「真っ昼間に堂々とこんな真似をすれば……」
曇天に昇っていく黒煙と、赤い炎に燃える灰色のビル。
それらを実現させたのは、墨のように黒い兵隊と同じ色の巨大な蜘蛛だった。
「GYAAAAAAAA!!」
ビルの大きさは左程では無い。精々が四階建て。ただその高さに屋上の蜘蛛を足せば、幻の五階が出来上がる。
蜘蛛は叫びながら足を床へ叩きつけた。巨躯と比べ細く見える八本足は、容易くコンクリートの屋上を貫き、下の階まで簡単に貫通した。更にビルの壁を砕いて外まで突き抜ける。
破壊行為はそれだけに留まらず、なんと口から火を噴いた。その炎は隣のビルを舐めるように這い、引火して燃え上がった。広がる火災に、人々は逃げ惑う。
「まるで怪獣映画だな……」
「呑気な!」
私と同じように割れた窓を超えて外に出てきたヘルガーに突っ込まれる。無論、私とて他人事でただ眺めているわけじゃ無い。確認するべき事はちゃんと見ている。
「蜘蛛の乗っているビル、さっき美月ちゃんの言っていたアステリ・ペイントの看板がある。あの黒い兵士も……」
持ってきたタブレットを起動し、該当の画像を映した。黒い兵士がどこかの施設を強襲する写真。目の前とそっくりだ。
「黒死蝶ね、間違いない。今の今とは、我ながら中々に数奇な星の下だ」
「……どうする?」
「どうするって?」
ヘルガーの問いに、私はとぼけて問い返した。苛ついた様子でヘルガーが怒鳴る。
「だから、戦うのかって聞いてるんだよ! 今日は護衛用の最低限の装備しか無い! 本格的な戦闘は無茶だ!」
「あぁ、それに今ここで戦ってしまえば美月ちゃん、いや昴星官との契約を了承したことになってしまう。幹部会議を通さずにそれは少々まずい」
バイドローンの時は私個人との同盟という趣が強かった。あくまで私の裁量で出来ること、という話だった。イチゴ怪人も遺跡に乗り込む戦力も、私だけで用意できるものだった。
しかし今回の昴星官コーポレーションの護衛は総統である百合を通したローゼンクロイツ全体との契約だ。勝手に私が決めてしまえば後々面倒なことになる。特にヴィオドレッドあたりが五月蠅そうだ。中立を標榜するあいつは、特権が偏ることをよしとしないからな。
戦わないと私が言ったことにヘルガーは安堵したように息を吐いた。そんなに猪じゃないさ。
「そうか……だが、見ているだけか? 俺としては、このまま総統閣下を連れて撤退することを進言するが……」
「いや、下手に動くと奴らに捕捉される恐れがある。特に昴星官を狙う輩の前に、美月ちゃんを晒してしまうリスクは避けたい」
ここから逃げ出そうとすれば、当然百合は友達である美月ちゃんを放ってはおけない。一緒に脱出しようと促すだろう。しかし黒死蝶の前に昴星官のお嬢様である美月ちゃんを出せば、狙われる可能性が高い。
「ここは、騒ぎが収まるまで待つ」
「……収まるのか? こんなの」
確かに日中突然行われた襲撃は正に青天の霹靂で、人々は何も出来ず逃げ惑うだけだ。黒い脅威が蹂躙し、為す術も無い。だがお忘れか?
「真っ昼間に堂々とこんな真似をすれば、当然、奴らはやってくるのさ」
突如、巨大蜘蛛の身体が折れ曲がった。横から痛打を受けたのだ。
「GYAAA!?」
苦悶の声を上げる蜘蛛の横腹から、煙のように光の残滓が宙へと消えていく。見覚えがある。あれははやての魔法弾と似ている。
直後、蜘蛛の上空に輝きを伴って現れたのは、青い光を纏った男だった。
「美しくない……この地上には相応しくない生物ですね。疾く消えてもらいましょう」
金糸のような髪に、蒼穹を思わせる深い青色をした瞳。白い衣装に身を包んだ長躯の男は、例えるなら白馬の王子様といったイメージだ。
だがその周囲に浮かんだ氷塊が、ただの人間では無いことを知らしめている。
「来たのは『氷刃のレイスロット』か。まぁ巨大ロボを出さなければ周辺被害は大人しい方だな」
やってきたヒーローを見て、私はそう呟いた。
レイスロットは魔法を使うヒーローだ。といってもはやてたちのようなどこかから来たマスコットと契約を結んだ魔法少女では無く、彼自身が異世界からやってきた来訪者だ。
魔法世界レギンレイヴからゲートを開き、仇を追ってこちらの世界に来たという彼は、傷つく異世界の人々を見捨てられずに向こうの世界で自ら身につけた魔法で人を助けるヒーローとなった。
氷を操る魔法剣士。それがレイスロットというヒーローだ。
なお巨大なロボットである『氷雪機神』というロボットも所持しているらしいが、被害が拡大するのでこの場では出さないだろう。
「凍てつけ! 無象共!」
そう叫び手に持った氷のレイピアを振るうだけで、地上の兵隊は八割方凍り付いた。それを見届けたレイスロットはそのままレイピアを閃かせ蜘蛛へと斬りかかる。
「一瞬でアレか。やっぱり魔法はチートだな」
身近に魔法少女がいるため、その万能ぶりはよく思い知っている。出力も馬鹿高い。つくづく敵に回したくない相手だ。
斬り結ぶレイスロットと蜘蛛を見上げていると、どこからか駆けつけた数台の四角い車がビルの前で停車した。ドアが開くと、中から黄色い紋章をつけた兵士たちが雪崩れ出てくる。
「おやユナイト・ガードの登場か。早かったな、優秀なことで」
「俺らにとっては有り難くないな」
「確かに」
駆けつけたユナイト・ガードの部隊は残った兵士たちを瞬く間に鎮圧してみせた。黒い兵士たちは最後まで抵抗しようと試みたようだが、ユナイト・ガードの手にした最新の鎮圧兵器に為す術も無く拘束されていく。最初にビルを制圧していた人数ならともかく、そのほとんどが氷に閉じ込められてしまってはまともな対抗は出来なかったようだ。
「あっさり捕まったな。それに……」
戦闘が終結したのは下だけじゃない。上を見上げれば、蜘蛛の全身が宙空に現れた十二本の氷の剣で滅多刺しにされるところだった。
「サークルソード・ラウンズ!」
氷の剣はその全てが深々と突き刺さり、そして更に刃から氷の杭を無数に発生させた。ただでさえ十二本もの剣の突き刺さった蜘蛛の身体が、内側からまるで剣山のように貫かれる。
「えっぐい技だな。ズタズタじゃないか」
あの蜘蛛は尋常の生物ではない。ないが……流石に耐えきれなかったようだ。
「GYA……GYAA、AA……」
か細い断末魔を上げ、急速にその身体を弛緩させていく。まるで氷の剣に命を吸い取られるようだ。
なんとも言えぬ気持ちでそれを眺めていたが、その次の瞬間、瞠目すべき現象が起こった。
「……? 溶ける?」
氷の剣に滅多刺しにされた蜘蛛の身体が、突如として溶け始めた。顔も、胴体も、八本足も全てが泥のように溶けていき、刺さっていた氷の剣が地に落ちる。
「……黒い兵士も同様か」
溶けていくのは蜘蛛だけではない。氷漬けにされた兵士も、ユナイト・ガードに拘束された兵士もまた、シュウシュウと音を立てて溶けて消えていく。慌てるユナイト・ガードたちの前で、兵士たちは墨のような水たまりを残して消え去った。
「本物の生き物じゃ無かったってことか。謎めいているな……」
明らかに超常の力だ。特殊能力か、魔法の類いか。どちらにせよ、確保できなければ調べようも無い。
跡に残された水たまりも、薄れるように消えていく。
「どこからともなく現れて、倒しても跡を残さず消えてしまう。成程、これはまた厄介そうだ」
一つの企業だけを狙う、得体の知れない悪の組織。
受けるかどうかは他の幹部次第だが、まずはその正体を探るところから始めないといけなさそうだ。




