「私が、ローゼンクロイツの総統だ」
「薬品棚のS1からS16まで片っ端から持ってきて!」
「点滴を空にするな! 三日間の絶食状態だぞ!」
「脱水症状は緩和したか!?」
「翼部分、今から手当てしないと後遺症が残るぞ!」
ローゼンクロイツの医務室で、医療部門の構成員が忙しなく駆け回っている。
その中心のベッドには、稲穂色の翼を持つ少女が横たわっていた。
「総統閣下!?」
私に気付いた構成員が敬礼しようとするのを手を上げて止める。
「私に構わず、患者を優先してください」
「はっ!」
頷いて、構成員は薬品を手に去って行く。私はそれを尻目にしながらベッドに眠る彼女を見下ろした。
「はやてちゃん……」
呼吸補助装置をつけながら苦しそうな表情で眠っている彼女は、私たちに重要な情報を知らせてくれた。
お姉ちゃんが囚われていること、脱出した大まかな場所、敵の、予言者の能力。
それを伝えるために、三日三晩飛び通しで戻ってきてくれた。
飲まず食わず、寝ずに。そして憔悴した様子でそれでも意識を失わず、今すぐ休むように言う私の言葉に首を振り、伝えるべき事を伝えきった後にまるで糸が切れたかのように意識を失った。
それから丸一日。医務室の慌ただしさは、彼女の容態の厳しさを表している。
「総統閣下」
「……プラチナム」
いつの間にか傍らに立っていたのは、医療部門の長、プラチナムだった。
私ははやてちゃんから目を離さずに彼に問う。
「はやてちゃんは……大丈夫なの?」
私の普段の、普通の少女としての態度を知らない部下の前でも取り繕えない。それは私の動揺と余裕のなさを表している。
プラチナムはそれを察してくれているのか、触れずに私の質問に答えてくれた。
「正直、予断を許せません。彼女は魔法少女に変身していなければ翼があるだけの普通の人間です。それでも意志の力でこれだけの無茶をしたのですから、その代償は大きい」
ローゼンクロイツの医療技術は世俗の物と比べて遙かに優れている。瀕死の重傷を何度も負ったお姉ちゃんでも、完璧では無いにしてもなんとかなった。それでもなお、届かないかもしれない。それだけの容態なのだとプラチナムは言う。
「医療従事者を総動員して事に当たっていますが……」
「……助かる、見込みは」
「五分を越えません」
明瞭な、そして残酷な宣言に目眩がする。クラクラと倒れてしまいそうだ。それでも今ここで患者を増やしてしまう訳にもいかず、私は頭を振るだけに留める。
「……とにかく、全力を以て彼女を救いなさい」
「はっ」
少しでもはやてちゃんが助かる確率を上げるため、命令口調で告げて医務室を去る。扉から出て、廊下に誰も居ないことを確認し、私は崩れるように壁に背中をつけた。
「……お姉ちゃん」
はやてちゃんの報告を聞いた時、安堵と不安が一緒くたに押し寄せる奇妙な感情の動きを経験した。
生きているという安堵。
捕らえられているという不安。
そして目の前ではやてちゃんが意識を失った時、彼女への心配も私の心に鬩いだ。
「……お姉ちゃん」
グチャグチャした心を吐露するように、姉の名を呼ぶ。そうでもしないと潰れてしまいそうで、そんな心の弱い自分に失望の感情も追加される。気を失ってしまいそうなそんな感情の奔流に悶えている内に、廊下の向こう側から人影が現われる。
総統としての態度を取り繕おうとして、その必要が無いことをシルエットで知る。こちらへと近づいてくるのはこの組織に来てから一番親しくなった私の側近、ヤクトだったからだ。
「……総統閣下」
「ヤクト……場所は、分かった?」
「情報部門を総動員させています。方角も分かっているので、時間の問題でしょう」
はやてちゃんのもたらしてくれた情報を元に、彼女の脱出してきたという山岳地域を情報部門が特定を急いでいる。脱獄してきた下水道も含めてだ。知っている街を見下ろして探しながらローゼンクロイツに辿り着いたはやてちゃんの情報は曖昧なところが多く、一日経っても特定は出来ていない。それをもどかしく思うのと同時に、一度情報部門の部屋を覗いて垣間見たメアリアードさんの必死さを信じるべきだと強く念じる。
私は……何も出来ないから。私一人じゃ、どうしようもないから。
「……っ」
悔しさのあまり拳を握る。本当なら今すぐにでも駆け出したい。助けに行きたい。でも私だけじゃその居場所を探すことも出来ない。お姉ちゃんを捕らえた敵に勝てるかも分からない。
だから、ローゼンクロイツのみんなに頼むしか無い。幸い、みんな協力してくれた。私が総統だから。何の力も無いのにその地位の強権を振るうしかない自分。でもそれしかお姉ちゃんを助ける方法は無い。
自己嫌悪は、苦しい。
でもお姉ちゃんを助けられなかったらと思うと、もっと苦しい。
だから私は自分に出来る最善を尽くすことを決めた。
「……連れて行く戦闘員の選定は?」
「大方終わっています。即時移動できる全戦力でよろしいですね?」
「うん。……あぁ、美月ちゃんにも説明しないと」
流石に今この状況で警備を続ける余裕は無い。その分の戦力を戦いに回さないと勝てるかどうかも分からないからだ。だから美月ちゃんに警備が不能になることを連絡せねばならなかった。それから、黒死蝶の拠点を見つけてかもしれないと言うことを報告しておかなかれば。黒死蝶のことならば、決して美月ちゃん、ひいては昴星官コーポレーションとも無関係では無い。
「昴星官への報告はすでに済ませました。夢見崎殿はご不在のようでしたが」
「そう。ありがとう」
どうやら先に手を打ってくれたようだ。美月ちゃんがいなかったということは少し気に掛かるが、今日は休みだったのだろう。確認する暇も無いから、そう思おう。
「じゃあ、後やることは?」
「……総統がするべき事は特段ありません。ですからお休みになってください」
「いや、そういうわけにもいかないよ。みんな頑張ってるのに。それに私なんて、あんまり働いてないし……」
「しかし摂政殿が失踪されてからずっと気を張り詰めておられました。心労は積み重なっている筈……」
「そんなこと」
ヤクトの気遣わしげな声を私は遮った。
「そんなこと……ないよ。お姉ちゃんは、もっと働いてた。私は、それに甘えて……」
そうだ。ここにいたのがお姉ちゃんで、私が攫われたのならとっくに解決していた筈だ。私が……お姉ちゃんのように出来ないから。だから、お姉ちゃんをきっと苦しめてる。
握り込んだ掌に爪が食い込む。鬱血しそうな痛みさえ、この胸の内の悔しさと比べれば些細すぎる。
「……失礼ですが、総統閣下」
そうな風に自己嫌悪に陥っていると、いつの間にか目の前にヤクトの鉄仮面があった。少し屈んで、私の目線に合わせている。機械である筈のヤクトの視線から、穏やかなものが伝わってきた。
「摂政殿は摂政殿で、総統閣下は総統閣下です。両者は確かに違うものですが、優劣はありません」
「でも、お姉ちゃんなら」
「摂政殿なら、手勢で真っ先に向かうでしょう。確かに今より早く本拠地を突き止めるかもしれません。ですが、戦力は今よりもきっと少ない」
それは……そうかもしれない。お姉ちゃんは私を心配するあまり、ヘルガーさんとか、その辺りの怪人だけで乗り込むかも。そしてきっとまた大怪我をする。
「ですが、総統閣下の命令なら組織全体が動くことに否はありません。総統閣下だからこそ、より確実に摂政殿を助けられるのです」
ヤクトの言葉が胸に染み入る。
そうだ、私はローゼンクロイツの総統だ。ただ単に、総統紋に選ばれたというだけでしか無いけれど、それでも選ばれたのはお姉ちゃんじゃ無く私だ。
私の力。私の責任。それをお姉ちゃんは分かち合って支えようとしてくれたけど、本当は私一人のものなんだ。私が背負うもの。でもだからこそ、私が振るえる力。私にしか、出来ないこと。
「……私が、ローゼンクロイツ総統だからヤクトは言うことを聞いてくれるんだよね」
「はい」
「私の意思が、ローゼンクロイツの意思になる。それは責任でもあるけれど、同時に私の自由でもあるんだ」
「はい」
だから、これは私の我が儘で、正義じゃ無い。
それでも、お姉ちゃんを助けたい。
そしてそれは、許される。私が総統ならば。
「私は、お姉ちゃんじゃない」
まだやっぱり、ここにいたのがお姉ちゃんならとは少し思う。だけど。
「私が、ローゼンクロイツの総統だ」
胸に手を当てて誓う。
「だから、助けるんだ。助けられるんだ」
きっとこの時が、私が初めて一人で覚悟を決めた瞬間だった。
お姉ちゃんに寄り添わず、ローゼンクロイツの総統であるという覚悟を。
私は踵を返し、廊下をゆく。
「……うん、休むよ。だから、万全の準備を。出来ることは、全部許可する」
「はっ」
「待たせちゃうね、お姉ちゃん。だけど……必ず、助けるから」
準備を整えて、お姉ちゃんの元へ向かう。
それが、私に出来ること。
私にしか出来ないことだ。




