チュートリアル(2)
一人っきりの部屋。
清潔感の代わりに生活感を詰め込んだ自室に在るのは下着も部屋着も外着も関係なく脱ぎ散らかされた衣類とコンビニ弁当を初めとした食品の容器、それと所狭しと積み上げられたゲームたちだけだった。
「つまんねー」
誰に言うでもなく自然と口癖になった言葉を、新作ゲームに向けて紅刃は吐き捨てていた。
(何つうかぬるい、ぬる過ぎる。てか、ストーリもつまんねー、何で主人公はこうもあっさりと魔王退治に向かうのかねー、いやまあ向かわないと話し進まねーけどよ……)
不機嫌の理由は単純明快。
人気RPGシリーズ《ドラグニア》の最新作、それなりの反響があったと噂の一品を六千二百三十円もかけて手に入れプレイしたがどうにも紅刃には合わなかったのだ。
主人公の設定や難易度がその最たる要因で、もう少し歯応えのあるゲームだと期待したが、シリーズ物と言うのは新しくなればなるほど難易度が軽減されていく傾向があり、ドラグニアも例外ではなかった。それに加え、行き詰ればヒントを与えてくれると言った救済措置にも腹を立てた。折角別世界で仮想の役を演じられるというのに、システムの補助が世界観を薄くする。悩み、葛藤し、考えを巡らす、そんな営みを奪われた気がしてならなかった。
手元に置いてあったスナック菓子の袋に手を伸ばすが、イラつきを紛らわすためにいつもより手を早く進めていたのか袋に残された菓子は残りかすだけだった。
紅刃はスナック菓子の袋を手に持ち自らの頭上に運ぶと、大きく口を開けて最後の一欠けらに至るまで菓子を口に滑り込ませ咀嚼した。
年頃の女性の振る舞いではないと自覚しつつも、どうせ誰に見せるでもないと思い気にもせずに大あくびをかます。
「ったく、まあいいや……こんなもんだろ」
半ば言い聞かせるようにそう呟く。そんな自分自身に言いようのない不快さを感じながら。
(そういや、何時からだろうな……ゲームにまで使いたくねー言葉を使うようになったのは……)
ゲームは紅刃にとって唯一の楽しみだった。
拷問のような日々に与えられた、たった一つだけの糧、生きるための原動力とも呼べる代物だったはずなのだ。
にも関わらず――
「つまらない」
理由を並べられるぐらい思考が働く年齢になる前に、そんな感情が心の隅に生まれた。
いつの間にか変わらない日々の生活が、紅刃に取ってはどうしようもないほどに退屈になってしまった。
一家団欒。
交友関係。
学校生活。
恋人関係。
文武。
凡そ現代人が日常として体感するであろう全ての行為が、酷く薄く退屈だった。
何でかと聞かれれば理由は言えるのかもしれない。
何に使うわけでもなく、教養だからと言って知識を押し付けてくる教師は大嫌いだった。
録に考えることも無く他人の書いた文章を皆で仲良く朗読するなんて、何がやりたいのか分からない。数学は年を取れば取るほど何のために学んでいるのか分からない。全員を巻き込んで、皆一緒に仲良くと参加させられる体育では才能のある者が笑い合い、才能のない者は嘲笑の的にされる。
つまらない。
それでも皆、これからの人生の為経験すべきだとか、将来のためだとか、苦手なものも挑戦することが花だからとか、一緒にやれば楽しいだとか、それが社会で生きることだとか、そんな理由付けで、日々を送る。
糞喰らえだ。
たかがそんな理由で、あの退屈を享受できる神経を持つ人間が、自分と同じ人間だとは到底思えなかった。
それなのに、幸運か、それとも不幸か見てくれが優れていた紅刃に関わろうとしてくる人間は多かった。口調を乱暴にして、会話をおざなりにしても、『付き合って見ようよ』だとか『友達にならない?』だとか外面に笑みだけを飾ってそう言い寄ってくるやつ等が溢れんばかりに湧いて出た。
つまらない。
そんな奴等に限って、無視を決め込めばすぐに鍍金がはがれ本性が見える。
『あいつ、調子に乗ってね?』
だとか、
『きもっ、折角話しかけてあげたのに。っつかあんないけ好かない奴だと思ってなかった』
だとか、
『いっそ、苛めようぜ。丁度いいじゃん、うざいし』
だとか。
友達、恋人、そんな関係を持ち出した人間が発した言葉だと思うと呆れを通り越して恐怖すら感じる。
自分の言動が、心変わりが恥かしくないのか。
きっと恥かしくないのだろう。
それどころか、そんな思考にいたることもないかもしれない。
でも――
きっとそれは、彼らが普通で、紅刃が異端であることを理解はしていた。
彼らは退屈を我慢できるし、享受できるし、その外面を覆い隠せる。
そして誰も紅刃のように逃げていない。
だが、それでも――
理由とか、いい訳とか、誤魔化しとか、不安とか、孤立とか、八つ当たりとか、そんなものが浮かぶ以前に本能的な何かが訴えてくる。
つまらない、と。
結局、そんな紅刃が当たり前の生を歩めるはずも無かった。進学もせず、就職もできる訳が無く、ただ逃避した部屋でゲームをしながら生きていく。生存に必要な最低限の日銭だけを稼ぐ日々を送りながら。それでも、生きていけることに苛立ちを抱えながら。
「ネトゲ、やるか……」
淡いブルーライトの光を放ち起動するパソコンの画面を見つめながら、紅刃はただ漠然と時間だけを浪費していた。
そうであっても、ゲームだけは楽しかった。
つまらない現実から逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。
逃げ込んだ世界はどうしようもなく眩しかった。
例え仮想であっても、生が濃い世界が大好きだった。
覚悟を決め、踏み出し、間違えれば死すらその場に存在する、そんな世界に入れると錯覚できた。
生きるために、戦うために技を磨けて、経験を重ねれて、立ち向かえて。
敵がいて、理不尽があって、未知が楽しくて、楽しくて仕方が無かった。
だが、何年も何年もゲームをやっていくうちに、その興奮さえも薄れ、まがい物に思えてしまって、何のために生きているのか分からなくなってくる。
いつの間にかルーチンワークのようにゲームをするようになった自分が、あの日『お前らは人間か?』と馬鹿にした同級生と同じに思えて涙が零れそうになった。
「ああ、そうか……私はこの世界に生きる私がこんなにも嫌いだったのか……」
口に出せばもう我慢などできるはずもない。
一滴、また一滴と頬を伝い、雫が落ちた。
あふれ出る涙越しに画面を見る。
そこには、いつもと変わらないゲーム起動画面が広がって――――いなかった。
「…………ん?」
起動したはずのネットゲームはロードされておらず、そこにはインターネットの片隅に表示される広告の如く胡散臭い文字がでかでかと画面を埋めていたのだ。
『世界を疎む者よ。なれば己が生を異なる世界で輝かせ』
余りにも胡散臭い。
これに比べればまだワンクリック詐欺の方がましだ。エロ画像でも貼り付けていれば引っかかるやつ等がいることだろう。
そうまともに思考したにも関わらず、何か分けの分からぬ誘惑に駆られ、紅刃は手を重ねたマウスを動かしていた。
(いや、待て。馬鹿か私は……こんな幼稚な言葉に釣られるな、後で請求とかきたら対応がめんどくさいだろーが)
詐欺にかける為に設けられたであろう選択肢もふざけきっている。
『異世界へ、レッツゴー はい/いいえ』
これなのだ。
厳粛な雰囲気にしたいのか、陽気な雰囲気にしたいのか、そもそも引っ掛ける気があるのかないのかさえ分からない。
(だが、私は確かにネトゲを開いたはずだ……なのに、何でこんな画面が……)
思えば、最初から紅刃は性質の悪い悪霊に憑依されていたのだろう。
(待て、止めろ)
異世界。
その言葉に誘われるように、私の手はまるで私の意志とは無関係を装って、選択肢をクリックしていた。
『適正者の意思を確認しました。《勇者システム》を起動します』
脳裏に響く機械音と共に、紅刃の意識は暗転した。




