「タダでは無い……だけど、貴女を捕まえる為なら」
「ここは……どこか分かるか?」
「いや……まったく」
ダメ元で聞いてみたコールスローが首を横に振る。だがそれもそうだろう。目の前に広がるのは見渡す限りに人工物の存在しない山々なのだから。どう見ても有名な観光地という風でも無い。
私たちが今立っているのはどうやら山の中腹らしく、眼下に広がる森と、振り返れば自分の立っている山の頂上を見上げることが出来た。
よくよく見渡しても建造物は今私たちの出てきた下水道の出口だけだ。あとその前に伸びる道は固められ、かつて人や車が通るために整備されていたであろう事は分かる。しかし今は植物が浸食し、長らく使われていないことが明白だ。
「日本……だよな」
「植生から見てそれは間違いないと思うぜ」
「……そうだな。亜熱帯とかならもっと熱いはずだし」
日差しや風景自体は慣れ親しんだ日本のものだ。気絶させられている間に外国に連れ去られたという線は薄い。
しかしこの景色では、何県のどこなのかということすら分からない。
「……とにかく道はあるんだ。辿ればどこか人里に着く筈」
そう判断して山道を新鮮な空気を胸いっぱい吸って回復したはやてと共に歩き出したが、すぐに障害とぶつかった。
「崖崩れか……」
大量の土砂で道が埋まっている。雨か地震で山が崩れたのだろう。年月が経っているのか、草が生えてほとんど風景と同化している。
この道が使われなくなった理由の一つだろうな。普通は市役所とかが対処するのだろうけど、使われなさ過ぎて放っておかれた、ってところか。
いずれにせよどうにかここを超えなければ通れそうに無い。
「はやて」
「……ごめん、無理そう」
空を飛んで偵察できないかとはやてに頼もうとすると、私が問うよりも早くはやては悲しそうに言った。見ると翼の動きがぎこちない。
「もう動かなくなっちゃった……回復するには時間がかかると思う」
バイドローンのウィルスによって生み出されたはやての翼は、定期的に薬を摂取しなければ動かなくなる。下水道へ降りる時は大丈夫そうだったが、ここに来て調子が悪くなってしまったか。臭いの所為で私たち以上に疲労が溜まり、負担が症状として表れてしまったのかもな。
「そうか。なら仕方ないか」
「ごめん……」
「気に病まなくていいさ。……コールスロー、私の腕輪は外せるか?」
「道具がありゃな。ただ、今は無い」
コールスローは肩を竦める。じゃあ私も飛べない。絶縁体の腕輪によって発電機関が阻害されていたら、電磁スラスターは使えない。他の道具を持っていないコールスローも当然。無理矢理迂回するという手もあるが、危険が過ぎる。
「……反対方向に行こう」
片方が塞がっていたのならもう片方。当然の帰結に私たちは来た道を反転した。下水道の出口を過ぎ去って進むが、道に傾斜がつき始めたことで私たちは歩を止めた。
「……登ってるな」
「だなぁ……」
山道には当然、登りと下りがある。傾斜は上に傾いている。このままでは山道を登るコースだろう。山の頂上には、一見人工物があるようには見えない。
「どうする? このまま登るか? もしかしたら何らかの施設はあるかもしれない」
コールスローに問うと、少し思案して彼は首を横に振った。
「いや……時間をかけすぎた。追っ手が来るかもしれないのに賭けには出られない。それに道なりというのは如何にも分かりやすい」
「そうだな」
私はコールスローの意見に同意した。
ここに来るまではほとんど一本道だ。人里を目指すなら下水道を上流に上るのは当たり前の行動だし、そして分かりやすい下水道から最速で出るのも予想着きやすい。その上その前に続いている道を呑気に歩いていたら、見つけてくださいと言ってるようなものだ。それに上に何かあると期待して登って、無人の神社だったりしたなら目も当てられない。
「なら……」
私は道の縁に立って森を見下ろした。他に道は無い。なら道無き所を行くしか無い。
「サバイバルか……」
もしかしたら帰るどころでは無くなるかもな。
◇ ◇ ◇
「……ふぅん。流石、と言うべきでしょうか」
牢屋の惨状を目の前にして、予言者は感嘆の声を零した。
「何がどうしてこうなったか、は分かりませんが、しかし迷わず脱獄を選ぶのは貴女らしいですね」
そうエリザを称える口調には、本人を前にしておくびにも出さなかった敬意に満ちていた。
侮りはあった。プロの傭兵怪人ですら持て余すようなイザヤの警備だ。確かに勿体ないからと監視カメラを置いてはいなかったが、それでも万全であると自負していた。それなのにまさか、少し前まで女子高生だった少女が脱獄できるとは思わなかった。
だが予言者は、どこかそんな気がしていたのだ。あの人ならそれくらいはやってのけるのでは無いかと。
「一応は、ローゼンクロイツの摂政という訳ですね」
そう言いながら予言者は、右腕を横に伸ばした。するとその上にまるで枝に止まるかのように、イザヤが現われる。
白い翅をふわふわと揺らすイザヤは、予言者の意志に応えその力を行使する。
たちまち予言者の体からインクが溢れだし、床へと流れ落ちた。瞬く間に広がっていく黒の水溜まりから、立ち上がるかのようにインクの兵士たちが生み出されていく。
「えぇと……お前でいいか」
インクの兵士が満足できる数出来上がったのを見ると、予言者は適当な牢を開け、中に押し込められていた男を見下ろした。
「……!」
中にいたのは、特殊な形状をした猿ぐつわを噛まされ、四肢を拘束された男。男は入ってきた予言者を睨み付けるが、身動きすらほとんど出来ない体では抵抗は叶わない。
「あーと、アンクレットだっけ。だったら、メタルヴァルチャーが今いなかったよね」
二つの口を封じられ魔導具も全て没収された哀れなアンクレットは予言者に頭を掴まれ、複製を生み出す土壌とされた。染み出したインクが飛行服を着た機械の翼の背負い手になり、予言者の指示を待って佇む。
「二人を、いや三人なのかな? 追いかけて。あの人と翼の生えた女の子は確保して、他にいるのは殺しちゃっていいや」
複製されたメタルヴァルチャーは頷き、兵士たちを率いて牢屋に開けられた穴へと降りていく。
用は済んだとアンクレットから手を離した予言者はそのまま踵を返し、牢屋から出た。外へと続く牢屋を歩きながら、小さく呟く。
「……そうだ。だからこそ、彼女は……私は……」
ブツブツと呟かれる言葉は形を為さず宙に解けていく。
「……まだおびき出す準備は整っていない。貴女にはまだ、ここにいてもらわないと困る」
扉を開き、階段を上る予言者はある一室に辿り着く。
体育館ほどの面積があるそこは、四角いプールが並ぶ水族館の裏側のような光景だった。僅かな梁のような足場を残して、後は水面が揺れている。
だがほのかな光に照らされる波は透明では無い。
漆黒。全てのプールに満ちた液体は黒く染まっていた。
「タダでは無い……だけど、貴女を捕まえる為なら」
黒い水面の一つは大きく揺れると、渦を巻き始めた。予言者に止まったイザヤが翅を揺らすと、それに呼応するように渦は大きくなり、増えていく。
そして渦はまるで竜巻のように立ち上り、吸い寄せられるようにして予言者の体へと向かい、染み込んでいった。
「――ここの半分くらいは、使ってもいいですよ、エリザさん」
空になった水槽たちを一瞥し、予言者は何事も無かったかのようにその場を立ち去った。
吸い取ったインクの量は、優に消防車十台分を超えていた。




