声に応えるのはヘルガーに率いられて闘技場に雪崩れ込んできた怪人や戦闘員たちだった。中にはオロチくんなど見覚えのある姿もある。この人数なら、数も足りてる。

 幹部級。即ち私やヘルガーやヴィオドレッド、心得たメンバーで美月ちゃんを拘束するということ。これ以上無い的確な命令だ。


「分かってるじゃないか」

「もう慣れたからな」


 やることは定まった。後はやるだけだ。


「よし、じゃあ」

「……お姉ちゃん」


 動こうとした機先に声を掛けられる。相手は勿論百合。


「ん、なに?」

「私も……やる」


 その言葉に振り返る。百合は真剣な表情をしていた。


「私も、美月ちゃんを止める」

「……百合」


 私も、真剣に向かい合う。


「これだけの力を振るう美月ちゃん、いや予言者を止めるのは並大抵の苦労じゃ済まない。あり得てはならないけど、最悪彼女を傷つける選択肢をとるかもしれない。あるいは、味方が傷つくかもしれない。……百合、貴女が最前線に出ればその可能性はもっと高まる」


 百合の親友である美月ちゃんを傷つけるつもりは毛頭無い。しかし、最優先は百合だ。それはここにいす全員がそうだ。

 私は最愛の妹を優先し、ローゼンクロイツ構成員は総統を守る。そして美月ちゃんも、百合を一番に狙っている。

 百合が最前線に出て美月ちゃんを止めようとすれば彼女は真っ先に百合を狙うだろう。そして私たちは百合に危険が迫れば美月ちゃんの方を斬り捨てる。恐らく、私も。

 だから諭す。リスクが大きすぎると。確かに私たちの力が及ばず、最強戦力である百合に出張ってもらう場面はあるかもしれない。けど最初から戦う必要はない。今はこれだけの味方がいる。


「分かってる。……でも、まだ分からないんだ」


 それでも、百合の覚悟は揺らがなかった。


「美月ちゃんがどうしてあんなに私を恨むのか分からない。最初からそうだったのか、いつからか変わってしまったのかも知らない。美月ちゃんと対峙して私はちゃんと戦えなかった。今も戦えるか分からない。けど、それでも……」


 零す言葉は揺らいでいる。迷いがあり、不安がある。もう一度美月ちゃんと話したら、どうなるか分からない。もしかしたらまた戦えなくなるかもしれない。そんな不安が。


「それでも、美月ちゃんと相対するのは私じゃなきゃいけない。そう思うの」


 でも、立ち向かうことだけは決めていた。


「これは、私が決着をつけることなんだ」


 戸惑いも、悲しみも、恐れも、全部を振り切って覚悟を決めた眼差し。

 真っ直ぐに私を見つめ返すその表情は、ずっと一緒に生きてきた私も初めて見る顔だった。

 口元を緩める。妹の成長を見るのは、例え修羅場の巷でも嬉しいものだ。


「ヘルガー、ヴィオドレッド! 活路を開け! コールスローは援護!」


 指示を出す。ヘルガーとヴィオドレッドには露払いを。コールスローには援護を。

 否は挟ませない。何故なら、


「――道を空けろ! 総統閣下のお通りだ!」


 百合が征く。

 彼女を戦わせない為じゃ無い。あの子を戦わせる為に、私は初めて剣を握った。






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