「……敗北には慣れてるさ」
機神の掌が青白い光を生み出し、線となって形を作る。真円と図形、読めない文字を組み合わせた魔法陣。私に見分けは付かないが、はやて曰く、光線でも氷柱でも無い新たな魔法。
魔法陣は完成し、発動する。起こった変化は、突風だった。
「くっ、吹雪、か!」
巻き起こった風は雪を孕んでいた。そして冷たい。今まで森の上空の気温は暖かくも寒くも無い、ごく普通の気候だった筈なのに、まるで冬のもっとも寒い時期のように急速に冷え込んだ。露出している肌が痛い。身を切るかのような冷たさに、私の体温も奪われる。
三つ目の魔法は、吹雪を引き起こす魔法だった。前二つの魔法のように直接的にダメージを与えてくる魔法では無い。だが、有効だ。私もはやても凍えて死にうる。
「だけ、ど!」
それでもやはり、いきなり命の危機があるわけでは無い! この隙に一気に離脱を図る。電磁スラスターの出力を増加し、はやての手を掴む。
「今のうちに……!」
加速をかける。だがその瞬間、魔法は止んだ。
「! 何で……」
「もう済んだからだよ」
その声が聞こえたのは、すぐ近くだった。振り向けばそこには、間近に迫った黒い巨人。
「なっ」
「遅いね」
機神は私たちを叩いた。それは遠くから見れば人間が埃を払う姿と同じに見えるだろう。だが実際に私たちを襲ったのは、とてつもない破壊の衝撃だ。
「がぁっ! ぐぅ!」
はやてを庇いながら、咄嗟に展開した超電磁シールドで防ぐ。遠距離攻撃ならともかく、質量を持った直接打撃にはあまり効果が無い。しかしそれでも私たちの命を救ってくれた。そうで無ければ調理途中のハンバーグのようにぺしゃんこになっていた筈だ。
だが無傷ではいられない。突き抜けた衝撃が、容赦なく私の身体を揺さぶった。骨が、脳が、芯が揺れる。
避けられなかった。速い……いや、違う。私が遅くなっている。痛みを堪えるために噛み締める奥歯が震えて音を鳴らしている。寒さに震えているのだ。
さっきの魔法の狙いは、私たちを凍えさせて動きを鈍くさせる為だったのか。自分で思っていた以上に身体が冷えている。衝撃によって髪についた霜が剥がれて落ちていった。
「ははは!」
予言者の哄笑と共に、機神の腕がまた振るわれる。羽虫を払うかのように無造作な動き。しかし当たればまた大ダメージ。身体はまだ凍えている。万全であれば避けられても、今の私では。
このままじゃ腕に抱えたはやてと共倒れになる。
「ぐ、あああぁぁ!!」
「エリザ!?」
私は力を振り絞り、はやてを放り投げた。機神の攻撃の範囲外へ勢いよく飛んでいく。これではやては巻き込まれない。
再び私の全身を衝撃が突き抜けた。
「うがあぁっ!!」
今度は堪えきれない。そのままはたき落とされ、森へと落下する。
背中を枝が打ち、転がるように何度もぶつかって地面に落ちた。
生きている。幸いにも。だけど、ここまでだ。
身体は凍え、まともに動かない。全身は打身で痛くないところが無いくらいだ。這って逃げることすら、出来ない。
これは、駄目だ。私の逃避行は失敗した。
残った力で空に吠える。
「はやてぇ! 貴女だけでも逃げて!!」
枝葉の合間から垣間見えたはやてへと叫んだ。私の声を聞き届けたはやてが戸惑うように身を硬直させる。
「で、でも!」
「どうにか、本部へ、誰かに! 私は、大丈夫だから!」
すぐに殺されることは無い。今までの情報から、しかし希望的観測でしか無いその考えをはやてに伝え、少しでも安心させる。
だから、早く、逃げて。
「今のはやてじゃ、無理だから! 早く!」
「っ!」
私の追い払うかのような言葉に息を呑み、はやてはようやく翼を翻した。
一目散に、この場を離れていく。
「あぁ……よかった」
せめて彼女だけでも逃すことが出来たことに安堵し、身体の力を抜く。これで救援が呼べる。百合は必ず来る。本当はあの子を前線には出したくないけど、ローゼンクロイツの主戦力が強襲すれば黒死蝶相手でも勝機は十分だ。もしそれが駄目でも、はやてだけは捕まらない。
懸念は予言者が追うことだけだったが、奴は氷雪機神を従えゆっくりと私の前へ降りてきた。木々をへし折り着地し、掌の上から私を睥睨する。
「献身、か。あなたはどこまでも誰かの為に行動する」
「打算だよ。これが一番、現実的に助かる方法さ」
追わなかったのは、やはり私が目的だからか。はやてはあくまで付属品。私の機嫌を損ねないように同じ扱いをしていただけに過ぎなかったようだ。だからこそ見逃した。
森の奥から、黒い兵隊たちが集結してくる。機神に置いてかれた兵士たちが追いついてきた。再び私を囲むように展開し、逃げ場を塞ぐ。そんなことをしなくとも、もう私に逃げ延びる体力は無い。
「これでまた、あなたは虜囚だ。私から逃げることなど、出来ないと分かったでしょう」
予言者は鼻を鳴らして言った。その言葉遣いに違和感を覚えたが、追求はせずにその勝利宣言に答える。
「……敗北には慣れてるさ」
ビートショットにも、ユニコルオンにも、ユナイト・ガードにだって負けてきた。目の前の予言者にもそうだ。黒星は数え切れない。だが何度も越えてきた来たことだ。
「慣れたことだ、今更さ。……だがね」
兵士たちに拘束される前に、身を捩らせる。残る力を振り絞って身体のバネを総動員し、一気に跳ね上がった。
「何っ!」
「悔しくないわけでは、無いのさ!」
一矢報いる。その気力だけで身体を動かし、機神の掌へ飛び乗った。目の前には突然の出来事に驚いて硬直した予言者がいる。
超至近距離。千載一遇のチャンス。
「首の一つでも貰っていく!」
左手から伸ばした超電磁ソードで下から切り上げる。宣言通り首を狙った一撃だ。黒死蝶はイザヤの力に依存した組織。ここで予言者を倒せば決着だ!
「おらぁ!」
脱獄、逃避行、メタルヴァルチャーや化け物との戦闘に、戦いにすらなっていなかった氷雪機神からの打撃。もう私に戦う力は一欠片だけだ。
その残った力全てを込めた一閃。しかし予言者が咄嗟に一歩下がった所為で、その一撃は仮面を弾くだけで終わった。
「……ちっ、駄目か」
倒せなかった。もう体力はすっからかんだ。私の一矢は仮面を外すだけで終わった。
崩れ落ち、片膝をつく。超電磁ソードの纏った電気が霧散する。もう本当に動けない。一片の力も尽きた。
せめてそのご尊顔を拝んでやろうと予言者を見上げ――私は凍り付いた。
「……えっ」
素顔の予言者が、露わになった顔に触れ、そして怒りに歪む。
「よくも、仮面を」
「お前は……いや、君は」
私の口がそれ以上の言葉を紡ぐ間もなく、予言者の手が私の首を掴む。
「うぐっ!」
「忘れなさい。いや、あなたは忘れない。……どうして、こうなる」
予言者は今までになく感情的に呟く。後悔と、恥辱と、諦観に表情が何度も変わり、そして最後に決意が浮かぶ。
「……なら、終わらせる。ここに来るであろう彼女と共に、全部」
「ぐ……な、ぜ……」
首を絞め付けられて酸素を失い、私の意識は遠のいていく。最後に浮かんだのは、最愛の妹の顔。
――百、合……来な、いで。
先程願ったものとは正反対の願いを抱いて、私の意識は暗転した。




