「……早く帰りたいよ、百合」
「……やっぱり、一向に人里は見えないねぇ」
「だなぁ」
すっかり暗くなった空を見上げ、私たちは嘆息した。
森の中を一日中歩いてみたが、村や町に辿り着きそうな気配は無い。行けども行けども森ばかり。むしろ進めば進むほどに鬱蒼としていき、人の手が入っていないことが分かってしまい余計に絶望することになった。
「……今日はもう休もう」
「うん……」
はやてが疲れた顔でこくんと頷く。魔法少女としての力を失ったはやては普通の女の子だ。一日中歩き通しで疲労しない筈が無い。ましてや少しでも追っ手から逃れる為にほぼノンストップだった。はやてはもう限界だろう。私たちもまったく疲れていないという訳では無いので、休憩が必要だ。
適当に集めた乾いた枝に腕輪で火を灯し、焚き火にして三人で囲う。
「森の中だから食いもんはそれなりにあるな」
「まぁひもじいけどね……」
道中で見つけた食べられそうなムカゴや木苺を各々口に含んで腹を満たす。おいしくは無いが、贅沢は言えない。
「明日はどうする」
「歩くしかないだろう」
私は木苺を食べた後すぐに眠ってしまったはやての頭を膝に乗せながら答えた。髪を撫でても起きる気配すら無い。余程疲れていたのだろう。
「とにもかくにも、人里を探すのが第一目標。そんで、水も探さなければな」
水分不足は非常に危険だ。一日でも危うく、二日飲まずに過ごすのはもはや自殺行為だ。植物から摂取できる水分はたかが知れている。一刻も早く水を飲まなければ、脱水症状となって命に関わる。
「川を見つけられれば一番良いんだがな」
「そのまま下ればどこかに、最悪でも海に出られるからな。山の中で迷っているよりはマシだが……」
「いずれにせよ、歩いて探すしか無いな」
結局やることは分かりきっている。選択肢は無い。
「……なぁ」
「ん?」
揺らめく焚き火を見つめていると、ふいにコールスローが話しかけてくる。
「お前、予言者とどういう関係なんだ?」
「……? 関係、か?」
コールスローの問いに首を傾げる。関係と言われたって……。
「敵だぞ、ただの。じゃなければ捕まる訳がない」
至極当たり前の話だ。敵対を続けてきた黒死蝶の首魁で、私は罠に嵌められた敗者。それ以上でもそれ以下でも無い。
しかしコールスローは納得がいっていないようだ。
「……本当か?」
「何を疑う?」
「待遇が違い過ぎる。俺らが雁字搦めにされている横で、アンタはほとんど自由だった。能力は封じられていても、拘束はほぼ無い」
……それは確かに、そうだ。その点は私も疑問に思っていた。
コールスローが手足を封じられている横で、私たちへの拘束は最低限だった。発電を封じる腕輪を架せられ、はやてはアンバーを没収されたが、それだけ。むしろ快適ですらあった。
「アンタが壁に穴を開けてこっちに来た時は驚いたよ。本当に拘束されてない。俺らも牢屋に入れられた当初はもう少し拘束が軽かったが、それでも手枷ぐらいはあった。だがアンタにはソレすら無い。明らかに尊重されている」
明らかにおかしい。しかし、何故だ?
「……心当たりはまるで無い。出会ってすぐに殺し合って、それで負けて、収監された」
予言者とはあの支社長室での対峙が初遭遇だった。そしてすぐ戦闘になり、私とはやては敵わずに捕まった。その一連の流れが私と予言者の関係の全てだ。だがそれでは説明が付かない。
「……予言者は、もしや」
私のことを知っている人物。あるいは私の知っている人物なのか?
「……まぁ、あんたに心当たりが無ければ仕方ないか。俺は先に寝るぜ」
「あぁ、頃合いになったら起こす」
追われている身だ。見張りを立てずに野宿するなど自殺行為だ。交代で番をしなければならないことは、私も横になったコールスローも心得ている。
凍死しないように焚き火に枝をくべながら、私は夜空を見上げた。
「……早く帰りたいよ、百合」
ふと湧き上がった寂しさを膝の上のはやての体温で紛らわせながら、夜は更けていった。
◇ ◇ ◇
幸いなことに翌朝になっても、追っ手に見つかることは無かった。まぁ、下水道から脱出してから半日とはいえ結構歩いた。その間に稼いだ距離と広い森を考えれば、まだ幾分の猶予はあるように思えた。
しかし油断は出来ない。相手はインクから兵士の複製を造り出すことの出来る規格外の能力者だ。限界はあるような口ぶりだったがその底が見えない以上、安穏としている暇は無い。
太陽が昇ると同時に私たちは出発した。そしてしばらく歩き、目標の内の一つを発見した。水だ。
しかしそれは、期待していた物とは違っていた。
「沢か……」
「川じゃねぇなぁ」
流れ込んだ細い水流が浅く狭い窪地にわだかまり、凪いだ水面を作り上げていた。水底にある苔の生えた石が見えるぐらいに透き通っている。俗に言う、沢。山間にならばあってもおかしく無いが、残念ながらどこかに続いているという事も無く行き止まり。川を辿って下っていくという私たちのプランはおじゃんとなった。
「まぁ、水には変わりないか……」
私は気持ちを切り替えて沢の縁へと降り、少量の水を手で掬って口に含んだ。はやてがぎょっとする。
「え、いきなり飲んで大丈夫なの?」
「んっ、だから大丈夫か自分で実験したんじゃ無いか」
「えぇ!?」
確かに生水を飲むのは危険だ。寄生虫などの恐れもある。だが飲める水があるのにそれを見過ごしてはそれこそ死の危険がつきまとう。だから誰か一人が毒味するしかあるまい。
幸い、沢の水は綺麗だった。透明に澄んでおり、変な臭いもしない。思い切って飲み込む。伝っていく冷たい感触に、乾いた喉が感動に震えた。
私は判断する。
「うん、大丈夫じゃないか? 後で腹が痛くなる場合は知らないが」
「……エリザがそういうなら」
「背に腹は代えられねぇからなぁ」
私に続き、二人も沢の縁へとやってくる。清涼な水を三人で補給し、溜息をつく。やはり水は命の源だな。
水筒があれば汲んでいくのだが、生憎持ち合わせていないし代わりになるような物もない。出来るだけ喉を潤してまた歩き通しの旅に戻ろうと立ち上がった瞬間、異音が耳を掠めた。
「? なんだ?」
遠くで何かが響くような音だ。機械のような気がする。聞いたことがあるような、無いような?
「コールスロー、分かるか?」
「さぁ……いや、待て? これは?」
最初は私と同じように首を傾げていたコールスローは、しかし途中で何かに気付き、そして見る見る顔色を変えていった。
「まずい! 今すぐ物陰に隠れ……!」
だがその警告は遅すぎた。沢の上空、木々の間にぽっかり開いた丸い空に浮かぶものを見て、私も音の正体に思い至った。
翼を広げた、黒い影。
「……そうか、お前の翼の音だったか」
かつて邂逅した傭兵の複製。ヒーローである竜兄と二人がかりでも逃した、空の強者。
青空を背にしたメタルヴァルチャーが、私たちを見下ろしていた。




