「美月ちゃんは随分お父さんに愛されているみたいだなぁ」
「流石の大企業だ。我が組織のフロント企業もそれなりに大規模なつもりだったが、格が違う」
ロビーの中心から見上げる吹き抜けが優に十階は続いているのを見て私はそう嘆息した。清潔感と近未来感に溢れた昴星官コーポレーション日本支社ビルはロビーだけでも豪邸が入ってしまいそうなほど広い。
「お褒めいただきありがとうございます。ロビーは玄関口ですから、こちらとしても気を遣っておりますので」
隣で美月ちゃんがそう微笑している。今日は彼女の護衛をしつつ、支社内の案内を頼んでいる。悪の組織の観点から防衛上の穴を探すためだ。いざという時はここが戦場になるのかもしれないのだから、弱点を予め探しておくに越したことはない。
ただ、ロビーを見た時点でそれは杞憂だったかもしれないなと思ってしまう。最先端企業らしく、セキュリティもバッチリだ。
「監視カメラによって常に顔認証を行い、登録のない人間は即座に通報されます。それが全域に張り巡らされていますので、許可されていない人間は社内を出歩くことすら出来ません。……あぁ、エリザさんたちは登録済みですので、変なところに入らなければ通報されませんよ」
「ふむ……クラッキングされた場合はどうだろう。登録されたことにしてしまえば出歩き放題だ」
「それこそ我が社最新のファイアウォールがありますし、ホワイトハッカーも常時駐留させていますから」
今日の護衛メンバーは私、はやて、蝉時雨の三人だ。ヘルガーには今日は夜を担当してもらうことにした一日中警護は無理だからな。
この三人は年が近しい為、美月ちゃんの学友ということにして見学の体で見回らせてもらっている。蝉時雨は一応先輩枠だ。
格好も軍服でもフォーマルなものでもない若者っぽい私服姿だ。社内ではあまり見ない姿にすれ違う社員は少し驚いた顔をすることもあるが、何も言わずにスルーしていく。それは会社のセキュリティを信頼しているからだろう。美月ちゃんに連れられているからというのもあるかもしれない。
美月ちゃんの案内の元、会社内を巡っていく。
「当ビルは三十階立てで、全ての階に我が社の系列企業が入っています。階の中に居を構えている企業は勿論、出入りの業者までほとんど我が社の系列です」
「黒死蝶からすれば、絶好の獲物というわけだ」
とはいえ黒死蝶としてもここを襲うにはそれなりの準備がいるだろう。民間の企業にしてはかなり堅牢だ。生中にはいかない。
だが民間が故に対策出来ないものもある。
「蝉時雨、魔術的観点からはどうだ」
「……まぁ流石に裏に通じていなければ魔術には対策出来ないな。無体策と言ってもいい」
「やはりそうか。そこが問題だな」
「すみません、魔術についてはあまり分からなくて……弊社では大手を振って研究も出来ませんし」
「仕方ないさ」
やはりな。心配していたのはこれだ。魔術は裏社会にしか出回っていないもので、表の企業が対策することはほぼ不可能だ。正確に言えば知ることは可能でも、対魔術の物品は基本的に非合法品。仕入れておおっぴらに飾ることは無理だ。
だから魔術的な防御が心配で蝉時雨を連れてきた。その見立てではやはり危うそうだ。
「だが、そこまで心配はいらないんじゃないか」
しかし蝉時雨は首を横に振った。
「どういうことだ?」
「いくら魔術師が魔術を駆使したといって、ここまで厳重なセキュリティを突破できるとは限らないってことだ。魔術師は確かに常人よりは強いが、かといって警備員相手に無双出来る程強い奴らは稀だ。それに姿を隠しても認証は突破出来ない。ハッキング魔術なんて無いからな」
「それもそうか……」
蝉時雨の言う通り電子的なロックがあれば魔術師はそこで止まる。魔術とは古来から綿々と受け継がれてきたもので、大昔にはインターネットなんてものは無かったのだから。無論現代でも魔術の改良自体は続いているが、今までに全くなかった分野故に遅れている。電子的な防御は即ち、そのまま魔術に強いことを意味している。
「なら魔術師相手の心配は要らないか?」
「強力な魔術結社相手なら難しいかもしれんが、そうじゃないんだろ?」
「……うぅん、多分な」
「なんだよ歯切れ悪いな」
悪くもなる。依然黒死蝶は正体不明だ。
三度も偶発的に遭遇したというのに、遊園地以来は接触できていない。本格的に警備を始めたところがあるにも関わらず。
元々神出鬼没故に昴星官が対応出来てなかったのだ。偶然ということもあり得るし、私たちが警備を始めたから手を引いたという可能性もある。
だが一番怖いのは私たちを倒すために力を蓄えているという可能性だ。
今度の戦いは今まで以上に過酷なものになるかもしれない……用心しなくては。
「しかし美月ちゃん、よくこれだけ自由に社内を歩けるね」
用心は置いておき、私は案内される内に美月ちゃんの権限に驚いていた。
何せセキュリティの重要部でもかなりのウェイトを占めるであろう電子部門も見せてくれた。ホワイトハッカーらしき社員がズラリと並んでいる姿は壮観だった。
ここが打撃を受けたら会社としては何十億という損失が生まれる重要部であるにも関わらず、美月ちゃんの案内ですんなり入れた。これは美月ちゃんが社内で相当な権限を与えられている証左に他ならない。
「あはは……父の名代ですから。みんな父の言うこと聞いてくれてるだけですよ」
「しかし支社長令嬢と言えど普通ここまでの権限は与えられない」
社長の娘だとしてもただの子ども。普通はそんなことしない。
「美月ちゃんは随分お父さんに愛されているみたいだなぁ」
「………えぇ、そうですね」
少しの間を置いて美月ちゃんは頷いた。黙っていた間の表情は角度で窺い知れなかったが、振り返って見せた顔には笑顔を浮かべている。
「自慢の父ですよ」
そう言う美月ちゃんの顔は家族を自慢する時の百合に少し似ていた。それを微笑ましく感じながら、私は話しの流れで切り出す。
「それで、その支社長に会いたいんだが」
私は昴星官コーポレーション日本支社長である美月ちゃんの父、赤星 努支社長に面会を求めた。一応話は通っているというが、一度会っておきたかったのだ。
美月ちゃんの案内で他の重役とは顔を合わせたことはあるが、肝心の支社長とはまだ一度も会えていなかった。
「その、すみません。予定が詰まっていて……どうしてもスケジュールが空かないんですよ」
「そうか……」
前と同じような文句で断られた。何度かこうして打診しているが、赤星支社長とは未だにコンタクトを取れていなかった。確かに大企業の支社長ともなれば忙しいのだろうが、悪の組織を雇うということも大ごとだろうに。
「………」
少し不審には思うが、今のところ不自然さは左程無い。忙しいのは確かだろうから。それに支社長には劣ると言えど社内においてそれなりの地位の重役とも顔は合わせた。今後の連携においてはそちらで事足りるだろう。
だがどうにも不安を拭えない。黒死蝶のことといい、心の奥底にへばり付いた、それこそ黒い暗雲のような不安が消えてくれない。
「……杞憂に終わればいいが」
一応民間で出来る魔術的な対策を美月ちゃんに教える蝉時雨を見ながら、私はそう呟いた。
結局その日は何も起きず、夜間警備担当のヘルガーと交代し帰還した。
本部へと帰る車の中で、支社内では一言もしゃべらなかったはやてがポツリと溢す。
「……地下、行かなかったな」
「地下?」
唐突に呟いた言葉に思わず聞き返す。確かに地下階には行かなかったが……。
「地下があるとは限らないだろう。ウチじゃあるまいし」
「でも、反応はあった。不審に思われるかもしれないから、言わなかったけど」
「反応?」
首を傾げて、ハッと気付く。はやては探知の魔法を使える。ショッピングモールで使った生体探知は目視しなければ使えないが、遺跡で使った魔法・魔術探知なら広範囲に適応可能だ。
「……何か反応が?」
「たくさんあったよ。魔術的なもの、よく分からないものも」
それは、脅威がすぐ近くにあったことを示している。
美月ちゃんは魔術については分からないと言っていた。嘘を言っていたのか? それとも美月ちゃんも知らなかったのか?
……その地下のことを、昴星官にいる誰かは知っているのか?
「まさか、黒死蝶……」
心の黒雲に、不吉な雷鳴が轟いた。




