「顔が見たかったんです。元気そうでよかったわ」
「美月ちゃん!」
入店した喫茶店は、木目調の落ち着いた雰囲気の店だった。それなりに広く、テーブルが多い。植木や仕切りがたくさんあるので、ファミレスのように見通しは悪い。おそらくこれは意図的なもので、互いを見にくくすることで安心して話が出来るようにという配慮なのだろう。店内BGMも大きくて他の客の話し声は聞き取りづらい。流石は密談の御用達ということで、成程よく考えられている。
そんな喫茶店を歩きながら目的の人物を探すと、普通に見つかった。百合の顔がほころぶ。
「久しぶり!」
席を立って応えたのは、百合と同年代の少女だった。
「ええ、百合。本当……久しぶりね」
腰まで伸びた長く艶やかな黒髪に、つり上がった意志の強そうな瞳。真っ直ぐな鼻筋に濃い柳眉。気の強そうな美少女。それが印象だ。
品のいい赤色のコートに身を包んだ彼女は夢見崎 美月。百合の学友にして今回の取引相手だ。
「びっくりしたわ。いきなり高校を休学して、そのまま辞めちゃったんだから」
「ご、ごめんね。訳があって……」
そうなんだよね……結局、ローゼンクロイツからは中々外に出られないから、休学状態で保留にして置いた高校は辞めざるを得なかったんだよね。出来れば楽しい学生生活を送らせてあげたかったのに……恨むぞ総統紋。
「分かってるわ。悪の組織の総統になっていたのなら、仕方ないわね」
そう言って優しげに微笑む彼女は、高校の時の何も変わりない。だが何故か、百合がローゼンクロイツ総統になっていたことを知っていた。
そして何故か、昴星官コーポレーションとして接触してきた。
「お姉さんも、お久しぶりです」
「うん、ご無沙汰だったね、美月ちゃん」
私にも挨拶してきた美月ちゃんに、私も応える。百合の交友関係は不埒な者から守るために、私が厳密に審査してきた歴史がある。異性は勿論駄目。同性でも素行に問題があったり、百合を害する危険性のある者は容赦なく遠ざけた。お近づきになろうとする男子生徒を闇討ちしていたのはいい思い出よ……。
そんな中で彼女はその審査をほぼ満点でくぐり抜けた、百合の親友だ。百合とは中学からの同級生で、同じ高校に進学。遊びに行く時は大抵一緒だった。家に遊びに来たこともあるし後輩なので、私とも面識がある。
「話したいことは色々あるけど、まずは座って」
美月ちゃんの勧め通りに、私たちはテーブル席に座る。同時に、私はジーンズのポケットにしまった装置でサインを送った。スイッチでモールス信号を送ると、外で待機しているヘルガーたちに合図が送れる。今しがた送ったのは「席に着け」というサイン。これでヘルガーたちは入店して近くの席に座るだろう。
私が密かにそんなことをやっている間に、二人の話は盛り上がっている。
「え! 美月ちゃんそんないい大学行くの? 勉強大変じゃない?」
「何言ってるの。昔から頭は私の方がいいでしょ?」
「あはは、確かに!」
美月ちゃんは成績優秀な子だった。百合も決して悪いわけではないし、むしろ中学一年生の時は百合の方が成績は良かった。だけど美月ちゃんはそこからぐんぐん伸びて、最終的に期末テストの成績では学年一位を取るほどになった。彼女は努力家だ。
懐かしさを感じつつ、本題に入るよう促す。
「旧交を温めるのはそのくらいにして、本題に入っていい?」
「あ、はい。分かりました」
「うん……そうだよね、仕事だもんね」
百合がしゅんとしてしまう。ご、ごめん。だけどはっきりさせないと安心できないこともあるんだ。
近くの席にヘルガーたち四人が座る気配を感じつつ、私は切り出した。
「……なんで貴女が昴星官の使者なの?」
彼女は昴星官の名を使って接触してきた。騙っただけじゃ無理だ。仮にも悪の組織であるローゼンクロイツとコンタクトを取るには、それぐらいの大企業じゃ無ければ出来ない。どうしてそんな権力を彼女が使えるのか。それをはっきりさせなくては。
美月ちゃんはすんなりと答えた。
「それは、私の父が昴星官コーポレーションの日本支社の社長だからです」
「……なんと」
帰ってきた答えは予想外のものだった。つまり社長令嬢だ。支社長ではあるが、昴星官ともなればそんじょそこらの社長より余程の権力を持っている。つまりこの子は、日本屈指のお嬢様というわけだ。
だが、疑問がある。
「だけど、日本支社長とは名字が違うはず?」
ここに来る前に、当然ある程度は調べてある。特に支社長の名前くらいはホームページを見れば一発だ。そこで見た支社長の名は「赤星」。美月ちゃんとは違う。
「そこはちょっと、家庭の事情があって。でも父の名代であることは確かですよ。ほら」
そう言って苦笑しつつ美月ちゃんが差し出したのは、一枚のカードだった。テーブルの上に置くと光って、空中に像を結び始める。ホログラフだ。
浮かび上がったのは一人の壮年の男。見たことがある、ホームページの写真で。支社長の赤星だ。
『この者、美月を私の娘と認め、一時的に名代とする』
音声が流れ、男の映像がそう口にした。それから像がほぐれ、何やらコードやら指紋などが浮かんで、そして消えた。
私は感心して溜息をつく。
「はぁ~……今のが昴星官のホログラフ技術か。確かにすごい」
大企業である昴星官は先端技術をいくつも抱えている。その一つが実用化したホログラフだ。昴星官の傘下の企業では今のようにホログラフによる書類をやり取りしていると風の噂で聞いていたが、まさか本当だとは。
「今ので駄目なようならば紙の書類も用意していますけど」
「いや、いいよ。少なくとも昴星官でなければこのホログラフは用意できないだろうからね」
このホログラフを出すこと自体が昴星官の関係者であることを証明している。そしてわざわざ昴星官の中で偽造する理由も無い。内情を知らないローゼンクロイツ相手に嘘をついている可能性は残っているけど、昴星官の関係者であることは確実だ。
「取り敢えず、昴星官の使者であることは信じた。それで、なんだってローゼンクロイツと接触を。いや、その前にどうやって百合が総統であることを知ったんだ?」
百合がローゼンクロイツ総統であることは機密事項だ。悪の組織であっても知らない組織も多いはずだ。何故一般企業に知られたのか。まずはそこが気になる。場合によっては深刻な事態になりうる。
美月ちゃんはにこりと笑って答えた。
「それについては、秘密です」
「……いやいや」
そこが一番大事なんだよ。万が一にでも百合の命が狙われたらさぁ……。
しかし美月ちゃんは人差し指を唇に当ててはぐらかす。
「決して百合のことが広がってしまうなんて事態にはならないと保証しますよ。私も黙っておきますし」
「……うーん、でもねぇ」
「お姉ちゃん、美月ちゃんがこう言ってるんだから」
「……分かったよ」
百合の取りなしが入って、私は仕方なく諦めた。出来れば追求したいが、百合の機嫌を損ねるわけにも友情に罅を入れる訳にもいかない。後でメアリアードに頼んで、諜報部を動かして漏れが無いか徹底的に洗い出そう。
取り敢えず私の懸念はここまでにして、向こうの要件を促す。
「それで。……どうしてローゼンクロイツに接触を?」
「ええ、まずは、百合に会うため」
「百合に?」
私は目を丸くした。予想外の答えだ。
「はい。何せ百合は悪の組織の総統です。普通の女子高生の身分じゃ会えない」
「それは、そうだな」
百合とて気軽に外を歩ける身分では無い。いつヒーローの強襲があるか分からないのだ。なので然るべき理由が無ければ外出も出来ないし、外で誰かと会うなんてもってのほかだ。
今回それが可能となったのは相手が昴星官の人間だから……あぁ、成程。確かに昴星官の名前を出さなければ百合には会えなかったな。
「顔が見たかったんです。元気そうでよかったわ」
「美月ちゃん……」
じーんと百合が感動している。友達が自分のことを想っていてくれて嬉しいのだろう。
だが当然、それだけの理由じゃ昴星官の許可、つまり美月ちゃんの親父さんの許可は下りない筈だ。
「それで、本当の本題は?」
「あら……今日は性急ですね」
「これでも摂政なんでね」
組織を預かっている以上、例え知己が相手と言えど生半な仕事は出来ない。
美月ちゃんは諦めたように肩を竦めた。
「ええ、分かりました。……今日伺ったのは他でもない、悪の組織についての要件です」
突然わかりきったことを言う美月ちゃんに、私は首を傾げた。
「そんなの当たり前だろう。だから訊いているのは我がローゼンクロイツ一体何の用か……」
「いえ、ローゼンクロイツ……だけではありません」
「何?」
問い返す私に、いつの間に頼んでいたのかカップに入った紅茶を口にしながら美月ちゃんは言った。
「本日お呼びしたのは他でもない。助けていただきたいのです。他の悪の組織から」
……どうやら今度は、最初から悪の組織と敵対するようだ。




