「お前を……ぐちゃぐちゃにしてやる」
闇の中でディスプレイがほのかに照らす室内は、どこかの倉庫のように見えた。
金属製の箱や金網が無造作に並ぶ風景は、お世辞にも綺麗とは言えない。鉄板の床にはドラム缶も転がっている。稼働しているディスプレイが無ければ、廃墟と断定できるような場所だった。何か用がなければ、誰も好き好んで来はしないだろう。
そこへ現れたのは、鼻歌を歌いながら歩く一人の青年だった。
ただの青年では無い。分厚い機械式のゴーグルで目元を覆い、腕にはほんのりとライトが発光するガントレットを嵌めている。オレンジのツナギを着ているが、異常なほどのポーチが全身にくっついていた。大きさはまちまちで、背中にはギターケースを背負っている。
軍靴のようなデザインのブーツで金属の床を甲高い音で足音を響かせながら、青年は倉庫の中央、ディスプレイの前にギターケースを降ろした。
ふと彼は鼻歌を止めた。
この場にもう一人いることに気がついたからだ。
「おやおや?」
暗闇の中でも、彼の着けた暗視ゴーグルは見逃さない。
佇んだ人影を見て、彼は話しかけた。
「そこにいるのは、メタルヴァルチャーの旦那じゃないっすか!」
「……コールスローか。煩い奴だ」
暗視ゴーグルに映っていたのは、コールスローと呼ばれた青年とは違うデザインのゴーグルを着けた男だった。
ゴーグルは昔の空軍パイロットが着けていたようなデザインで、どこか古びている。耳付きの帽子にファー付きのジャケットを身に纏った姿は、やはり複葉機に乗っていそうな一昔前のパイロットだ。
だがその背中には、折り畳まれた機械の翼を背負っていた。
「いやぁメタルヴァルチャーの旦那がいるなら、この仕事はもう安泰だな!」
コールスローはウキウキと嬉しそうに言った。一方でメタルヴァルチャーは鼻を鳴らす。
「俺は不安が増した。残飯野郎を招くなど、性格は問わない主義らしい」
「なに言ってんすか! 腕も立って性格も良し! そんで情報通! だからここにいるんじゃないですかぁ!」
ニヤニヤ笑いながらコールスローはメタルヴァルチャーの肩を叩く。メタルヴァルチャーは顔を顰め、煩わしそうに身じろぎした。その足からはモーターの駆動音が鳴った。
そんな二人は、闇の中に現れた別の気配を感じ取り、一旦動きを止めた。
揃って一点を注視し、現れた姿にメタルヴァルチャーは苦い顔を、コールスローはなんとも言えない表情を浮かべる。
「げっ、アンクレットの旦那」
そこにいたのは二人より奇妙な出で立ちの男だった。
中東を思わせる民族衣装に、ジャラジャラと多くの金属器を身につけている。銀で出来たチェーンに、金と銅の指輪。しかしそれらを見て成金だと思う人間は少ない。なにせそれらには一様に、おどろおどろしい意匠が刻まれていたのだから。
首に巻かれた銀のチェーンには血のように赤い紋様が書き込まれ、ほぼ全ての指に嵌められた指輪には髑髏や心臓、蛸の彫刻が浮かんでいる。それらは素人が見れば悪趣味なオカルトグッズに過ぎないが、闇社会に精通した人間なら畏怖する光景だ。
身につけている物は全て、魔道具なのだから。
アンクレットと呼ばれた男は口を開いた。
「初めて会う人間だ。私のことは知っているようだ」
「あー、止めてくださいっす。噂の二重詠唱っすか。聞き取れないったらありゃしない」
浅黒い肌の男の口は、中心で二つに分かれていた。二つに分かれた顎と舌がそれぞれ同時に喋り、紡がれた言葉は常人では可聴出来ない。
メタルヴァルチャーはコールスローが現れた時以上に顔を顰めた。彼はアンクレットと面識があった。そしていい印象は無い。
「アンクレットか……前の仕事は散々だった。これは益々不安だな」
「我輩もそう思う」
メタルヴァルチャーの呟いた苦い声に呼応したのは、コールスローでもアンクレットでも無かった。
声のした方向に一同が振り返れば、そこにはさっきまではいなかった男が、積み上げられた金属の箱の上に座っていた。
「纏まりを欠いていると言わざるを得ないな。これでは愛刀に血を吸わせられるか疑わしい」
男はその痩身に武者甲冑を身に纏っていた。しかし博物館に飾られるような重厚な物では無く、薄く少ない。武者よりも、忍者の方が近しい雰囲気だ。抱えた黒塗りの鞘に収まった刀は身の丈ほどに長い。顔には青い縁取りの狐の面を被っていた。
「お前は……」
「うっへぇ、落水狐っすか。また厄介な旦那だ」
メタルヴァルチャーは知らなかったが、コールスローは男を知っていた。共に仕事をこなしたことがあり、そしてその厄介さも知っていた。
「アンタがいると作戦地域が広がっちまうんだよな。頼むから変なヒーロー呼び寄せないでくれよ」
「それは知らん。求める贄は、いくらいても足りないくらいだからな。なぁ、朽」
辟易したコールスローと、うっとりと刀を撫でる落水狐を見て、メタルヴァルチャーはまた面倒な奴が増えたと嘆息した。アンクレットは二重に重なった笑い声を上げている。
気を取り直したコールスローが、倉庫の中央で他三人を見回す。
「さて……ここに集まったのはこの四人っすか。全員同じ仕事っすよね」
「あぁ、『予言者』からのな」
四人は怪人、それも金で雇われる傭兵だった。
金をふんだくる分実力は高く、場合によってはヒーローとも渡り合う。悪の組織とも関わりの無い企業やマフィアとも手を結ぶことがあり、今回もそういった、悪の組織では無い人物からの依頼、その筈だった。
「だが依頼主は……まだ来ていないようだ」
「遅刻か。場合によっては、指の一本はもらうか」
「ふふ、それはいい。女ならいいな。朽が喜ぶ」
「狐、お前どうやって聞き取った?」
歓談に興じていても、四人はプロの傭兵だ。
いつ誰が来ても対応出来るように、密かに身構えていた。
落水狐は三人の察知を掻い潜ったが、それは落水狐が忍びだからだ。
そして忍び故に落水狐は人一倍気配に敏感だった。
しかし気付かなかった。
まさかディスプレイから手が伸びるとは。
「え?」
突然の出来事に、呆けた声を出すコールスロー。
画面から伸びた腕は、ディスプレイの前にいたコールスローの首を捉えた。
「がぁっ!?」
「コールスロー!?」
画面から現れたのは、黒い腕だった。節くれ立った、昆虫を思わせる長い腕。
腕はコールスローの首を掴み、宙空に持ち上げた。それを見たメタルヴァルチャーが、懐から抜いたナイフでその腕を切り落とそうと試みる。
しかし防がれた。
他ならぬ、メタルヴァルチャー自身の手によって。
「な、に?」
まるでコールスローから滲み出すように現れたのは、黒いメタルヴァルチャーだった。全身が墨で塗りたくられたかのような姿。ゴーグルの奥の双眸は、感情を映していない。漆黒の猛禽。
黒いメタルヴァルチャーはかち合わせたナイフから手を離し、本物のメタルヴァルチャーの頭を鷲掴みにした。
「ぐああっ!?」
次に生み出されたのは、黒いアンクレットだった。メタルヴァルチャーの身体から滲んだ墨のような液体が、やはり黒い貴金属を身につけた魔術師へと変じる。
それに気付いた本人が魔道具を使おうとするが、それは叶わなかった。
コールスローから更に滲み出た、黒い落水狐がアンクレットを刺したからだ。
「かはっ」
二つの口から血を吐き倒れ伏すアンクレット。そして最後に残った落水狐は、三体の黒い分身たちに囲まれた。
「これは……面妖な」
しかし自分なら、深淵罪忍軍の抜け忍である自分ならこの包囲から抜けだせると、落水狐は刀を鞘走らせ……ようとした。
「……ぬっ!? ……抜けない!?」
驚愕した落水狐は、愛刀がワイヤーで雁字搦めにされているのを見た。
頭を掴まれた力ないメタルヴァルチャーから生まれた、黒いコールスローの投げたワイヤーによって。
「ば、馬鹿な。これは……」
「すごいだろう? 私の兵隊は」
落水狐の背後から声が聞こえた。
機械で歪められた声だ。性別は分からない。おそらくボイスチェンジャーを使っている。
黒い影たちの視線に射すくめられた落水狐は、振り返ることすら出来ずにいた。そんな彼へと、楽しげに声の主は話しかける。
「君たちは私の兵隊になろうと集まったのだろうが……これが私の本当の兵隊だ。従順で、強いだろう?」
「ではお前が、『予言者』……」
落水狐はどうにか脱出できないか頭を巡らせた。だが考えれば考えるほどに困難だと悟る。
自分と同等の腕前の怪人たちを瞬く間に制圧した黒い影たちに、もう一人。それも愛刀を封じられては、実力は五割も発揮できない。
狐の面の下に冷や汗を垂らしながら、落水狐は声に問う。
「我輩らを呼び寄せたのは仕留める為……いや、違う。この黒い影を生み出すため、に」
「そう! 正解! おかげでこんなに強い兵隊が生まれた! 感謝してもいい!」
楽しげな声が倉庫に響く。
落水狐は悟った。最早これまで。かくなる上は、刺し違える。
そう覚悟し、落水狐は振り返った。そして絶望する。
「ふふ、私のコレクションが、また増えた」
そこには白い翅の巨大な蝶に守られ、マスクを着けた口元しか見えない黒衣と、
五十はいようという、黒い影の集団がいた。
四人の傭兵を始末した黒衣は黒い影たちに傅かれながら天を仰ぐ。
「あぁ、これで準備は整った! 待っていろ…… ……」
黒衣は宿敵の名前を小さく呟いた。その名前は、本人にも届かずに空気に溶けた。
天への伸ばした生白い手を、強く握り込む。まるで小さく儚い花を潰すかのように。
「お前を……ぐちゃぐちゃにしてやる」
その言葉は憎悪に歪んでいた。




