「おっでかっけ、おっでかっけ♪」
「それで、解析結果はどうだい?」
駐車場での戦闘から数日後、私は改造室に顔を出していた。
あの回収したインクのような液体の解析結果を聞くためだ。改造室は怪人の改造のみを担当するだけではなく、こういった未知の物質の解析も担当する。我が組織の最先端科学技術の粋が集まっているのだ。
「えぇ、一応は完了しましたが」
ドクター・ブランガッシュが端末を見ながら頭を掻く。
「これは……ただのインクですね」
「インクだと? 普通の?」
「はい。配合からどこのメーカーかとかは判別出来ませんが、成分はごく普通のインクのもので間違いありません。なにか特殊な物質が含まれていたりはしていません」
「なんと……」
あれがただのインク? じゃああれはただ単に奴らの持ち物が落ちて弾けただけ……ということか?
なんてこった、期待して損した。てっきり相手の重要な情報になるかと思ったのに……。
「分かった……インクは一応保管して置いてくれ。それで」
気を取り直し、別のことを訪ねる。
「それはそれとして、例の巨大化怪人の方はどうなった?」
「研究の進みは遅いと言わざるを得ません。被検体一号は改善しましたが」
「あぁ、オロチくんな」
突然多頭の蛇になってしまったことで混乱していた新人怪人オロチくん。
どうやら彼の問題は改善されたようだが、それ以上には研究が進んでないらしい。
「どうやら巨大化はリスクが高いという噂が流れているようで、被検体が集まりません」
「噂じゃなくて事実だからな……」
成程、前回の実験の話が広まって希望者が集まらなくなってしまったのか。無理もない。折角巨大化したのに頭が多すぎて動けません、なんて間抜けな結末には誰もなりたくないからな。
「はい……ということなので……」
ブランガッシュが怪しげな笑みを浮かべた。嫌な予感がする。
「……摂政殿が改造手術を受けてみませんか?」
「嫌だ」
私は即答した。私だってリスクが高いと思ってるんだ。
だがブランガッシュは食い下がってきた。
「いやいや、ほら一応見てから決めてくださいよ。色々設計図はあるんですから」
「次の被検体に幹部を使うなんてどうかしてるだろ! それに私はもう散々実験体になっただろう!」
これ以上変な機能増やしたくない。
ドラゴンや巨人などといった幻想的な生物の設計図を見せてくるブランガッシュから、私は逃げるようにしながら改造室の出口に向かった。
「設計図の練り直しをしておけ! しばらく変なことするなよ!」
「くっ……はい」
渋々頷いたのを見ながら、私は改造室を後にした。
「ったくブランガッシュめ。資金はたっぷり与えている筈なのに、迷走癖が抜けてないな……」
私たちが来るまで十年単位で迷走していたのだから無理もないが。
「出来れば黒死蝶と当たるまでに強力な怪人を用意しておきたいところだが。一先ずは今居る連中を集めないとだな。ええと、ヘルガーとオロチくんと……」
そんな風に廊下を歩きながら思案していると、懐から電子音が鳴り響いた。なにやら電話の着信音らしき音だ。
「? あれ、私の着信音は百合のボイスな筈だが」
私は自分の携帯端末の音声を全て百合のボイスに変えていた。最近はアップデートを重ね百合の寝起き時に収録したレアボイスが鳴るようにしている。
だからまるでデフォルトのような普通の電子音は逆に聞き慣れないのだが、はてなんだったか。
「……あぁ、これか」
音源である物体を取り出してみれば、それは黄色に彩られたローゼンクロイツ製とは別の携帯端末だった。
これはユナイト・ガードの通信機だ。何故私が敵方の通信機を持っているかと言えば、お母さんとの別れ際に押しつけられたからだ。
「たまには元気な便りを送ってきなさい」などと言われたが、向こうから掛けてきたか。
「もしもし? ……お母さん?」
『はぁい、エリザ。元気かしら?』
「怪我はしてないよ」
ちょっと荒事はしたけど。
「それで何の用? ローゼンクロイツ内部だと傍受の可能性があるんだけど」
ローゼンクロイツ本部は通常の通信を遮断する仕掛けが施されている。しかしお母さんに渡されたユナイト・ガード製の通信装置はより強度の高いプロテクトが掛けられているようで、本部の中でも通じた。しかし長々とくっちゃべっていたら、傍受されて解析される恐れも十分ある。早めに切り上げるに越したことはない。
『もう、せっかちねぇ。あのね、みんなで出掛けない? ってお話よ』
「出掛ける?」
『そうそう。お父さんと私の休みが丁度合ったのよ。だからそれを利用して久々にみんなで遊びに行きましょう?』
「遊びに、ねぇ……」
私は難しい顔になって唸った。
家族で遊びに行く。それ自体は私にとってとても魅力的だ。家族は大好きだし、そろそろお父さんとも顔を合わせたい。
だが私はともかく、ローゼンクロイツ総統である百合はそう簡単に外出できない。この間黒死蝶との戦いに巻き込まれたという事情もあって、ちょっと難しいところだ。
「出来れば行きたいけどさぁ」
『そう? なら次の日曜日に行きましょう。集合場所はメールで送っておくからね~』
「あ、ちょ」
切れた。まだ行くとは言っていないのに。お母さんはそういうとこある。
「はぁ、どうにか説得しないとな……」
端末にきたメールを確認しながら、私は総統室へと歩を進めた。
「え!? 行きたい行きたい!!」
母からお出掛けのお誘いがあったと百合に言えば、当然の如く所望した。
無理もない。百合からすれば久々に私以外の家族と会うための機会なのだ。こうなることは目に見えていた。
だが百合の希望が通るかどうかは――
「ヤクト、いいよね!」
『はい、了解しました』
「え、いいの?」
ヤクトはあっさりと頷いた。それに私は思わず呆気にとられる。
『我々は元より総統閣下に絶対服従です。総統閣下が強く望めば、断ることなど出来ません、が……』
ただし、とヤクトは続ける。
『我々を護衛として何かあった際即座に出動出来る位置に待機させていただきたい。移動するならば車両を用意致します』
「うんうん、いいよ!」
上機嫌な百合はすぐさま許可する。まぁ私も、それくらいの警備はするつもりだった。
「ただ、目立たない車両にしてくれ。トラックとかな。装甲車は駄目だ」
『承知しております。手配や他幹部の説得は拙にお任せください。必ずや説き伏せて参ります。絶対です』
「お、おう」
ヤクトはそう言って、総統室を出て行った。今言ったように、他幹部を説得してくるのだろう。
しかしなんだ。いつになくやる気に満ちていたが……あ、まさか。
「前回置いてかれたのが結構堪えてたのかな……」
ヤクト不在時にトラブルがあったからなぁ。総統の護衛であるヤクトは忸怩たる思いを抱えていたのだろうか。
そんなヤクトの奮起とは裏腹に、百合は浮かれきっている。
「おっでかっけ、おっでかっけ♪ 久しぶりにみんなと会える~♪」
「次の日曜日だからね。それまでは仕事を頑張りなさい」
「は~い♪」
「ホントに分かってる?」
完全に上の空な返事を聞きながら、気分が既にお出掛けのことにいってしまっている百合のことを私は微笑ましく見守っていた。




