旅路(3)
「女の子のお風呂ってめちゃくちゃ長いよね、古兄。俺なんて十分もあれば満足だってのに豊姉たちもう三十分は浸かってるや、何してんだろ?」
アリス達が風呂に入っている間、古谷と友樹は馬車の中で腰を下ろしていた。王都で仕入れた茶葉に、古谷が魔法でお湯を注ぎ、熱々のお茶をすする。微かな苦味と爽やかな香りが鼻を抜け、平原の寒さで冷え切った身体を底のほうから温めてくれた。
「それは二人の前では言わない方がいいよ、デリカシーに欠けるからね……それよりもさ、友樹君――」
「ん、何、古兄?」
古谷は表情を引き締め、眼鏡の奥に怪しげな光を浮かべて友樹に言う。
「――友樹君はお風呂、覗きに行かないの?」
「ぶっ! な、な、な――いきなり、何言ってるんだよ、古兄ぃ!」
古谷の予想外すぎる発言に、口の中に残っていたお茶を噴出す友樹。
一方で、古谷は酷く落ち着いた声色で続けた。
「いや、だって、主人公が女の子の裸を見るのはもはや鉄板でしょ。このパーティだと、男の子枠での主人公は勿論友樹君だよ、顔的に――だからお風呂覗かないのかなって」
「はぁ……何か、古兄って大人しそうに見えて偶にとんでもない事言うよね……」
友樹は知っていた。
古谷は口数が少なく、薄暗い印象があるがその本質はかなりお喋りで、仲のいい人相手にはかなりはっちゃけた意見や言葉を平然と言ってくる人間であることを。
ただ極度の人見知りと恥かしがりや、更には自信のなさも相まって、初対面の人間や女性相手だと全くと言っていいほど喋らなくなる。初対面のときは友樹が相手でも古谷はほとんど口を開かなかった。本人が言うには、「僕と会話して不快になったら迷惑だから。暗い顔を見せて周りを不快にしたら困るから。僕はただ隅っこでじっとしてればいいんだ」という考えらしい。友樹には理解できないが、きっと古谷が自信を持てなくなった深刻な要因があるのだろうということだけは分かった。
「大丈夫だよ、古谷君なら覗いても豊崎さんから拳骨貰うだけで済むって」
「よくないよ! 豊姉の拳骨は痛いんだよ!」
「でも、拳骨一発であの魅惑のボディが見れると考えれば安いものでしょ? それに、僕も協力するよ? 魔法で姿を消してあげるからさ、ばれやしないって。それとも、思春期真っ只中の友樹君は見たくないとでも言うのかな?」
古谷の眼鏡が怪しく光る。
友樹は何を想像しているのか、徐々に頬が赤くなっていく。
「……そりゃ見たいけど…………ってそうじゃなくて、やっぱり駄目だよ、そんなの! ほら、そう言うのはなんて言うか、こう、合意があって、お互いが傷つかないようにしないと」
友樹は顔を真っ赤にしながらそれでも真っ直ぐ否定の言葉を言い切った。
「――――はは、うん。やっぱりそうだね。友樹君は本当に正統派な主人公だね。大丈夫、友樹君が正しい」
古谷は楽しそうな笑みを浮かべて、一つ頷く。
どこか挑戦的な眼光もなくなり、友樹もほっと一息ついた。
古谷も本気で友樹を覗きに行かせようなんて思っていたわけではない。むしろ思春期にありがちな情欲を爆発させれば、ここで止めるつもりだったのだ。
もし、覗きを行えば折角築いた信頼を壊すことになり、パーティの空気が悪くなる。不信感が募り今後の旅路にも悪影響がでることは間違いがない。古谷は男二人、女二人で閉塞した旅、その危うさを匂わせようとしていただけだった。
「まあ正直俺だって、豊姉とアリス姉、二人ともめちゃくちゃ美人で可愛いと思うけど――どっちも俺にとって姉みたいで、そんでもって家族みたいだなって感情のが強いかな。
それと、豊姉はともかく、アリス姉は絶対拳骨じゃ許してくれない! この前だって、ちょっと口が滑っただけで尻を…………」
友樹はトラウマを思い出し背筋を震わせた。
「災難だったね――でも、向こうもきっと友樹君を弟みたいだと思って、そうやって気を紛らわしているのかもしれないよ。きっと、友樹君が手のかかる弟で楽しいんだろうね」
「ひでぇや、古兄ぃ。せめてそこは頼れる弟って言ってくれよな」
肩を落として落ち込む友樹に古谷は優しく笑いかけた。
「頼りになる、とはちょっと違うかな。でも友樹君はこのパーティの支柱であることは間違いない」
「えっ……? そうなの?」
古谷の言葉に驚く友樹が聞き返す。
それに古谷は頷いた。
「うん、僕達はね、物凄く危ういんだ。何しろ向こうの世界から消えたいって考えるような人間が四人集まって、戦っているんだから。それも、まだまだ成熟できてない人間が四人だ、これ以上に危ういものはない」
最年長の古谷で十八、次に紅刃で十七、アリスが十四で友樹が十三、平和な日本で暮していた以上、皆ただの子供でしかない。
いや、問題を抱えた異常な子供ではあるのかもしれないけれど。
「まだ、出会って一ヶ月、僕達はお互いのことを深く知らないまま、戦闘や訓練を通して深く結びついている状態なんだよ。だから、ちょっとした切っ掛けで脆く崩れてしまいそうに思えてくる」
古谷は死んでもいい、そう思っている所で異世界に辿り着いた。
そして、《勇者システム》が『再利用』と明言している以上、そのような人種が意図されて集められていることは容易に想像がつく。魔族と戦うために呼ばれた《勇者》の本質は酷く脆い。
「なら、俺――」
友樹の言葉を古谷は手で制した。
「でもだからって、友樹君が無理に何かを抱えたり、思い悩んだりする必要は全くないんだよ。だって、友樹君が楽しそうに笑ったり、ふざけたり、我侭を言ったり、そうやって今を楽しんでいるから僕達も笑えるんだから」
いつも真っ先に口を開き、空気を取り持ち、会話の切っ掛けを生み出してきたのは間違いなく友樹で、それがパーティを纏めている事に本人は気づいていない。
友樹には古谷の言葉を漠然としか理解できていなかった。
だが、それでいい。
古谷の目的はただ伝えること。
勇者の街に辿り着く前に、たった一人だけ今の皆の状況を理解していない友樹に現状を伝えることができればそれでいいのだ。
知っていれば、もし今の均衡が崩れたとしてもきっと迅速に対応できる。心の準備があるのとないのでは、人間の行動は大きく変わってくるのだから。
「せっかく未知の世界に着たんだよ。向こうじゃできなかったこと、こっちでやりたいこと、挑戦してみたいことをするといい。可愛い女性の仲間、かなり頼りない兄に、頼れる姉、こんなにも新しい要素があるんだ、友樹君は楽しまないと駄目だよ。そうすれば、きっと友樹君が皆を支えられる」
幸いにして《勇者システム》は生き抜くために加護を与えてくれた。
だが、《勇者》とはそれだけで務まるほど甘い存在でないことも理解している。
魔族と戦えば――
「違う、人と戦えば、か――」
きっと、すぐに辛い現実を知ってしまうことになるのだろう。その時、果たして自分は耐えることができるのだろうか、そしてそれ以上に友樹は今のように笑えるのだろうか、そんな不安が古谷の胸に押し寄せる。
そんな葛藤の最中――
「…………っだよ……」
古谷は声に釣られて視線を上げると、今にも泣きそうな友樹がこちらを強く見つめていた。
擦れた声を聞き取ることができなかったの思考の海に埋没していたからか、それとも――
「そんな……そんな悲しいことは言っちゃ駄目だよ、古兄ぃ…………」
「友樹、君……?」
古谷は友樹が何に対して腹を立て、感情を荒ぶらせているのかが分からない。
「友樹君は、何て言わないでよ…………そんな悲しいこと、言わないでよ!」
友樹が目じりに溜めた雫。
その源泉が何なのか古谷には分からないが、友樹の直情的な感情が痛いほどに伝わってくる。
「古兄ぃは凄いよ、凄いけどさ……そんなに、自分を蔑ろにしちゃ駄目だよ! そうやって、幸せの中から自分を除いちゃったら、きっときっと楽しくない! 古兄がどれだけ孤独に慣れていても、どんなに心が強くても、やっぱり一人は寂しいよ……そうして潰れていった友達を僕は……僕は…………」
声にならない嗚咽を零す友樹に古谷はただ押し黙った。
まさか、自分のために泣いてくれる少年がいるとは思いもしなかったから、何と答えていいのかまるで分からなかった。
古谷の自己評価はすこぶる低い。長年のニート生活が祟って自意識過剰なレベルにまで人との関わりを恐れていたのだ。
何より一人は気楽で、一人が好きでもあった。一人だけで生きていくことが願望とまで言える位に。
だから古谷は誰かから一歩引き、自分を除こうとした。
そうすることできっと自分も、そして周りも幸せになれると思ったからだ。
だけれど、異世界という特殊な状況が関わりを生んで、その関わりに古谷は強く入り込んだ。
その結果――それでは駄目だ、と。
そう、友樹が言う。
思えば、古谷にとって友樹の言葉は人生で初めてされた説教であり、紛れもなく古谷だけに向けられた言葉だった。
色々と言い訳はできる。
反論もできる。
古谷の言葉に耳を傾けてくれる友樹が相手ならば論破できるとそう思う。
だけど――
「ごめん」
口から零れ出たのはたった一言の謝罪だった。
古谷にとって自分は最底辺の人間だった。
人見知りで、口下手で、感情よりも理論が好きで、喋り方も回りくどい。人との距離を測るのが下手で、愛想笑いも下手糞で、常識に疎く非常識に詳しい、そんな異端者だ。何をやっても周囲は否定するし、自分も周囲を否定していて、不愉快なのか目に付けば攻撃の的となっていた。顔は悪く、頭もそれほど良くはない。優れていることなんて何も無くて、攻撃されるのは当たり前だと自分でも思う。喋ってもつまらない、文武を共にしてもつまらない、見てもつまらない、聞いたら一層つまらなくてむしろ不快、友達なんているわけないし、彼女なんてもってのほかだ。自分の言い分は誰も聞いてくれない、聞いてくれそうな人が相手だとむしろ緊張してうまく説明できなくなって、呆れられて見捨てられる。
悪いのは全部自分だ。
そんな自分が誰かに何かを望む資格なんてない。
そう思って自分を除いた。
それでいいと思っていた。
だけど、友樹は言った。
それが、違うといってくれた。
「もうとっくに古兄は僕の友達で、パーティの仲間で、頼れる兄貴分で、僕達は皆信頼してるんだよ……
――なのに今さら自分だけいないことにすんなよ! そんなの、そんなの悲しいよ、笑えないよ! いい加減自分から輪に入っていく勇気くらい見せてみろよ、僕より年上だろ!」
結局、古谷は周囲を理由に逃げていたに過ぎない。
見た目が悪く、それでいてつまらない人間は基本的に嫌われるし、苛められる。それは否定しようのない純然たる事実だ。人は下を見て自信を保つ生き物なのだから。
――だけど、それは大多数であって全員ではない。
そんなことは古谷も知っていた。
だが恐怖が道を塞いで通れなかった、それだけなのだ。
『――今さらいないことにするな――自分から輪に入っていけ――』
きっと、今の空気じゃないと凄く恥かしくて中二病なんだろうなこの言葉。
ああ、でもそうだった。
あの日嫌いになってしまった、趣味(オタク文化)の中じゃ――
こんな燃える台詞が大好きだった。
ここは熱い台詞をくれた友樹に、もっと恥かしい台詞で答えるのが年上としての矜持だろう。
「ねえ、友樹君――僕と契りを結ばないかい?」
「…………?」
きょとんとされた。
一般人には数世代ほど早かったらしい。
「嘘。冗談。何でもないから忘れて――――」
恥かしさの余り死にたくなる感覚は久しぶりに感じることができた。決して嬉しくはないが、後悔するのもまた久しぶり。
「では、改めて。……こんな僕でよければ友達になってくれないか?」
「そりゃあ、うん、もちろん――でももう友達だよね、僕と古兄は……ま、いっか別に、改めてよろしく、古兄!」
この日、生まれて初めての友達が古谷にできたのだった。




