僕を巡る③
「あ…いや、その大丈夫ですか」
しばらく沈黙の中でお互い無言で向かい合っていたのだが、僕の一言でようやくその時間も終わりを告げた。
「平気平気!ちょっと転んじゃったけど全然大丈夫!」
彼女は明るいハキハキとした声で返事をした。
彼女が喋る度に、赤や黄色などの温かい色が彼女の周りをフワフワと彩っていく。
つい触れてしまいたくなるようなその空間に、僕の心はすぅーっと吸い込まれていった。
そのせいなのだろうか…
「あの…お名前を教えていただけないでしょうか」
僕はいつの間にか彼女に対して名前を聞いていた。
彼女は当然キョトンとした顔をしてこちらを見つめている。
大きくクリっとして赤味がかった瞳に、素っ頓狂な僕の顔が映り込んでいた。
「あっいきなりすみません。僕は一色 青と言います。良ければ手をお貸しします」
「ごめんごめん、いきなりだったからびっくりしちゃった。私は日向 桃子」
未だに座り込んでいた彼女は、差し出された手を掴んでゆっくりと立ち上がる。
ポンポンとスカートの埃を払い終わると、しばらく間を空けてから僕を指さしてこう言った。
「太郎じゃないよ、桃『子』だよ!」
自分の名前をよほど気にしているのか、片方の頬をぷっくりと果物のように膨らませて上目遣いでジッと僕の目を見つめた。
窓から差した光が、風でふんわりとなびく茶色味がかった髪を明るく照らす。
僕の心臓はドクンと跳ねて、鼓動が段々と早くなる。
世界の全てを愛おしいと思ったのは生まれて初めてだったが、その世界がここで終わっても良いとも同時に思った。
それほどの衝撃が僕の胸を貫いた。
不思議なことに今、僕の世界は色を失う前より鮮やかに色付いている。
「日向…桃子…さん」
「うん!ばっちり!それじゃあ、ぶつかってごめんね。バイバーイ」
彼女は親指をグッと突き上げた後、手を振って軽やかに去って行った。
僕は彼女の背中を目で追い続け、廊下の角に見えなくなったところでようやく思い出したように食堂に向かって歩き始めた。
「また会いたいなぁ。何組か聞いておけば良かった」
既に僕の視界は色を失った時に戻っていたが、思い出される彼女の姿はどれも鮮明に色付いている。
彼女にまた会えば色を取り戻せるのだろうかと考えながら、食堂の食券の列に並んだ。
先ほどまでお腹が空いていた気がするが、いつの間にか満たされた気分があり、食券は適当に端の方の安いものを購入した。