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それぞれの決意(3)

すみません、少し長くなりました。

 カーテンの隙間から漏れ出た朝日がまどろみを奪う。

 夢と現実の境界を右往左往しながら、寝癖のついた髪を乱雑に整え、古谷はベットの角に置いておいた眼鏡に手を伸ばした。

 慣れない場所では眠れない、なんてことはないが、流石に戦争の情景を見せられた後では寝つきがよくなるはずも無く夜な夜な輾転反側している内に浅く眠り、気がつけば鐘二つ時。

「寝坊……でもないのかな……」

 古谷たちは春休みの如く一週間の猶予期間を与えられていた。

 それはさながら人生を思い悩むモラトリアムのようで、古谷も度々物思いに耽ることが多くなっていた。

 命が言った勇者を止めろ、と言う言葉。逆に言えば勇者を目指すならばあれくらいは覚悟しておけということなのだろう。

 古谷の葛藤は決して深くはなかった。命の軽いこの世界で他者を害することになることは召喚された当初から覚悟してきたことだったからだ。

「だけど……勇者をやって、魔族を殺す……そこまでする理由なんてないんだよな……」

 召喚された当初の古谷の目的は一人でも生きていける知識と実力を手に入れることだった。そのために王都で騎士団と共に訓練を行ったし魔物も倒してきた。

 勇者の学校もその延長戦でしかなかった――はずだった。

 学校で学ぶことはそのまま世界のことを知ることに繋がるし、実力をつけることにも繋がる。加えて、箱庭の卒業生と言う箔がつくことも利点だった。

 打算的で、ただ生きていくために選んだ選択。

 それを変えたのは間違いなくあの少年だ。純真無垢でお調子者、楽観的で正義感が強い、そんな友樹が古谷の考えを壊してくれたおかげで、こうして悩みを抱えている。

 もう一人だけのつもりで考えることができない。そうなると、友樹たちを放っておいて自分だけ好きに進むこともできなかった。

「でも――僕は魔族を殺せるのかな……」

 魔族。

 古谷は勇者の敵である魔族について当然の如く調べを行っていた。

 人族、獣人族、エルフやドワーフなど、心に《善性》を強く持つ人類。その対極にある《悪性》の象徴が魔族だった。

 二者が相容れることは無いのだろう。

 魔族とは《悪性》故に欲望に忠実な種族であるらしい。

 誰かを殺したい、だから殺す。

 腹が空いた、だから食べる。

 あの子が可愛い、だから犯す。

 動きたくない、だから眠る。

 苛苛する、だから壊す。

 欲に忠実で、欲を埋めるために活動する生命こそが魔族。彼らには理性がないと言われている。いや、おそらく理性はあるがそれを上回る悪性がすべてを肯定してしまう。

 そんな残忍な化物と戦う気は古谷にはなかったし、戦えるとも思っていなかったし、戦う理由も存在してはいなかった。

 堂々巡りのような古谷の思考を遮るように、ぐぅ~、と情けなく腹の虫が鳴いた。

「お腹空いたな……」

 きっと今頃皆も腹を空かせているのではないのかと思いながら、古谷は部屋を出て食堂へと足を運んだ。

 まだ正式に勇者学校に通っているわけではないが、食堂や共同浴場などは自由に使用して構わないと猫耳メイド――もといサリアが言っていた。

 銭湯を模した公共浴場を見れば分かるとおり、箱庭は様々な施設に異世界人の手が及んでいることもあって、この食堂にも日本食があると密かに楽しみにしていた。

(結構人いるんだな……)

 古谷の視線は自然と下を向く。

 他人と視線を合わせないように視線を逸らしてしまうのは癖のようなもので、友樹たちが傍にいなければ一層に俯き眼鏡の奥に感情を隠してしまう。食堂には一般化に通っている冒険者や騎士の姿がちらほらと見て取れたが、その体格は古谷の知る不良や部活動の部長をゆうに上回っている。

 正直洒落にならない。

 喧嘩を売られれば脱兎の如く駆け出すのは間違いない。視線を合わせたくないのは当然だった。

 カウンターで鮭のような赤み魚の塩焼きと味噌汁、さらには白米に納豆まで揃えられた朝食を受け取り隅っこの窓際席に座ろうとした所で――ピタリと古谷の足が止まった。

「あら、随分と遅いお目覚めですね、古谷様。おはようございます」

 席には既に先客がいたのだ。

 日差しが当たりにくく、カウンターからも遠いこんな場所に人はいないと踏んでいたのだが、そこにはピンと猫耳を立てて小さな口に親子丼を頬張るメイド、サリアがいた。

 サリアの声を聞いて、反射的にピクリと身体が震えてしまった。

 初対面にも関わらず古谷は色々と彼女に失言をしまくっている。そりゃあ申し訳ないと思うのだが、一オタクでエルフや獣耳に憧れを抱く身としては我慢などできるはずもなかった。友樹にもそれじゃ駄目だと言われたばかりだったし。

 まあ、そんないい訳は無意味なわけで、サリアとの空気は重いというか気まずい。そもそも女生と話をすること自体が気まずいのだ。

「おはよう、ございます……」

 何とかそれだけを口にすると、サリアから一つ席を空けて腰掛けた。

 そんな古谷の姿を一瞬だけ横目で見ると、サリアは再び親子丼を黙々と口に運んでいた。

 古谷も倣うように一言、いただきますと手をあわせ呟き、久しぶりの白米を口にかきこんだ。

「…………」

「…………」

 沈黙が痛い。

 古谷は懐かしさがあるはずの味を素直に楽しむことはできなかった。

 学生時代にはよく一人教室の隅で黙々と食事を行っていた。それ自体は全然苦に思わなかったが、誰かと会話した方がいい状況というのは、中々に精神にくるものがある。かといって、話を振る勇気などあるはずも無く結果的に生まれたのは沈黙だった。

 だが、何時までもこのままでいる訳にはいかない。そう、友樹にも諭されたからだ。偶には自分から輪に入っていく努力をする、そんな決心の元思考をまわす。

 当たり障りのないことを話せばいいとは思うものの、天気の話を振るなんてできるはずもなく、結果古谷の口から出た言葉は、

「親子丼、こっちにもあるんですね。お好きなんですか……?」

 と、異世界では初めて目にした料理への好奇心だった。

 サリアは話しかけられたのが意外だったのか目を少し開くと、こちらを見ないまま口を開いた。

「好きか嫌いかと言われれば、多分好きなのでしょう。そういえばこれは異世界の食べ物でしたね、お米は食べ慣れてはいませんが美味しいと思います」

「そう、ですか、良かった…………そういえば、もう鐘二つ時だけど、メイドさんってご飯取るのは遅めなんですね、やっぱり仕事?」

 ほんの少しだけ成長した会話スキルをフル活用しながら、古谷は話題を振ってみる。受け答えがあるということは最低限の信用はまだ保てているのかもしれない。出会いが最悪だった分、挽回せねばとの思いも強くあった。

「普段は朝皆様が目覚める前に取っておくのが普通ですが、早朝から忙しかったもので取り損ねてしまいました。こういう時は昼食まで我慢するのですが、先輩が一時間ほど朝食を取る時間を用立ててくれましたので甘んじている次第です。それにまあ、私は獣人ですから、そこまで忙しくない時もあるのですよ」

 少し暗めな言葉で締め括られたサリアの言葉に、古谷は聞かなければ良かったことなのかと後悔しつつ返答が思い浮かばない自分の会話力の無さを恥じた。

 だが、箱庭にいる間は種族による区別をされていないだけでなく、身分さえも意味をなさないはずなのだ。中には王族で箱庭に通う者もいるくらいだが、強権を振るえば瞬く間に追放されるのがこの箱庭での常識なのだ。

「それは……あの…………」

 ――どういうことなんですか?

 と聞くのは少しデリカシーに欠けるのだろうか。古谷は尋ねようと発した言葉を飲み込んだ。

 そんな古谷にサリアは少しだけ微笑んだ、気がした。と言うのは、彼女は普段から表情が読み取りにくい女性で、前髪から覗いているくりっとした瞳は非難するときはジト目へと変わるがそれ以外のときの変化を見抜くことは難しかった。

「まあ、簡単に言えば昔からの風習、因縁、禍根、といったものでしょうか。神聖国は亜人、その中でも獣人とは長く争う関係にありましたから……歴史が変わり、過去となった今もなお差別が残っています。まあ、こんな中立な場所で働けている私は幸福な部類なのでしょうけど……それでもある程度は我慢しなければなりません。毛が抜け落ちて部屋の景観を損ねたらどうする、見たいな因縁で重要な場所や楽な場所へは派遣されなかったり、とか色々ですね……」

 少しだけ俯いて話をしていたサリアはすぐに視線を上げた。

「でも、嫌なことばかりではありませんでした。貧乏くじみたいに言われてる勇者のお世話を仰せつかっても、この世界の人を相手にするよりも気楽で、楽しげなことが多くありましたし、私に近づいて話しかけてくる変な人もいましたし」

 そう言うとサリアは出会ったときから今までずっと感じていた鋭い視線のようなものを緩めた。

 彼女と同じく隅っこの一人席を探していたとは言わない方がいい。もふもふに近づくために打算的だったことも否定できない事実なのだから。

「だから――」

 何かを口にしようとしたサリアの発言を妨害したのは、

「おいおい、獣が人間の食堂で飯なんか食ってんじゃーねーよ、不衛生だろ」

「つーか、何暢気に飯食ってんの? 給料貰ってんだから働けよ、おい」

 通路際からぶつけられた、酷く苛立たしい暴言だった。

「ちょっとー、アル、何絡んでんの~、んな奴ほっといて依頼いかないの~、春季休業の間に稼ぐんでしょ~」

 男二人に、女が一人。

 どちらも日本人としては見たことのない髪の色と瞳の色をしていた。それだけで、金髪の不良を思い出して震えそうになるが、彼らの体格は腰の長剣を振り回すためにかなり鍛えられていることが分かる。そらもう、高校の不良生徒なんて目じゃなかった。

 女の方は魔法使いなのか薄手のローブを着込み、短剣を持っているだけなので見た目としてはそこまで恐くないが、やはり元いじめられっ子としては染めたような髪を見るだけで戦意なんて失せてしまう。

「――申し訳ありません……すぐに職務に戻りますので……」

 心の奥で何かを殺して、平静を装うサリアはそう口にした。

 違う。

 そう口にさせてしまったのだ。

 きっと、それはどこかで見た光景だ。

 誰とも関わろうとしないまま部屋の隅っこでいる人間に何かと因縁をつけてはストレスの発散だったり、欲求の解消だったりのために意味のない暴言を吐き捨てる。いじめの対象となった彼は読んでいた一冊のライトノベルを奪い取られ、見せびらかされ、最後には捨てられた。それでも事を荒立てないように歪んだ笑みを外面に貼り付けて、さも何でもないような体を装うしかできなかった。

「ハァ!? 何それ? そんなんでサボりが許されると思ってんの?」

「…………」

 今は休憩を与えられている、と口にしても無駄だ。彼らはそもそもサリアの言葉に耳を傾ける気はない。そんな相手に対して言葉は何の力も持たないことを古谷は知っていた。

「生意気にも人間の、飯食ってよ――」

 そう言って、男はサリアの持つ食器を手で払い地面に落とさせた。

「あ~きったね~、ちゃんと掃除しとけよ」

 なんて何が面白いのか分からないが彼らは笑う。外野は何も言わず見守るのみで、古谷もその一員に過ぎない。あの糞ったれな日常を思い出して、煮えたぎる気持ちと恐怖で動けない自分をただ嗤うだけだ。

 きっと、このままやり過ごせばこれ以上の被害はでない。彼らは箱庭に通う生徒であるのだから、嫌がらせ以上の行いは絶対に不可能だ。障害やセクハラにまで発展すれば、問題となって退学せざるを得なくなるだろう。

 だがそれは決して解決には繋がらないのだ。

 嫌がらせしかできない、というのは裏を返せば嫌がらせだけは何処までも広がり続くことを意味する。陰湿で汚い行いは人に伝播しやすい。我慢して、我慢して、我慢したその先には逃げ出す以外の選択肢が消えてしまっていることだろう。

 それを見て、どうしようもなく腹が立つ。

 まるで過去を覗いているみたいで嫌気が差す。

 ――こんなんで、いいのかよ。

 友樹に背中を押され、自分から頑張って関わっていった人の辿る結末を知っていて、それでも傍観するのかよ。こといじめにおいて傍観は共犯であると古谷は思っていたはずなのだ。彼らは見て楽しむものが半数であり、もう半数はこちらを傷つけるだけの同情を寄せてくる敵でしかないのだ。

 そんなことは知っている。そして、そんな人間に古谷もなろうとしているではないか。

 不良や冒険者たった数人相手に恐れをなして何もできない自分が仮にも勇者を名乗っていることを笑いたくなってくる。

 このままではきっと――

 きっと、彼女は最後にこう口にする。

『ごめんなさい』『すいませんでした』『申し訳ありません』

 何が悪いのか、何を謝っているのか、何も分からないままそう口にするのだろう。

 それでいいのか――

 何もしないで、いいのかよ。

 また何もしなかったら、一体何のために異世界に来てまで変わろうとしたんだよ、俺は。

「申し訳――」

 申し訳ありません、サリアがそう口にしようとしたその時。古谷は半ばやけくそで、あらん限り傲岸不遜に言い放った。

「あーあー、ったく、うっさいですね。箱庭は何時からチンピラのたまり場になったんですかね。下らないことして自尊心を満足させる暇があったら少しは実力でも磨いてきたらどうですか、全く」

「――――ぇ、古谷、さん……?」

 サリアに敵意を向けていた三人の視線がいっせいに古谷に向かう。

 驚きと困惑を抱え、制止の声を上げようとするサリアだがもう手遅れなのだ。だから、心配せずに見ているといい。ここからは俺の独壇場だから。

 だからもう、そんな今にも歪みそうな強がりをする必要はない。

 見る見る内に赤くなり、怒気を顕にした彼等をまるで歯牙にもかけない体を装いながら古谷は演技を続ける。

「こうもすぐ傍で騒がれると鬱陶しいんでさっさと何処かに消えて貰えませんかね、せっかくのご飯がまずくなる」

「んだとぉ、眼鏡野郎! なんか文句あんのかてめー、殺すぞ?」

 本当に殺さんとしてきそうな視線を浴びて、震えそうになる体を懸命に押さえ込み、心の奥で隠し通す。思えば形は違えどそれは古谷が今までやってきたことなのだからできて当然だと言い聞かせる。

 もう引けない。

 覚悟は成り行きだが決めた。

 後は盛大にやらかすだけだ。

「消えろって言ってるのに、理解能力ないんですか、サルでももう少し言葉を理解できますよ」

 煽って、馬鹿にして、憎悪ヘイトを稼ぎまくるのだ。

 サリアのことをすっかり忘れられるくらい盛大に。

 いじめと言う物は如何せん他者が介在して解決することは難しい。彼らはルールに抵触しないギリギリで人を貶め、馬鹿にし、優越感に浸る。あるいは、絶対的に有利な状況を作り罪を公にできなくしたり、援軍を呼びづらくしたりすることを心がけているのだ。そんな中、古谷がサリアを庇い立てをするのは悪手でしかない。どう弁明しようが、どう庇い立てしようが、結局最初からこちらの言い分を聞く気がないのだからその時はいじめが止もうと影で再燃するか、纏めて攻撃を行うようになるか、それくらいの効果しかないのだ。

 ならばどうするか。

 簡単だ、新しい標的を与えてやればいい。

 それも飛びっきりに憎憎しくて、殺してやりたいと思うくらい生意気な奴で、もう他の標的なんて頭の中から消えてしまうくらいの怨敵を用意すればそれでいい。

「てめー、亜人を庇い立てして、俺達に喧嘩売って、生きていけると思ってのか、あぁ?」

「俺達は神聖国の公爵家の人間だぞ、その俺らに喧嘩売ってんだ、分かってんのか?」

 なにやら脅し文句を言っているようだが、古谷はもう止まらない。

 そもそも、そんなこけおどしなど意味を持たないのだ。何せ古谷の目指す先はありとあらゆる権力を越えた力の象徴、勇者なのだから。公爵だろうが、王子様だろうが、王様だろうが一昨日きやがれ。

「お前らこそ誰の食事を妨害したか分かってるのか? 僕はこの春から特別クラスに通う召喚された《勇者》なんですよ。公爵家とか、亜人とか意味分からない言い分で僕の食事を邪魔して、もしかして喧嘩売ってますか?」

 柔らかな眼差しを眼鏡の奥に隠し、黒光りするフレームをすちゃりと正し、精一杯の威圧を込めて古谷は言った。

 その言葉に今まで激怒していた三人の表情が一気に冷え込む。女生徒など震えるほど脅えきってしまっていた。ただのひょろい根暗眼鏡相手にこの反応とは、流石は《勇者》の持つ力である。

 彼らは仮にも箱庭の生徒だ。

 だから知っている。

 別世界から呼ばれ、神に加護を与えられた出鱈目に強い《勇者》の存在を、

 特別クラスに通う次元の違う存在を、

 ただ一人にて何千の敵を打ち払う化物を、

 彼らは当然知っていた。

「今ならまだ、見逃してあげます。でもこれ以上僕の食事を邪魔するなら――」

 一拍の後、沈黙の満ちた空間に、

「――殺すぞ?」

 たった一言が響き渡った。

 ただ淡々と事実を突き刺すような口ぶりに、冷えた殺意が場を包む。

 青ざめていた女生徒が逃げ出したら、後はもう崩れるように逃げ出すのが人間の性と言うものだ。男達二人も憎憎しげにこちらを一瞥して、すぐに逃げ出した。

 周囲の喧騒も次第に落ち着き、隣にサリア以外がいなくなったのを確認して、

「はぁー……助かった…………」

 古谷は精根尽き果て机に突っ伏した。

 実際、喧嘩になれば百パーセント負けるのは古谷だ。武の加護を貰っていない古谷に肉弾戦は現状では不可能だった。魔法発動までの時間を稼げる前衛がいなければただの案山子同然だ、勝てるはずもない。

 盛大にかました大法螺が実を結ばなかったらどうなっていたことか、そんな安堵の中に何故だか妙な達成感を感じていると、サリアがこちらを見つめてきていた。

 非難してくるようなジト目で、不満を訴えるような視線で、でもそれを口にできない、そんな複雑そうな心境がひしひしと伝わってきた。

「……なんで…………何で助けてくれたんですか…………?」

 そんな思いの丈を詰め込んだ問いに、古谷は明確な解を持っていなかった。

「さあ、何でだろうね……」

「理由も無くあんなことしないで下さい! 今度は、貴方が……きっと、酷いことを……」

 悲痛に咽ぶサリアだが、古谷は思った以上に自分の中に後悔がないことに驚いていた。今までは立ち向かうことすら考えられなかった障害に、立ち向かってみたら、まあそれでもいっか、と思えるくらいには心が軽くなっていたのだ。

「別に理由がないわけじゃない……同情したとか、理不尽が嫌だったとか、そんな感情が無い訳じゃなかったけど――――僕はいつかの自分をもう一度見るのが嫌だった、それだけなんだ」

 かつて、一人の少年がいた。

 少年は酷くひねくれ者で誰とも心を通わせることはできなかった。

 だから、一人でできる趣味に没頭した。知らず知らず根暗と呼ばれ、オタクと呼ばれ、蔑まれるようになった。陰口を初めとする陰湿ないじめが始まり、いつしか何もできなくなった無能と化した。

 最初は他人を嫌いになって、次は周りを嫌いになって、そして自分を嫌いになって、挙句の果ては好きだった物まで嫌いになった。

 少年は何もできなくなって、逃げ込んで、一人孤独を友と歓迎した。

 嫌って、嫌って、嫌って、嫌って。

 嫌った世界で行き場を失い異世界へと辿り着いた、それが古谷一誠という人間だった。

「それじゃ駄目だって初めての友達に言われて、自分を変えようとして、勇者を目指そうとして――今勇者を目指すことを決めた。誰かの不幸を見逃し心の中で笑う犯罪者と同じになりたくなかった。だから、僕はきっとサリアを助けたかった、それだけだよ」

 ――おこがましいかな?

 そんな古谷の言葉にサリアは首を振ってくれた。

「まあ、後は一歩でもその可憐なもふもふに近づくためかな……」

 そんな照れ隠しのための古谷の言葉に、サリアは珍しく恥かしそうに耳を手で覆い隠した。

 もじもじとする女の子らしいサリアは予想以上に幼く見えた。むしろ今までの態度が大人びていすぎたのかもしれないが。

 不意打ちのこどくぶつけられた仕草に古谷が戸惑っていると、

「スケベ……ですね――」

 とジト目で言って、すぐに続けた。

「――でも、少しだけ考えて置きます……」

 心底恥かしかったのか、真っ赤になった頬を隠すように彼女は後片付けをして去ってしまった。

 そんな少女の背を追いながら、

「一歩前進、なのかな?」

 なんて気楽気に呟くのだった。

三日以内には次も投稿する予定です

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