僕を巡る②
ーーリリリッ!ジリリリリ!!
ーーバシッ!
眠たそうな顔を擦りながら大きく口を開いてあくびをする。
ベッドから片足を床に降ろし、続いてもう片方の足も床に降ろした。
次第に腰から上もズリズリとベットからはみで始め、仰向けの状態で床に座る姿勢になった頃には既にベッドの上にあるのは首から上だけとなった。
「う、ううぅ…僕の頭だけはまだ眠いと言っているぅ」
3分ほど同じ姿勢で固まっていると、またジリリと先ほどのように目覚ましが鳴り始めた。
「ううぅ…」
気分を害する騒音の頭頂部にチョップをお見舞いして、ようやくムクリと体を起こす。
「睡眠ってのは、一度起きてからが本番だと思うんだよなぁ」
ブツクサ言いながら僕は部屋の扉を開いて、ドシドシと音を立てながら階段を降りた。
リビングのテーブルの上には相変わらず真っ白な目玉焼きとパン、それからコップに入った牛乳が置かれていた。
「そんな眠そうな顔してないで、顔くらい洗面所で洗ってきなさい」
僕は何も聞いていないかのように椅子に座ると、テーブルに置かれたフォークで目玉焼きの黄身を突き刺した。
母は昨晩、いつものように疲れた表情で両手にレジ袋とカバンを持って帰ってきた。
強いていつもと違うことがあったとすれば、玄関で待っていた僕を見て驚いていたことくらいだ。
母が「なんでそんなところで待ってたの」と言い切る前に僕が一言言うと、母はなんだか不思議そうな顔をした後ゆっくりと優しい顔になり、「ただいま」と僕に言った。
レジ袋から取り出された新品の色鉛筆を受け取ると、僕は「ありがとう」と一言言って何度か振り返りながら自分の部屋に戻ったのだ。
なんとか日常を取り戻すことが出来た。
真っ白い黄身をパンで掬いながら、改めてこの当たり前の毎日を噛み締めた。
パンを口に頬張ると、牛乳で一気に流し込む。
今更ながら今日の朝食にはほとんど色が無い。
真っ白な目玉焼きに薄汚れているように見えるパン、それでもって元から白い牛乳。
この最悪の朝食だけは元に戻りそうには無かった。
「はぁ、彩りのある食事が懐かしい」
「それでは、この真っ赤なトマトをあげよう」
母は冷蔵庫からミニトマトを二つ取り出して、流しでヘタを外した後僕の皿の隅にちょこんと並べた。
「えっ…いらな…いや頂きます」
真っ赤なミニトマトを二つ摘んで口の中に放り込んだ。
両側の奥歯でプチッと潰すと、口の中いっぱいに酸味が広がっていく。
「うっ!うぅ…」
やはり牛乳を飲んだ後に口に入れるものでは無い。
椅子を立ち上がり食器を片付けた後、そのままスゥーっと洗面所に向かった。
顔を洗い、寝癖を直して歯を磨いて制服に着替える。
「よし!行ってきます」
「行ってらっしゃ〜い!」
母に見送られ、僕は元気よく玄関を飛び出した。
ーーザァァァァ
気持ちとは裏腹に今日はあいにくの雨模様。
…うん!知ってた。
「そりゃそうだよね。二度目だもんね。そう簡単に変わったりする訳無いよね」
僕は傘を取りにもう一度玄関に戻った。
「昨日はごめん!なんだか失礼なことを言って」
教室に着いた僕は、左隣の席の名前も未だに覚えられていない彼に朝一番で謝罪をした。
「えっ!急にどうしたんだよ一色君」
彼は机の横にカバンをかけた後、僕の方を向いた。
「いや、えぇ〜となんて言えばいいのかなぁ。昨日のあれはえぇっとその、部活に遅刻するのに焦っていたというか、トイレも我慢していたというか、そもそもタイミングが悪かったというか…まぁ簡潔に言うと実際タイミングが悪かった訳だけど…」
言葉が詰まってなかなかいい言葉が出て来ないのに、僕の右手と左手はずっと何か伝えるかのように身振り手振りをしている。
だが、当たり前だが実際にはこの行動になんの意味もありはしない。
山なんとか君の視界をただフラフラと揺れ動いていだけに過ぎない。
「一色君が何を言いたいのかはよく分からないけど。なんとなく昨日のことが本意では無かったことを伝えたいんだと分かったよ」
何故だかどうやら彼には伝わったらしい。
不思議なこともあるもんだ。
「えっ、あぁ…うん。そうなんだ、実はそうなんだよ」
分かってくれたと言うんだから良いでは無いか。
「僕も昨日は悪かった。お互い水に流そう」
許してくれると言うんだから良いでは無いか。
「山なn……いや…うん!!」
僕は全然全くこれっぽっちもよく分かってはいないが、お互いに右手を差し出して固い握手を交わした。
始業のチャイムが鳴り、席に座った後も考えたが。
しばらくして考えるのやめた。
そして僕は机に伏した。
ーーキーンコーンカーンコーン
「一色君…なぁ一色君ってば。いつまで寝ているつもりなんだい」
トントンと机を指で叩く音がして、垂れそうになっていたヨダレを啜りながら顔を上げた。
山なんとか君がやれやれまたかい、という顔をしながらこちらを見ている。
「やぁ…おはよう。ところで今は何時限目が終わったところだい?」
僕の机には未だに一時限目数学の教科書とノートが広げられていた。
だいぶ寝てしまった気がするので、おそらく二時限目が終わった頃だろう。
僕の考えが顔に出ていたのか、彼は僕の顔を見て改めてやれやれという顔をしてこう言った。
「自分の腹の虫に聞いてみてはどうだい。君の予想を遥かに超えてあっという間に昼食の時間さ」
「えっ!午前中ずっと寝ていたってこと?!」
これには流石に驚いた。
僕は四時限分誰にも注意されずに寝ていたことになる。
だが、なるほど確かに僕のお腹は贅沢にも食事を欲している。
ほとんど活動していないというのに、なんてコスパの悪い身体なんでしょう。
「どうりで腕が痺れていたり、身体が凝ったように痛いわけだ」
手のひらをグーパーグーパーと握って開いてみたりした後、腕を大きく上に伸ばした。
「一色君は今日も食堂かい。それとも弁当を持ってきているのかい。良かったら一緒に食堂で食べない?」
「僕は今日も食堂さ。そうと決まれば急いで食堂に向かわないとな。鞄の中の財布を出してから行くから先に行ってて良いよ」
「分かった。先に行って席を取っておくよ」
彼が教室から風のように去っていくのを見送った後、僕は鞄の中に手を突っ込んでガサゴソと財布を漁った。
奥の方に入っていた財布を取り出し、食堂に向かおうと椅子から立ち上がると。
ビリビリビリと電撃が走るように足が痺れた。
「カッ!…ずっと変な姿勢で動いてなかったから足が…」
痛い痛い痛い!
机に左手をついたまま一歩も動けなくなった。
しばらく石像のように珍妙なポーズで固まってしまった。
「動け…動けよー!俺の足ー!!」
実際にはもの凄く小さい声で言っていたが、歯を食いしばりながら太ももの辺りを叩いた。
ようやく動けるようになり、足を引き摺るようにして教室の外に向かった。
ーードシン!!
「きゃっ!」
「うわっ!」
教室の扉を超えたところで、僕の身体に何か物凄い衝撃が加わった。
危うく倒れそうによろめいたが、足が痺れていたのが逆に良かったのかなんとか体勢を持ち直した。
「痛ったた…」
衝突してきた女子は体勢を崩して目の前で尻餅をついた。
どことなくこの場面に既視感があった。
あの時は結局目も合わせられず俯いたたま、情けなく逃げた。
今もまた下を向いたまま。
もうあの思いはしたくない…
意を決して顔を上げた。
「すみません!大丈夫で……」
次の瞬間ーー
視界の全てが色付いた。
僕から失われている色も含めて、鮮やかな色彩で満たされる。
彼女の周りだけが色で溢れていた。
「ん?」
透き通った彼女の瞳が不思議そうにこちらを見つめている。
胸の内を躊躇わず恥ずかしげも無くおおよそ手短に簡潔にかいつまんでお伝えすると
ーー僕は彼女に一目惚れをしたのだ。