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「いくら君でも妹を傷つけさせはしないよ、黒幕ちゃん」




 私、夢見崎美月の半生は不幸だ。

 幼い頃から、私は母子家庭だった。父のことを母から聞いたことはなかった。一度聞いても、無言で首を横に振られるだけ。それ以来は聞かなかった。だから母があの男のことをどう思っていたかは知らない。知りたくもない。


 女手一つで支えられた家庭は貧乏だった。

 身を粉にして働く母と、安っぽいアパート。綿が萎えて薄っぺらい布団と、壊れかけの炊飯器で偶に失敗するご飯が私の幼い頃の思い出。

 贅沢なんて出来ない。我儘なんて言えない。窮屈で辛い日々。

 それでも母は優しかったから、不満は小さかった。母がいたから、耐えられた。

 逆に言えば、母がいなければ耐えられなかった。


 小学三年生のあの日、母は死んだ。

 ありふれた交通事故だった。飲酒運転の車はあっさりと母の命を刈り取り、私は天涯孤独になった。

 それからの生活は例えようもない辛さだった。母方の親戚からの支援は雀の涙。一緒に暮らしてくれる人もおらず、生活は前以上に困窮。僅かな食事代で食いつなぎ、母と一緒に暮らしたアパートで思い出に浸ることで辛うじて心を保つ日々。これが一生続くのなら、さっさと母のもとへ旅立ってしまおうかと何度思ったか。


 そんな生活もまた、唐突に終わった。一年後、私が四年生に上がった頃。高級車のお迎えが来た。

 私はどうやら、昴星官コーポレーション日本支社、その支社長を務める男の隠し子だったらしい。

 連れてこられたのは大きな屋敷。与えられたのは最高級の衣服。

 だがそれで私が幸せになったかというと、否だった。


 次に私を待ち受けていたのは機械的な教育の日々。

 父は、いや父とすら呼べないあの男は、私に愛情を感じたから引き取った訳ではなかった。単に昔ひっかけた女が子どもを作っていたから、スキャンダルになる前に拾っただけのこと。そして育てるコストを回収する為にそれなりの教育を与える。

 会社の歯車か、あるいは政略結婚の手駒としての未来を用意して。

 学校も碌に行けていなかった私に寝る間もなく叩き込まれる知識と礼儀。それは愛の鞭でもなんでもなくて、ただどこかに出しても恥ずかしくないような教養が必要だっただけ。

 中学校に上がるまでのその日々の中で、あの男とは、血縁の上では父である筈の赤星と顔を合わせることは終ぞなかった。


 そんな日々を超えて私は名門の中学校に入学した。そして出会ったのだ。

 天真爛漫に笑う、紅葉百合に。






 ◇ ◇ ◇






「なん、で」


 目の前に現われた、よく見知った顔の、まるで知らない表情が信じられなくて後退る。

 預言者は、その仮面の下にあったのは紛れもなく美月ちゃんの顔だった。フードの合間から垂れる綺麗な黒髪。クッキリとした目鼻立ち。ただ、その瞳は見たこともないくらいに濁っている。まるで、負の感情を煮詰めた黒い泥のように。


「なんで? ふふ、ふふふ……あは、あはっはは!!」


 私の零した声に、美月ちゃんは壊れたように笑う。濁った目は少しも変わらない。機械を通すことなく紡がれるその声はどこまでも美月ちゃんそのもので。

 だからこそ、口の端だけが三日月に引き裂かれたその歪な笑顔が信じられなくて。


「分からない? 分からないよねぇ! あんたは昔からそうだ! 人に興味がないんだよねぇ!」


 その口が吐くのは私を嘲る言葉。そんな光景が信じられなくて、


「……美月ちゃん、じゃないよね?」


 縋る思いで私はそう呟いた。


「そんなこと、美月ちゃんは言わない、よ。そ、そうだ! イザヤの力だよね!? 私の大切な人の顔を、お姉ちゃんの記憶から引き出して化けてるんでしょ!」


 思いつくままに私はそう叫んだ。記憶や未来の可能性を複製するイザヤなら、顔を偽ることも可能かもしれない。だから目の前にいる親友の歪んだ哄笑は偽物で、これは悪趣味な預言者のいたずらなのだと。私はそう信じこもうとした。

 だがそれを、美月ちゃんの顔をしたナニカが否定する。


「あはは。やっぱりあんた、頭の出来はいいのに馬鹿だよねぇ! 分からないの? こんなに近くにいても。他のインク人間と触れ合ってその違いが分からないの?」

「うっ……」


 指摘された事実に私は呻く。

 確かに、そうだ。預言者は、本物の人間だ。インク人間は精巧だけど、やっぱり生き物じゃない。近くで見ればそれが分かる。色づいた雷竜も、本物の生物とはどこか違った。

 けど預言者にそれはない。美月ちゃんの顔には、血が通っている。仮面でもインク人間でもない。なら、本当に……。


「あはははは!! 絶望した!? ショックでしょう!? よかったぁ! 私はそんな風にあんたの顔を歪めたくて頑張ったんだから!!」


 それでもまだ信じられない。それほどまでに記憶の中にある美月ちゃんと目の前で嘲笑う預言者は乖離している。私の知っている美月ちゃんは優しくて、いつもたおやかに笑っていて。決してこんな風に人を貶めたことを喜ぶ子じゃなかったのに。


「あははっ、ひー、あー笑った! で? どうするの?」

「え?」

「その破片でどうするのさ」


 コテン、と首を傾げた美月ちゃんの言葉に不意を突かれる。

 そうだ、私は破片をナイフ代わりにして預言者を追い詰めて……でもその預言者が美月ちゃんで。


「分かんないの? しょうがないなぁ」


 どうしようもなく立ち竦む私にかけられた、その声音だけはいつもの美月ちゃんのようだった。文句を言いながら私の世話を焼いてくれるいつもの優しい親友の声。

 でも彼女のとった行動は、私の手首を掴んで破片を喉元に押し当てることだった。


「み、美月ちゃん?」

「ほら、こうすればいいんだよ」


 後1センチ食い込めば動脈が掻き切られる。そんな状態になりながらも美月ちゃんは笑っていた。


「殺しなよ、百合」

「っ……そんな」

「それで全部解決でしょ? 貴女のお姉ちゃんは解放されて、敵はいなくなってハッピーエンド。あんたが悪の組織の総統なら、それを真っ先に取るべきでしょ」


 ローゼンクロイツ総統としてなら、その通りだ。その正体が美月ちゃんでも、黒死蝶のリーダーである預言者であることに変わりはない。でも、私は。


「……そんなこと、出来る訳ない!」


 叫び、美月ちゃんの手を振り払った。そして破片を投げ捨てる。遠くに飛んでいく黒い破片を、美月ちゃんは冷めた目で追いかけた。

 肩が震える。私は自分を抱きしめて、言葉を続けた。


「出来る訳、ないよ。美月ちゃんは親友で、優しくて、大好きで……そんなこと、出来る筈がないよ……」


 どうしてこんなことするのか分からない。

 それでも断言できるのは、私には美月ちゃんを殺せないということだ。

 ローゼンクロイツ総統として生きることを決めたのなら、迷わず討つべきなのだろう。

 でも私には、出来ない。親友の美月ちゃんを手にかけることなんて。


「……だろうねぇ」


 そんな私を見て、美月ちゃんは溜息をついた。


「あんたはやっぱり、自分の手は汚さないよね。汚い仕事は全部人任せ。やる時はお姉ちゃんにやってもらうんでしょ?」

「そんなこと、ない!」


 私は即座に否定する。そんなこと、考えたこともない。


「いーやそうだね。自分じゃ出来ないってアピールして、お姉ちゃんに甘えてやってもらうんだよ。いっつもそう! それで自分は人畜無害って顔をするんだから。ほんと、昔っから嫌いだったよ」

「み、美月ちゃん……」


 親友の口から紡がれる言葉に、胸を貫かれる。悲しくて涙が滲んだ。

 美月ちゃん、なのに。親友、だった筈なのに。

 私は、ずっと嫌われてたの?


「今だってそう。私なんかよりも強い力を得ておいて、それなのに、私を殺さない。見下して、嘲って!」

「ち、ちが……」

「違わない!」


 否定よりも速い、否定の否定。

 美月ちゃんの濁った瞳が鋭く細まる。


「だから、決めたんだ。あんたから、全部奪ってやるって……」


 美月ちゃんが腕を肩の高さまで上げる。するとまるで枝木に留まるかのようにイザヤが実体化した。

 何かをするつもりだ。でも私はショックで動けない。


「過去と未来を閲覧するイザヤよ、盟約に従い、記憶の現身を模れ」


 イザヤの翅が輝き、美月ちゃんの身体からインクが絞られるように染み出した。それまでに比べたら明らかに少ないインクは、数人の兵士を形作る。


「まずはその綺麗な体を壊してやる」


 逃げなきゃ。そう思っても絶望に喘ぐ私の身体の反応は遅い。

 兵士の握ったナイフが迫る。


「その目玉、抉って――!」

「――させると思う?」


 ナイフが私の瞳に届く寸前、ピタリと止まる。兵士は全身を痺れたかのように硬直させ、その場に倒れてインクに戻った。

 そう認識した瞬間、私の肩に何かが触れる。硬く、冷たい――義手の感触。

 昔とは変わってしまったその手は、それでも紛れもなく。


「お姉、ちゃん」

「いくら君でも妹を傷つけさせはしないよ、黒幕ちゃん」


 そこには私を守るように抱きかかえ、不敵な笑みを浮かべるいつも通りのお姉ちゃんがいた。






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