「お、お姉ちゃん……私、悪の組織の総統になっちゃった……」
「お、お姉ちゃん……」
姉妹の部屋で、妹がもじもじしながら言葉を紡ぐ。
椅子に座って向かい合っている妹はどこか言い辛そうだ。
「なぁに? 我が最愛の妹よ」
私が笑みを浮かべて言葉の先を促す。妹は言葉を続けた。
「……私」
そう言って妹は椅子から立ち上がり、恥ずかしげに制服のブラウスのボタンを外し前を開いた。
きめ細かい白い肌、可愛らしいそのおへその部分に刺青のような紋様が浮かんでいる。
茨と竜と十字を組み合わせたかのようなその紋様は……とある悪の組織のエンブレムだった。
「悪の組織の、総統になっちゃった……」
◇ ◇ ◇
昨今、技術の発展目覚ましい現代において社会問題となっている存在がある。
それが悪の組織だ。
ある組織は、怪人をけしかけ世界征服をたくらみ、ある組織は新人類を作り出し旧人類の掃討を掲げた。
時には実験と称し街一つをゾンビパニックに陥れるマッドな組織もあった。
世はまさに大悪の組織時代。語呂が悪い。
そんな悪の組織の乱立する世界で未だ秩序が保たれているのは組織に抗うヒーローが居るからだ。
脳改造の前に悪の組織を脱走した改造人間。正義の力を授かり団体で戦う戦隊。喋る小動物と契約した魔法少女……。
悪に立ち向かい、挫けず、人々を守り通す彼らの存在によって我々の社会はギリギリの部分で食いつないでいた。
悪の組織の猛威がヒーローによって堰き止められているからこそ、私たちは日常を謳歌出来る。
ヒーローは私たち一般市民にとって希望だった。
だが妹は悪の組織の総統に選ばれたらしい。
その証が、妹の可愛いおへその周りに浮かんだエンブレムだという。
まず触って、ペイントじゃないか確かめる。
「んぅ……」
妹はくすぐったげに身をよじらせた。ふむ、触ってみた感じ絵では無いな。いつも通りすべすべな肌の感触しか感じない。
次に私はスマホを取り出して検索を始めた。確かこのエンブレムの組織は……。
「ローゼンクロイツ、だっけか」
検索エンジンに名前を入力すると、ホームページが現れた。
悪の組織、覇権帝国ローゼンクロイツ。
由緒ある悪の組織で、その前身にネオナチの系統を含むらしい。ホームページに映っている制服もナチスドイツ風だ。
改造人間を主力にした組織らしく、今月のMVPというコラムに笑顔を浮かべたメカシマリスの怪人が載っている。シマリスの笑顔ってレアだな。
ページにある総統の顔は……禿げたおっさんだな。当然ながら妹と似ても似つかない。
次にWik○pediaをチェックする。
ふむふむ、どうやら歴代総統は改造人間でなく『総統紋』という超能力を受け継いだ人間が務めるらしい。総統紋は総統が死ぬと自動的に次の適合者へ移って、ローゼンクロイツは新たな総統へ忠誠を誓うとのことだ。
最後に、ニュースサイトを確認する。
一昨日の警察とヒーローが手を組んだ大獲り物で、悪の組織の幹部何名かを拘束、もしくは射殺したそうだ。その中にローゼンクロイツの総統の姿があったとか。
……成程、どうやら妹が悪の組織の総統になったのは確かなようだ。
「ど、どうしよう、お姉ちゃん」
涙目で妹が訴える。私は落ち着かせるように妹の肩を抱いた。
「大丈夫よ、百合」
我が妹、紅葉 百合は世界一可憐な女子高生だ。
成績優秀で誰にでも愛想よく、ちょっと運動が苦手な点もチャームポイント。
黒い髪に映える子猫のバレッタは何を隠そう私の手作りだ。妹の可愛さを引き立てる最高のアイテムだと自負している。
そんな妹が悪の組織の幹部に選ばれてしまった。
私はまず現状を確認することにした。
「組織側からなにか接触はあった?」
「あった……。今日学校の帰りに黒い騎士甲冑の人が話しかけてきた……」
「なんて言ってたの?」
「『後日お迎えに上がりますので、身辺整理の程お願いいたします』って……」
ふむ、早いな。もう迎えの準備が出来ているのか。
そりゃそうか。どうやら向こうの代替わりは初めてではないらしい。そうなれば迅速に新総統を迎えるシステムは構築して当然だろう。
可哀想に、百合は少し震えている。無理もない。百合は気の小さな子である。面と向かってそう言うと必ず「お姉ちゃんが肝が据わり過ぎなだけだよ!」と言ってくるが、私はパンピーだ。妹の心が繊細過ぎるだけだ。
頭を撫でてやり、落ち着かせるように言い聞かせる。
「お母さんたちには話した?」
「まだ……最初にお姉ちゃんに相談してからって思って……」
最初にお姉ちゃんに……! 思わずじぃんと来てしまう。なんて姉冥利に尽きる言葉だろう。
だが、流石に私だけで収められる話ではない。両親への相談が必要だ。
「じゃあ、相談に行きましょう。買い物に行ってなければ二人ともリビングにいるでしょうから」
「うん……」
私は妹の手を引いて部屋を出る。
学校が終わって帰って来たばかりの夕刻、両親であるお父さんお母さんは居間で寛いでいた。
もう少ししたらお母さんは夕飯の準備を始めるだろうけど、今日は中止だ。夜はお弁当になるだろう。
「お父さん、お母さん。ちょっと大事な話があるんだけど」
「うん?珍しいな。いつも自分で解決するエリザが相談なんて」
ソファに座っていたお父さんが開いていた新聞から目を離して首を傾げた。
ちなみにエリザとは私の名前だ。兄弟姉妹の中で何故か私だけ英名だが、これは外国在住のお父さんの親友に名付け親を頼んだ結果らしい。
私は真剣な表情を作って親父に告げる。
「百合のことで、かなり大事」
「そうか。母さん、テーブルの上を片付けて」
私の表情に何かを察したお父さんは即座に家族会議の場を整えて席に着く。お母さんも隣に座る。
百合と私も、並んで席に着いた。
私が口端を開く。
「百合がローゼンクロイツの総統になった」
「ちょ……」
妹が私の袖を引く。
「い、いきなり言うの?」
「隠しておいても意味は無いでしょう? 無駄は省いて会議を進めなきゃ」
そうだけど……。と何処か納得のいっていない様子の妹を宥め、お父さんと再び向き合う。
お父さんは深く頷いた。
「そうか……どうする気だ?」
「私はついて行こうと思う。お父さんたちは?」
「なら私たちはヒーロー側に食い込もう。私は現職のままヒーローと関わる部署に近づいて、母さんは今度新設する『ユナイト・ガード』へ潜入してくれ」
「分かったわ、あなた」
トントン拍子で会議が進んで行く。そうか、お父さんたちはヒーロー側で状況をコントロールするつもりか。組織潜入前に人脈を作っておく手間が省けた。やはり二人は私のことを分かってくれている。
「ちょ、ちょ、ちょっと!?」
しかしここで妹が待ったをかけた。何だろう?
「何処か分からないところがあった?」
「早いよ! なんでそんなにポンポン話が進むの!?」
「まぁ、早いに越したことは無いでしょう?」
「早すぎるよ! っていうかお姉ちゃんついて来るの!?」
当たり前だろう。
「当然でしょう? 大事な妹を一人で行かせる訳ないじゃない」
「で、でも悪の組織だよ? 犯罪者の集団だよ?」
確かに純真無垢な妹と、それに準ずる程清廉な私には悪の組織は似合わない。
だが私とて多少の覚えはある。
「安心しなさい。悪の組織に関わったことなんて一度や二度じゃないわ。普通の事よ」
「普通じゃないよ! お姉ちゃん普段何やってんの!?」
ちょっとネットとかでね。情報とか売ったり買ったり流したり。
悪の組織溢れる昨今、全くの関わりなしで生きていくことは出来ないのだ。
「そんなことないよ……悪の組織と関わらず生きていけるよ……そんなことやってるのお姉ちゃんぐらいだよ……」
なにやら妹が何か言っているがそれよりも会議だ。
私はお父さんとお母さんに向き直った。
「高校は退学でいい? 多分帰って来れないだろうし」
「まぁ待ちなさい。もしかしたら通わせてくれるかもしれないだろう? 一応籍は残しておくべきだ」
「じゃあ百合だけ残しておいて。私はあっちでやること一杯あるだろうから」
「分かった。そうしておこう」
細部を煮詰めていく。こういう細かいのが肝心だ。変な事で躓いてしまえば足を掬われる。
「わ、私よりお姉ちゃんが遠くに行こうとしている……」
隣で妹が小声で何やら呟いているがよく聞こえない。
細かいところの相談を終えた私とお父さんは頷きあった。
「一先ずはこれでいいだろう。連絡手段はどうする」
「スマホが通じればいいんだけど、規制される可能性もゼロじゃないわね。なら〝コードブック〟を使いましょう」
「ばれないか?」
「なんとかするわ」
「なら、これで終わりか」
「そうね、こんなところでしょう」
話を終えた私とお父さんは椅子に深く身を沈める。いつの間にかキッチンに行ってお茶を入れてくれたお母さんが私たちにコップを配る。
「お疲れ様。どうぞ」
「ありがとうお母さん」
礼を言って私はお茶を受け取った。疲れによく効くハーブティー。身体に沁み渡る。
私はお父さんと相談した内容を書き記したメモを見て、溜息を吐く。
「はぁ……。前途多難だなぁ」
「とてもそうは思えないんだけど……」
同じくお茶を飲んだ妹が、隣で小首を傾げた。