「ははは。可能性って言っても、必ずも未来とは限らないんだ」
「……それがはやてだって言うのか?」
インクが凝り固まって人型を作っていくのを見て、私は思わずそう呟いた。
何故ならそれははやてとは全くかけ離れた姿をしていたからだ。
全身真っ黒なのは、いい。インク人間がそういうのだとは分かっている。先に支社長でやったように後から色をつけられるのかもしれないが、最初が黒色なのは納得できる。
背に生えた翼も、いい。はやてにとっては忌々しい一対の翼でも、彼女を表す特徴なのは確かだ。
だが、なんだ、これは。
「……ウウウゥゥ」
唸るソレは、人では無い。
四肢は毛皮に覆われ、まるで猿か類人猿だ。指の先には長い鉤爪が伸び、腰部からはトカゲのような尻尾が生えている。
だが、何よりその顔。
山羊のような角を持っているが、見覚えがある。それは蜘蛛の顔だ。八つの複眼が並び、鋏のような顎がキチキチと鳴っている。
嫌な記憶が蘇る。
それはダウナーそのものの顔面だった。
「……何、これ……」
呆然としたようなはやての声が聞こえた。無理もない。この光景に私以上にショックを受けている筈だ。
私の困惑も一向に収まらない。それどころかその怪物に色がつき始めた為により一層強くなる。
怪物ははやてとの関連性を主張するかのように稲穂色に染まっていった。
私たちが立ち尽くす中でたった一人、予言者が愉快そうに笑う。
「あははは!! 特に戦闘力の高い可能性を引き出してみたんだけど、それ以上に精神的なダメージの方が強いみたいだね。これはいい」
嘲笑う予言者の声にむしろ正気を取り戻し、問う。
「何だこれは! あれはどんな怪物だ!!」
はやての未来の姿? そんな訳がない。
あれはまるで……バイドローンの、キメラ戦闘員だ。
「ははは。可能性って言っても、必ずしも未来とは限らないんだ」
「何だと……」
「イザヤの力は対象者の全てを閲覧し、記憶か可能性のどちらかを具現化出来る。記憶の場合は本人以外のよく知る者を。そして可能性は本人の未来、もしくはあり得たかも知れないもう一つの姿だ」
予言者は朗々と語る。楽しくて仕方が無いという風に。
「コレは、魔法少女はやてがバイドローンに囚われた際、無残にもウィルスに浸食されすぎて自我を失った姿だ! 多大な戦闘力と引き換えに自分を無くし、最早人間性は欠片も無い、戦うためだけの存在なのさ!」
……なんてことだ。
相手は単純な未来の複製だけでは無く、それこそ可能性、遡ってあり得たかも知れない『IF』の姿までコピー出来るのか。
だが、それ以上に。
あの姿ははやてにとって辛すぎる。
「……あ、あぁ……はっ、はぁっ」
「! はやて!」
はやてが胸を押さえて崩れ落ちる。瞳孔が開かれ、明らかに正気じゃ無い。そして何より、過呼吸になっている。
「はやて、落ち着いて!」
「はっ、はっ、はっ」
私の声もむなしく、はやてはその場に座り込んでしまった。翼も力なく萎れ、床に垂れて動かなくなる。そして何より、障壁が解けた。
最悪な状況だ。はやては完全に戦意喪失してしまった!
「はやてっ!」
抱きかかえても私を見ることは無い。小刻みに揺れる瞳孔は怪物に釘付けになっている。そして身に纏った黒い衣装が琥珀の光となって消え、普通の服装に戻った。魔法少女の力すら解除された。
もうはやてに戦闘能力は無い。無力な一般人と同じだ。
「くっ!」
こうなってははやてを守るしか無い。つまり兵隊たちと、予言者とイザヤ。そしてあの怪物と私たった一人で対峙しなければならない。
「あはは! やる気かい? まぁそれしか無いんだけれど、勇敢だねぇ」
はやての前に出て臨戦態勢を取る私を見て予言者は嗤った。それを驕りと言うことは出来ない。この戦力差、どうしようも無いことは私も分かっている。
だとしても諦めない。活路がある限り、足掻いてみせる。
「……成程、忌々しい程強力な力だ。しかもバイドローンのことを知っているということは、本人の情報を全て閲覧出来るということかい?」
まずは、情報収集だ。相手の能力への理解を深め、反撃の糸口を探す。
「うん、そういうことだね。触れただけで大体のことは分かるよ。過去だけじゃ無く、未来のこともね」
ごく普通に私の問答に応じる予言者。私が諦めていないことを悟りつつも、もうどうしようも無い程有利であるから気兼ねなく答えている。そのことからコイツが私たちを逃す気は無いことが窺えた。だが、それでもいい。誰にも伝えられなくても、情報を引き出したことに意義がある。
「未来……人の未来が分かるとはね。是非とも宝くじを買う前に教えて欲しい力だ」
「あぁ、それは難しいかもね。未来は一つじゃ無い。恐ろしい程に分かれていて、どれが現実のものになるのか私でも分からない」
「……成程。全て知れても全て識ることは出来ないと」
予言者の答えをかみ砕く。イザヤでも全ての可能性を認識することは出来ないということか。全知全能という言葉があるが、つまり全知ではあっても全能でも全識でも無い。どこそこの道で石に躓いてしまったということまで網羅出来る訳じゃ無く、概要……どうしてそうなってしまったかを見ることが出来るだけか。
だがそれでも、触れられれば全て知られてしまうのは恐ろしい能力だ。
「要するに『切り抜き』か。強そうだったり劇的だったり、都合の良い可能性を切り抜いて複製する。それが未来の複製の力か」
会話を続けながら逃げ道を探る。が、入り口は駄目だ。窓の方も無理。兵隊が囲って逃げ道を塞いでいる。
そして妙なマネをしようものなら、四つん這いで私を睨む稲穂色の化け物が私に襲いかかってくることだろう。
「『切り抜き』とは言い例えだ。実に的を射ている。その娘の可能性を閲覧し、特別強そうな存在を切り抜いたということだ」
何の気なしに述べられた言葉に怒りが沸き立つ。閲覧? 特別強そうな?
つまりはやての苦しくて辛い過去を見たということだ。囚われ、辱められた地獄を知って、そしてなおはやてという存在を踏み躙る可能性を選んだということだ。
あの怪物は、はやてのトラウマそのものだ。『もしかしたら』あぁなっていたかもしれない。それだけではやてはこれ以上無い恐怖を煽られる。
ちらと振り返ってはやてを見る。相変わらず茫然自失で戦えそうも無い。どうにかしてはやてだけでも逃がせないか。
「……強力な力だ。それならばもっと強い兵士共を量産できるんじゃないか?」
会話を続けながら、方策を練る。
窓だ。窓から飛び出せば、逃げられる。はやて一人を抱えて飛ぶのは容易いし、衆目に出られれば警察が、ヒーローが来る目がある。最悪私たちごと拘束されてしまうかもしれないが、背に腹は代えられない。竜兄が取りなしてくれるだろう。
「それがねぇ、うまくなくて。複製に使用するインクの量が桁違いで」
だが予言者もそれが分かっているので隙が無い。窓の前にはびっしりと兵隊が並び、飛び込もうものなら蜂の巣にされる。
「だから可能性の複製を大量に作るのはよくないのさ。それに、今より強くなる奴ばかりでも無いしね……さて、おしゃべりはここまでにしようか」
来る……!
予言者が片手を挙げると同時に、兵隊が一斉射撃を始めた。弾丸の嵐だ。当然そのまま受ければ跡形も無くなるので、私は電磁シールドを展開し防いだ。
紫電の壁に弾丸が焼かれ蒸発する。だが途切れること無く嵐は続く。
「くっ」
電磁シールドは弾丸を防ぐが、無限では無い。私の発電機関の限界がある。オーバーロードすればシールドはダウンする。
このままではジリ貧。だから私は手持ちのスイッチを入れた。
「!?」
爆裂音が響き、弾丸の雨霰が一瞬弱くなる。先の戦闘で仕掛けておいた爆弾だ。支社長がおらず、どこかに隠し部屋がある可能性を考えて持ってきていた小型爆弾だ。虚仮威し程度で三人殺せれば上等と言ったところだが、生まれた隙は逃さない。
「うおおっ!!」
無気力なはやてを床に伏せさせ、私は跳躍する。はやてから射線を逸らす為と、兵士の壁を乗り越える為に。
眼下で怪物が見上げ、兵士たちが見上げ、予言者も見上げている。予言者の表情はマスクに覆われて窺えない。それでもここが唯一のチャンス!
「超電磁ソード!!」
左腕から展開した紫電の剣で斬りかかる。奴は、予言者自体は普通の人間である公算が高い。イザヤはまだ未知数だが、予言者さえ倒せば――!
「はやて」
予言者はただそう呟いた。呼んだのだ。勿論私の可愛い部下である彼女では無く、醜い怪物の方を。
「【動くな】」
聞き覚えのある、されど歪んだ声が耳に届く。その瞬間、私はワイヤーで縛れたかのように動けなくなった。
左腕だけが無事。この感覚、覚えがある。そこでようやく私は思い至った。あの怪物の顔面は、ダウナーと同じものだった!
空中で姿勢が崩れた私を、飛翔した怪物が掴む。鋭い鉤爪が皮膚を突き破って食い込む。そして私の体がふわりと軽くなった。
はやての魔法は、健在なのか。拘束、鉤爪、軽量化。このコンボは、不可避だ。
「ふふふ、何、殺しやしないさ。その身柄を少し活用させてもらうよ……色々とね」
怪物に玩具のように持たれた私は口すら動かせない。視界を黒い手の平が覆う。アンクレットの複製。唱えられている二重の呪文を聞いていると眠くなってきた。まずい、このまま寝たら……。
「お休みなさい。エリザさん」
意識を失う直前、予言者の呟きが聞こえた。
その声音には嘲りも恨みも無い。むしろ慈悲があるように感じた。
しかしその理由に疑問を持つよりも早く、私の視界は暗くなった。




