「お前は一瞬でもまともな人生を送ったことは無いのか?」
謹慎を命じられてしまったので、施設の中を適当にぶらつく。
色々とやること事態はあるのだが、私も所詮は人間だ。適度な休憩、息抜きは必須である。
……いや。
「不眠化……」
「止めとけ。脳みそ的には問題ないらしいが精神が持たないって研究者共が言ってたぜ」
後ろからついて来ているヘルガーが私の呟きを否定する。ちぇ、いい案だと思ったのに。
まぁそれを実行するとブラック企業ローゼンクロイツになってしまう。百合がトップを勤めるのにそれは不味い。むしろ最高のホワイト企業にしなければ。
「しかし不眠の兵団というのは憧れるな……」
「イチゴ怪人で我慢しておけよ」
「アレはなぁ……」
ヘルガーとそんな他愛のないことを言い合いながら、廊下を進んで行った。
◇ ◇ ◇
当てのない旅路の果て、辿りついたのは図書室だった。
昨今電子書籍やデータでの管理が主流になっているが、歴史あるローゼンクロイツ故に電脳化出来ない資料も数多く存在する。ここにあるのも、下級構成員でも閲覧可能なごく一部に過ぎない。
「意外と色々あるな……」
「ぶっちゃけここは暇つぶし用の部屋だぜ? 作戦に必要な資料なんかはパソコンに入っているからな」
「それもそうか」
試しに適当な本を手に取ってみる。えぇと、Rot……赤ずきんじゃないか。悪の組織に童話を置くんじゃない。
「これいらないだろう……」
「ほう? 読めるのか?」
何? 一瞬何を言われたのか意味が分からなかったが、今表紙を読んだのは日本語の本では無い。ドイツ語版の赤ずきんだった。
ネオナチスの流れを汲む組織ゆえに、ドイツ語の本も置いてあるということか。
純粋な日本人である私(名前はあれだが)がドイツ語が読めたことをヘルガーは意外に思ったようだ。
「あぁ、一応医者を志した頃があってな」
「医者?」
「そう、医者だ」
医療の世界ではドイツ語を扱うことが多い。医者を志せば自然とドイツ語はある程度身に付く。そう、私も人を癒す医療の世界を目指していた時期があった。
懐かしい記憶だ。興が乗ったから少し語ってやろう。
「昔、百合が病弱だった頃があってな」
「総統閣下が?」
「そうだ。今でこそ元気だが、昔は小学校卒業まで持つか怪しいと言われたものだ」
病に倒れて、快方すればまた次の病に倒れ……その繰り返しだった。
おかげで体育の時間はずっと見学で、悲しそうな目をして座っている百合を通りがかりに見かけることが何度かあり、そのたびに私の心は締め付けられ、どうにかしてやりたいと強く思った。
「おい待て? 体育の授業中ってことは、お前も授業中じゃないか? なんで通りがかった?」
「ちっ……勘の良い奴め」
「おい?」
「……ちょっと授業をフケるくらい、誰でもやるだろう」
「やらんわ! しかも話だと小学生だろ!? お前筋金入りの素行不良娘じゃねぇか!」
うっさいわ。成績で結果を出していたからいいんだよ。なお通信簿は素行の所為で大分マイナス補正が掛かった模様。
「話を戻して。……だから、私が医者になって百合を治してあげよう! なんて可愛らしい事を考えたこともあったのさ」
「妹思いじゃねぇか。それで? 総統閣下の病弱はいつ治ったんだ?」
「あぁ、中学校に上がる頃にはすっかりね。基礎体力が付かなかった所為で今でも体を使うことは苦手だが」
「ふぅん。……総統が中学一年生の頃はお前は三年生だから、ドイツ語覚えたのは14、15ぐらいの話か?」
「いやその頃は海外アングラから違法薬物を輸入して治せないか画策していたから、医者を志していたのは小学生時代だけだな」
「お前は一瞬でもまともな人生を送ったことは無いのか?」
失礼な、私はパンピーだぞ。
「ま、百合が元気になったからな。その後は百合のやりたいこととかを目一杯サポートして青春を優雅に過ごし、紆余曲折を経て今は悪の組織の摂政を務めている」
「波乱万丈に見えるが、お前であることを考えるとなるべくしてなったって気がするぜ」
「お前は私がなんだと思っているんだ?」
「そりゃあ……」
ヘルガーが答えようと口を開いた瞬間、私の懐から電子音声が鳴り響く。
『お姉ちゃん、電話だよ! お姉ちゃん、電話だよ!』
「む、電話か」
「お前……気持ち悪いな」
なんてことを言うんだ。この世で極上の音声を着信音にするのは現代人として普通の事だぞ。ちなみにメールバージョンや起床アラームバージョンも録音済みである。
「私だ」
通話ボタンを押し、端末を耳に押し当てる。
この携帯端末は組織側から支給される装備であり、特殊な電波発信、受信方式で傍聴を防ぐ機能がある。私のホットライン構築に時間がかかっているのもその辺の機能が原因だ。幹部用の通信網の構築は時間がかかる為、通常は上司の引退の際に受け継ぐのが通例である。ヘルガーも既に手放していた。しかし私は全くの新しい職であり、上司もくそもない。なので一からホットラインを構築する必要があり、技術部たちは手間取っているという訳だ。
電話の主はドクター・ブランガッシュだった。
『どうも摂政殿。今お時間はよろしいですか?』
「いいぞ。暇していたところだ」
『それは良かった。実は現在、新しい改造人間の小改造を発明いたしましてな』
小改造というのは、その名の通り小規模な改造の事だ。
例えば私の筋力増加施術は小改造の類に含まれる。施術に必要な時間は三時間程。簡単に施すことが可能でなおかつ後遺症や維持に薬物が必要だったりすることは少ないが、恩恵も小さい。ローリスクローリターンってところだ。
ちなみに発電能力は中規模の改造。施術時間はおよそ六時間。能力付与は筋力増強よりも難しい。
で、開発したからなんだ? 被検体に施術すればいいだろうに。
『摂政殿……施術を受けませんか?』
「絶対に嫌だ」
こいつ……私を実験台にしようとしてやがる。
確かに私に付与された発電能力はどうやら試作の代物だったようだが、これはまだ許せる。急な頼み事で組織への申請は出していない無許可の手術だったのだ。多少曰くつきの能力になっても仕方ないだろう。
が、今度は違う。なんでこいつは曲がりなりにも幹部である私を叩き台にしようとしているんだ?
「何故私をオモチャにしようとする? 発電能力は許すが、それ以外に私に曰くつきの手術をしようと? 私にそんな趣味はないぞ」
『いや、その……筋力強化も試験的な物でしたから……』
どうやら既に私はオモチャにされていたようだ。
えっ、何? 私に何をしたの?
『獣型怪人に使用予定のバイオ筋肉を、ダウングレードさせて通常の人間でも使用可能にした強化筋繊維を開発しまして』
「いやそれはいいけど、なんで私にした? 普通の筋力増強施術で十分だったんだが?」
『いえその、研究中の技術でしたら即座に施術が可能です。と説明したら摂政殿は了承なされたので……』
え? あー……。
そうだったかも。ヒーローと克ち合う予定だったから手術を依頼しに来たんだけど、やることが終わっていなかったので急いでいたんだ。だから短時間で終わるっていう話に頷いて……。
自業自得じゃねぇ?
「え、デメリットとかは?」
『獣型怪人に必要な薬物を定期的に摂取する必要があります。そうしなければバイオ筋肉が機能しなくなり筋力が落ちてしまいます』
「薬の副作用は?」
『特にはありません』
うーん、それぐらいなら、まぁいいか?
しかし既に私の身は実験台だったか。それならもう一度くらい施術を受けてもいいか?
いやどうしてそんな思考になった。だがしかし今、自分の所為なのに理不尽に怒ってしまったからなぁ。
それにヒーローに負けて逃げ帰って来たことも記憶に新しい。
新しい力……確かに欲しいところではある。
私は悩んだ末、ドクターの提案に頷いた。
「まぁ、いいだろう。待っていろ」
『おお、ありがとうございます! お待ちしております』
ドクターはそう言うと、プツリと電話を切った。いいように使われている感が否めない。
私の通話中、隣で適当な本を読んでいたヘルガーが本を閉じて私に問いかける。
「筋力強化が俺たち獣型と同じ方式だったんだって?」
「そうそう。なんか気をつけた方がいい事ってある?」
「薬は一ヶ月に一度絶対に飲め。放っておくとバイオ筋肉は休止状態に陥って動かなくなる。……が、それより再起動する際に発生する痒みがやばい。死ぬ」
「……忘れないようにしよう」
ヘルガーの言葉を深く胸に刻んで、私たちは図書室を後にした。




