第5話
腹の膨れた二人は、旅の道中に食べられる食料を求めて食品売場を歩き回る。
しかしこれが意外にも難儀な事となった。
どの家庭も冷蔵庫が使えないのだから保存食の需要が上がっていたのだ。
そして保存の利かない物は叩き売り状態であるにも関わらず売れ行きが悪い。
こうなると不憫で仕方ない。
そう、・・・冷蔵庫に魔力を流し続けているであろう下っ端の店員が。
「とりあえずこれだけあれば十分だろうけど、もうだいぶ遅いな。そろそろ帰るか」
食料調達に時間をかけたせいで西の空が赤くなり始めている。
二人で来た道を歩いて帰って行くのだが妙な事に街が騒がしい。
ここに来るまでに回った食品売場から怒声が鳴り響く。
アッシュは野次馬の一人に声をかけた。
「なぁ、これ何があったんだ?ずいぶんと穏やかじゃない様子だが」
「ん?ああー、あれだよ、あーれ」
野次馬の指さした先には無惨にも食い散らかされた新鮮な野菜や肉が転がっている。
「食い逃げらしいぜ、俺は犯人見てないけどな。店員が気付いて怒鳴ったら手当たり次第に食料掴んで逃走したんだと。それが早いのなんのって、追いかける事も目で追う事も出来ずに消えちまったらしい。それで店員が今ああして目撃情報探してるんだよ。でも誰も見て無いんで店員もイライラしてる、そんな感じだ」
「そうか、ありがとうな」
「おう、しかし生野菜や生肉をその場で洗いもせずに食いまくるとはな、腹壊しそうだ」
「はは、そうだな。変な奴もいたもんだ」
冷静を装い野次馬との話を切り上げるがアッシュには心当たりがあった。
しかしそれはあまりにも早すぎる。
地面に転がっていた食いかけのニンジンを拾い上げる。
食いちぎったものと思われるのだが歯形が付いていない。
それどころかまるで刃物で切ったような断面だった。
「・・・モミジ、これどう思う?」
モミジはニンジンの断面に鼻を近づけて臭いを嗅ぐ。
「クァル」
「そうか、やはりこの時代の生き物では無いか。話の分かる奴なら良いが、・・・なぁモミジ、このニンジンから臭いを追跡できたりするか?」
「クァ。ルルル」
「臭いを消される前なら、か。それなら早い方が良いな、今から追跡しよう」
モミジの案内で街中を走る。アッシュにも通れる道を、アッシュが追い付ける速さで。
アッシュの足は決して遅くは無い、それでもモミジが本気で走れば一瞬で見失うだろう。
「おまえが気を使える奴で助かったよ・・・」
モミジが臭いを追って着いた先はそれほど遠い場所では無かった。
それどころか街中だ、しかも今日寄った場所でもある。
「服屋・・・か、何故こんな場所に」
その時、店の中で大きな音が聞こえた。ガラスの砕ける音と女性の悲鳴。
アッシュは急いで店の扉を開けて周りを見渡す、状況はすぐに理解できた。
アクセサリーのショーケースが砕けガラスが散乱し、その傍らで一人の女性が腰を抜かし怯えている。今日会話した店員だ。
何に怯えているのか、それも一目で理解した。
ショーケースの中のアクセサリーを啄む大きな黒い鳥、その背丈は成人男性ほどもある。
何故鳥を成人男性に例えたか、それはその鳥の骨格が人間に近く、直立姿勢で体を支える構造だったからだ。
しかし腕は翼になっており、体は全体的に羽毛で覆われている。
何よりも顔には大きな嘴が付いていて特徴的には鳥に近いものを感じた。
キラキラと光るアクセサリーを頻りに嘴で突つき回している、頭は悪そうだ。
恐怖で動けない店員はこちらに気付くと声を振り絞った。
「・・・た、・・助けて!」
しかしそれは愚かな行為でしか無かった。
アクセサリーに夢中だった鳥男は興味の矛先を店員へと変える。
鋭い嘴を向けられた店員はもう声すら出ない。
「モミジ!あいつを止めろ!」
アッシュの足では間に合わない、モミジに頼むしか無かった。
モミジにしてみても服を繕ってくれた人だ、アッシュの声を聞く前に走りだしていた。
しかし鳥男のが一瞬早く店員へ嘴を突き出す、距離を考えれば当然の結果だ。
それでもモミジの行動は無駄にはならず、鳥男の注意がモミジに逸れた事で嘴は狙いを外して店員の頬を切り裂くだけに止まった。
明らかに目を狙っていた、突き刺されば命は無かっただろう。
そして次の瞬間モミジの本気の張り手が鳥男の脇腹にヒットする。その所作は虎に近い。
太く、長く、鱗に覆われて堅い大きな豪腕はハンマーと言っても差し支えないだろう。
更に言うなら爪というスパイク付きだ。
鳥男の体は鈍い音を立てて浮き上がると壁まで吹っ飛び強い衝撃と共に壁が崩れる。
まだ息はあるようだが足取りはフラフラとしておりまともに動けない。
モミジが鳥男との距離を詰める。
とどめを刺す為に腕を振り上げたが、アッシュの声がそれを振り下ろすことを許さなかった。
「モミジ!待て!」
「クルルックァロ!」
「話せば和解できるかもしれない!」
「ルォ!グルルル!」
「無理だと?おまえとは和解できたじゃないか!」
「クァ!フゥーッ!」
「違う?一緒にするな?何が違う!俺はそいつを知らない、おまえの事も知らなかった」
「・・・ルゥ」
アッシュは猛獣に対する危機意識が薄い、人に近いなら尚更で、今回はそれが裏目に出てしまったと言える。そう、二人が話している間に鳥男は意識が戻っていたのだ。
モミジの意識が逸れた間に穴の開いた壁の隙間から外へと逃げてしまった。
羽ばたく様な羽の音、飛ばれてしまってはお手上げだ。
「しまった。あの怪我ならしばらくは遠くへは行けないだろうが・・・、見つけないと」
「・・・クルルル」
「殺さないと殺されるのは・・・分かってるさ」
「グルルルル」
「・・・ああ。そうだったな。・・・店員さんが」
あの鳥男を見逃す事で被害を受けるのはアッシュだけでは無い。今回ばかりはアッシュの判断ミスだった。
「店員さん、もう大丈夫。その怪我も早めに処置すればきっと痕は残らないと思う」
モミジも心配そうに店員へと近寄るがこれは止めるべきだった。
へたり込んだままの店員から掠れた声が漏れる。
「・・・ぁ・・・ゃぁ・・・やだぁ、いやだ。・・・こないでぇ」
店員は鳥男を見た事ですでに理解していた。凶暴な獣人が現存している事を。
そして、目の前の女の子は鳥男よりも遙かに強い化け物であることを。
人間は弱い、弱いがゆえに臆病で、戦う術を持たない者は恐怖に呑まれる。
アッシュとクラムが変わり者なのだ。アッシュは獣と意志疎通ができる、クラムはアッシュが安全だと言えば無条件に信じる。
「ルゥ・・・ゥゥ」
モミジは自分に敵意が無い事を伝えようとするが当然の様に店員には伝わらない。
店員は恐怖に固まる体を懸命に動かし、自分の体を少しでもモミジから離そうとする。
動かない体を動かそうとする様は壊れた玩具を連想させた。
アッシュはそれを見て獣人と人間の和解の難しさを嫌でも痛感する。
しかし同時にモミジとなら可能である希望も感じる事となる。
「ルゥー・・・・アッシュ。クルゥルル」
アッシュに語りかけるモミジの言葉の内容に目頭が熱くなる。
「ああ。その気持ちを表す言葉はな・・・」
アッシュはモミジに耳打ちすると背中を押した。
モミジは店員の前に立つと自分の服を指さした。そして・・・。
「・・・アリガトウ」
モミジはそれだけを伝えるとアッシュの服を掴んで外へと促す。
鳥男を捕まえないと大変な事になる、確かに長居は無用だろう。二人は外へ出る。
悲鳴と怒声が聞こえる。やはり鳥男は遠くには飛ぶ事が出来なかったようだ。
喧騒へ向かって走れば良い。
探す手間が省けた事は有り難いがそれは同時に被害が拡大しているという事でもある。
歴史の教科書が正しければ弱った獣人など人間が手に入れた魔法の力であっという間に倒せるはずだ。だがそうはならない事をアッシュは理解していた。そして今確信に変わる。
歴史の教科書は書き直す必要がありそうだ。
・・・喧騒が聞こえる。
「きゃああああ!やめてっ、あっち行って」
「おい!なんだあの化け物!誰か早く殺せよ」
「うるせぇ!おまえがやれよ!」
「魔法だよ、魔法!攻撃魔法!使える奴いねぇのかよ」
「そんな高出力制御できたら国の要職に就けるわ!」
アッシュが感じていた違和感。
獣人を実際に見た者にしか感じる事の出来ない違和感。
約二千年前、魔法の力に目覚めた人類は獣人を倒した。教科書にも載っている事だ。
だが果たして目覚めたばかりの魔力で、あの強靱な獣人達とどう戦ったというのだろうか。
昔の魔法の方が強かった?いや、そんなはずは無いだろう。
昔よりも効率の良い媒体、制御方法、開発には余念が無かったのだ。
効率化した今ですら攻撃魔法を使える者は少数だ。
需要が少ない事も相まって覚えようとする者も減っている分野だが、それを差し引いても制御が難しく、使える者は相当な実力者しかいない。
肉体的に自分より強い者すら倒せる程の出力を制御する。
それは失敗したら術者自身が大怪我では済まない事を意味する。
親が子供に覚えて欲しくない魔法ぶっちぎりで第一位だ。
アッシュはこんな辺境な街にいる攻撃魔法の使い手なんて一人しか知らなかった。
喧騒に追いつき辿り着いた場所は今日通った食品売場。
体力回復の為に食料を漁りに戻ったのだろう。
生肉をくわえたままの鳥男はアッシュに気付き目が合う。
生肉が人間の物では無い事だけは救いだった。
鳥男はアッシュの隣にいたモミジを確認すると翼を動かし逃げようとする。
「グゲェーッゲッゲッゲッゲヘェ」
「狩る者が来た?おまえモミジの種族について何か知ってるのか」
話しかけられた鳥男は驚き羽ばたくのを止める、獣人同士でも種族が変われば会話はできないだろう。意志疎通可能なアッシュを瞬間的に仲間だと判断してもおかしくは無い。
「ゲェーッヘ!ゲッゲッゲッ」
鳥男はもう一度飛ぼうと翼を動かす。
「逃げろ?あっ、こら!おまえは逃げるな!」
鳥男は宙へと浮いていく、今ならモミジをけしかければ鳥男に届くだろう。しかしそれは同時にモミジの正体が大勢にばれる事になる。
周りの人達の攻撃の矛先がモミジに向いてしまう事になるのは避けたかった。
「ふぉおお!深淵より来る地獄の業火よ!クラムイィィンフェルノォバァーナァッ!」
突然恥ずかしい台詞と共に巨大な火柱が出現し鳥男の翼を片方焼き切った。
鳥男は翼を失い落下し地面へと衝突する。
火柱の根本に立っていたのはクラムだった、手には1メートル程の長さの樫の杖。
飾りも無くただ真っ直ぐなだけの棒だが全体的に浅黒く所々に罅割れがある。
それは堅く焼き上げた炭で出来たお手製の杖だ。
ちなみに余談だが魔法の発動には詠唱も技名も必要無い、完全にクラム自身の趣味思考だ。
本人曰く「気分が良いと魔力制御がしやすくなるから自分の気持ちを高める為」らしい。
クラムはゆっくりと鳥男へ近づく。鳥男は焼けた自分の翼を見て狼狽えていた。
「おまえはー・・・あー・・・、アッシュいねぇと分かんねぇな。悪い奴か?凶暴女よりは弱そうだが、羽は勘弁しろよ?オイタの代償だ」
「クラム!助かった、モミジはここにいてくれ、奴と少し話したい」
「グルルル」
「大丈夫だよ、クラムは強い」
モミジに待つように言うとアッシュはクラムの元へ駆けつけた。
「おおー、良かったぜ親友。こいつなんなんだ?暴れてたみたいだから思わず攻撃しちまったよ。攻撃して良かったのか?」
「ああ、問題無い。人間を甘く見たこいつが悪いさ。しかし、こいつ・・・」
鳥男の狼狽え方には違和感を感じた。まるで魔法の事が分かっていないようだ。
「おまえ、人間は分かるな?魔法の事は知らないのか?」
「ゲェッ!ゲッゲ」
「・・・狩る者?逃げろ?魔法よりもモミジから逃げれない事に恐怖してるな」
「ゲゲゲゲゲッ」
「一人に見つかったらもう囲まれてる?いや、あいつだけだ、安心しろよ」
「グゲゲゲ」
「後から盗る者が来て・・・、そうか。モミジの種族は組織だって動く群れで、他の種族からは恐怖の対象だったのかもしれないな」
「凶暴女パねぇな。こいつよりあの女捕まえた方が良くね?」
「いや、さっきだって人間を守ろうとしたんだぜ?そんな凶暴な種族には思えないな」
凶暴性で言えば弱い種族の方が旺盛だ、弱いがゆえに強い者が怖い、安心できない。
しかし一時でも優位に立てばそれは狂気を帯びた攻撃性に変わる。
それは・・・正に人間の特性だった。
悠長に鳥男と会話する二人にギャラリーは業を煮やす。
「おい!あんちゃん!そんな気持ち悪い生き物さっさと殺せよ!また動き出したらどうすんだ!そいつのせいで店めちゃくちゃなんだぞ!」
「そうよそうよ、気持ち悪い!誰が掃除すんのよこれ」
「いや、売ったら金になるんじゃね?とりあえず羽もう一つ千切っておいてよ」
「嘴も折っておくか、ハンマー持ってくるわ、誰かそいつ縛っておいてくれよ」
野生の生き物は自分の死に敏感だ。藁にも縋りたい鳥男はアッシュを見つめる。
「う・・・、おまえも悪いんだからな?おまえも人間殺そうとしてただろうがよ」
「でもなぁ、こうなるともう攻撃する気になれんよ。どうする親友?」
そんな中ギャラリーの一人がとうとう大きなハンマーを持ってきた。柄の長い大ハンマー、あれなら鳥男の骨を砕けるだろう。
空を飛ぶ生き物は基本的に打たれ弱い。体を軽くすれば当然脆くなるからだ。
死を理解した鳥男は最後の力を振り絞り、一つしか無い翼を羽ばたく。
当然空を飛ぶ力など残ってはいない、ただその場を離れたいがゆえの足掻きだった。
飛ぶ方向も考えない、足も使い地面を走るようながむしゃらな低空飛行。
しかしそれゆえに早く、油断していたアッシュとクラムは動けなかった。
動けた者は一人だけ、狩猟本能を携えた人型の獣。
鳥男にとどめを刺そうとずっと機会を伺っていた小柄な女の子。
小柄な体に似つかわしく無い大きな腕を振り、鋭利な鍵爪を鳥男の脇腹へと打ち込む。
「ゲェッ!・・・ゲ・・・・・」
鳥男はその場へ倒れ込みもう動かない。
「モミジ!・・・ああ、やっちまった」
アッシュはギャラリーが反応するよりも早く、モミジの元へ駆けつけ手を引っ張る。
「行くぞ!この街を出る!」
「クァ」
後ろで大きな声がする、内容なんて聞かなくても分かる。
ここにいたら駄目だ。ただ走る。
「っく、モミジ、何故我慢できなかった?」
「クルルルル」
「いや、良いんだ。すまん・・・」
飛べない鳥男はいずれ捕まっただろう。
そして捕まった後はいたぶられて売られて実験動物扱いにされるのが落ちだ。
今回に関してはモミジの行動は最善だったのかもしれない。
しかしタイミングは最悪だ。
鳥男が暴れた後でみんな殺気立っている、野次馬も集まっていた。
みんなが一瞬で理解しただろう。「あの女も凶暴な獣人だ」と。
「もうこの街にはいられないな。森に逃げよう、森なら逃げ切る自信がある」
「クァールル」
「ったく、親父に別れの挨拶すら出来なかったな。クラムは・・・まぁいいか」
クラムとはいずれ会える気がした。
魔法も頭脳も一流だ、認められさえすればどこかで名前も聞くだろう。
そんな事を思ったアッシュは身内贔屓だったかなと軽く微笑んだ。
森に入ってさえしまえば追ってこれる者などいなかった。
森に慣れた者ですら夜の森は危険なのだ。
次の街へは森を突っ切る他無くなってしまったがアッシュには不思議と不安は無かった。
モミジがいれば大丈夫、そしてアッシュがいれば大丈夫。
二人の信頼関係はすでに出来上がっていたのかもしれない。
とりあえずストックはここまで。まだ続きますのでお付き合いくださるとありがたいです