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それぞれの決意(2)

 『くろがね』の店内は特に代わり映えのない何処にでもありそうな一店に思えた。

 カウンター席と幾つかの卓と椅子、漂う食材の芳醇な香り、調理場の一端に置かれた様々な酒と調味料、それは現代であらば何処にでもありそうな光景だった。

 だが、異世界では珍しいといわざる得ない。特に気になったのは味付けの元である調味料だ。これは基本的に塩が大部分を占めるはずだが、ここには懐かしさすら感じるソース、マヨネーズ、さらには醤油などまで用立てられている。

「何だ、やっぱ珍しいか? だが、この街じゃ結構流通してるぜ、商会のやつ等が食べ物には随分拘ってるからな」

 アリスの視線に気づいた鉄が言う。

「ま、うちのは俺特製だかんな、ここで食ったらもう既製品じゃあ満足できなくなるぜ」

 食材の香りにつられて、アリスの腹が小さく鳴った。

 不意打ちのような香りもそうだが、そういえば昨日の夜からスープくらいしか口に入れていなかったのだ、自然と鳴ってしまった音に羞恥心が引き立てられるが、鉄は特に気にしたようでもない。

 それどこころかむしろ嬉しそうに笑いながら口を開いた。

「何だ、腹減ってるのか、何か食うか? 同郷のよしみだ奢るぜ、ちょっと待ってな」

 そう言うと、鉄は鉄板に火を入れ、野菜と腸詰をスライスしていく。鉄板で具材を炒めやや太目の麺と少量の水を加えて慣れた手つきで炒めていた。同時に卵を溶き、卵液に味付けをして軽く火を通しトロトロした卵が半熟になった所で炒めた焼きそばへとかぶせ、卵に切り目を入れると、あふれ出た卵が焼きそばを包み込んでしまった。魔法のように鮮やかで、熟練した手並みだった。派手さはないが、淀みも全く存在していない。

 ふわふわトロトロの卵にソースとマヨネーズを丁寧にかけ皿に移すと、鉄はオムソバの乗った皿をアリスの前に差し出した。

「凄い、おいしそう」

「んな手の凝ったもんじゃねーが、うめーぞ」

 アリスは黄金のような卵にそっと箸を入れた。卵の絡んだ麺をそっとすする。実家にいた頃では食べることのない料理だが、その味は決して高級店に劣るものではなかった。

 野菜は下処理のおかげか甘味が飛んでおらず、触感がいい。太い麺と細やかに味付けされたソースも良く合う。素材一つ一つに手が込んでいることが分かるが、何より一番の衝撃は卵の味だった。濃厚で甘味のある卵が、他を包み込んで優しく纏めている。その味が空いた腹を満たしていく感覚がこの上なく心地よかった。

「おいしい、凄く美味しいです」

 一度箸をつければもう止まらなかった。

 はしたないと思いながらも箸が止まらなかった。優しい卵の甘味がどこか溜まっていた心の疲れさえも癒してくれる、そんな錯覚を感じていると、いつの間にか皿の中を綺麗さっぱり平らげてしまっていた。

「……ご、ご馳走様でした」

 余りに夢中になってしまい、行儀さえ考えること無く没頭してしまったことに羞恥を感じながらアリスが言った。

「おう、お粗末様……しっかし、いい食べっぷりだな。まだ火の月じゃねーってことは命さん、どうせ今回もあれやったんだろーな。どうだ、衝撃的だっか、死の溢れる映像は?」

 皿を回収し洗いながら鉄が言った。

「じゃあ……高沢さんも、あの命って人に見せられたんですか、あれ……」

 鉄は少しだけ懐かしそうに頷く。

「鉄でいいよ。ああ~、見たぜ、ったくグロいったらねーよな、命さんもえげつないもん見せやがる、こちとら健全な日本人だってのに生々しいったらありゃしねー、流石にあんなもん見ちまった後にローストビーフは食えねーだろ、嫌味かって思ったよ。だから嬢ちゃんも腹減らしてたんだろ?」

 アリスは先ほどの料理を思い出し、卵で包んでくれたのは見た目を気遣ってくれたのかと納得し、笑った。

「アリス、でいいですよ。そうですね~、ほんとまいっちゃいますよ、私なんて槍で無理やり喉を突かされましたし。あんな生々しい血を見たのも初めてです。まあでも、紅刃さんは平然とお肉食べてましたけど……」

「んあ、そういや椎名の奴も平然と食ってたな……どういう神経してるんだか……」

「きっと、どこかおかしいんですよ、うん。紅刃お姉ちゃん、なんかそっけないですし……」

 鉄はアリスが紅刃という人物の呼び方が変わっていることに笑みを浮かべる。きっと、本来はそう呼びたいが照れが勝って呼べないのだろう。チンピラに堂々と喧嘩を売っていたこともあってか、かなり負けず嫌いと言うか、高いプライドのようなものがあるのだろう。

 鉄がそんなことを考えていると、アリスが再び口を開いた。

「そういえば、鉄さんは料理してますけど、《勇者》なんですか? 学校にも通っていたらしいですし」

「いんや――」

 鉄はアリスの前に食後の紅茶を置くと続ける。

「――俺は勇者に興味がなかったからな、ただの料理人だ。まあ、目指した所でなれたかどうかわかんねーけどな」

 アリスは自分には想像もできないほど恐ろしい力を振るった鉄が勇者でないことに驚いた。チンピラに向けてとは言え、捉えられないほどの加速。思い出しただけでも震えそうになる一撃だった。

「あんなに強いのに、勇者じゃなく料理人なんて勿体無いですけど……あ、でも鉄さんの料理食べれない方が勿体無いかも……」

 先ほどのオムソバを思い出して、アリスは自分の言動を即座に否定してしまった。

「そいつは嬉しいね。だがまあ、俺の実力なんて所詮はただの勇者(仮)でしかねーよ、本物は次元が違うからな。俺は獲物を狩るだけの力と生きていくだけの実力、それと美味しい魔物の知識が欲しくて学校通ってた不良だしな、大したことなくて当然だ。そんなもんより、料理がうまいつって言ってくれた方が百倍嬉しい」 

 包丁を握り、静かに佇みながらそう口にした鉄の表情は真剣だが、どこか子供っぽさの残る言いようだった。

「料理馬鹿だったってことですね~」

「失礼だな、ま、ちげーねー」

 アリスはそっと香りの立つ紅茶に口をつけ、喉を潤した。

「悩まなかったんですか? あんな物見せられて、もう戦うのは止めようとか、勇者の学校なんて通いたくない、とか思わなかったんですか?」

「まあ衝撃は受けたが……俺は端から勇者目指してなかったから気が楽だったしな。それに、生きるために他者を殺すってのは料理人は一番分かっとかねーと、って最初から思ってた以上そんなにショックではなかった」

「そう、ですか……」

「嬢ちゃんは随分と困ってるみたいだな」

 アリスは鉄の言葉に顔を伏せた。

 困っている、と言うよりは困惑していると言った方が正しいのだろうか。

 自分は何をすべきなのか――いや、何がしたいのか。才能を貰ってなお、苦労の絶えない異世界で何をすればアリスの空白は埋まるのか、分からない。

 恐怖と好奇心が拮抗し、歩みを止めたアリスはまた役立たずのままで、紅刃は先に進んでいて助けてくれず、天性の美貌は問題しか生まない。

 これが辛い現実に打ちのめされる感覚なのだろうか。

 延々と続きそうなアリスの自問自答に妨害が入る。

「ま、もっと楽に考えりゃあいいぞ、勇者って言葉は重荷にしかなんねーが、そこで学べる物は確かにある。命さんはああ見えて根は優しいかんな、俺も色んなこと教えて貰ったよ。だから、好きなことでも、やりたいことでも、ついていきたい人でも、見つけてくりゃあいい、学校って本来そう言う場所だろ?」

 学べばいい。

 鉄の言葉は確かに正しいが甘えのような言葉だとも思う。

「アリスは……アリスは自分のことが最近分かんないです。色んなものを無くして、新しい繋がりを得て、益々分からない……強がりたいのか、甘えたいのか、進みたいのか、戻りたいのか、恐いのか、辛いのか、寂しいのか………………アリスは自分が何をしたいのか……分からない……」

 嗚咽の混ざるアリスの言葉を鉄は笑った。

「んだ、そんなことで悩んでんのか、お前さんは」

「そんなことって!」

 激昂するアリスを見ても、鉄は暢気に頭をかきながら言う。

「お前さん、生き急ぎすぎだ。高々中学くらいのガキがきっちりとした理想持ってて、目標が定まってて、真っ直ぐそれだけを目指せるなんてそっちのがよっぽど異常でおかしいんだよ。ただでさえこんな物騒な場所に来てんだぞ、恐いのも辛いのも、不安なのも寂しいのも、後悔さえも、抱いてしまうのは当たり前なんだよ、恥かしがんな」

「アリスは……」

「お前さんはプライドが高そうだし、自分はもっと何でもできるとか思ってるのかもしれないが、人間なんて一人じゃなんもできねーよ。もう一度命さんの言葉を良く思い出してみろ、あの人は別にお前さんの進む道すべてを否定したかった訳じゃないんだぞ」

「…………」

 鉄はそれだけを言うと、料理の仕込みを行い始めた。

 小気味良く響く包丁の音が、静寂を埋める。

 アリスは鉄の言葉になんとも言えない混沌とした感情が渦巻いた。

 向こうでは何でもできた。

 でも、それは決してアリス一人の力ではなかったことに今さらのように気づかされて、顔が煮えたぎるほどに熱くなる。

 何が何でもできた、だ。

 アリスは何一つできてないし、何一つ生み出してない。

『勇者なんてやめちまえ』

 あの人は数ある未来の中で、どうしても勇者の道を誰かに選んで欲しくなかったのではないだろうか。

 それを、ただアリス達の中を引き裂くような言葉と勘違いしたのは他ならぬ自分だった。

 きっと、アリスは勇者を諦めることで、今ようやくできた繋がりが消えるのが恐くて――

 皆と離れるのが恐くて――

 ただそれだけしか考えていられなかったに違いない。

「…………アリスはまだ皆と一緒にいたいです……」

 そんな理由でいいのだろうか。

 でも――

 今はきっと、そんな理由でもいいのだろう。

「まだ、十四歳ですしね~」

 言い訳のような言葉だが、どこか気楽にそう言えたのは目の前の青年が励ましのような言葉をくれたからだろう。

「なんだい、もう大丈夫なのか?」

 すっきりとしたアリスの顔を見定めながら鉄が言った。

 そういえば、この人はアリスに対して普通に接してくれている。友樹や落ち着きのある古谷でもアリスが微笑めば照れたり、少し熱の篭った視線を向けるのに、この鉄という青年は表情が変わらないどころか、むしろ小バカにするように見てくるのだ。

 それがどこか悔しいのは何故なのだろう。

「はい、ありがとうございました。オムソバ、美味しかったです」

 そう言って、上目遣いで微笑みを向けてみるが、やはり鉄は表情を微かに変えただけで、男としての反応を向けてくれない。

「おう、悩むよりかはそうやって笑ってるほうがよっぽどいい。そっちのが可愛らしいしな」

「っ!」

 特に何も考えずに言ったであろう一言に、仕掛けたはずのアリスのほうが顔を赤くしてしまう。

「そ、そんなの、知ってますもん、アリスは可愛いですから!」

「――そうかい。ま、でも笑えなくなったらいつでも来な、美味いもんを食わしてやるからよ」

 そう言って、鉄はごく自然に手をアリスの頭に置くと、ぽん、と優しく叩いてきた。

 予想外の行動に早鐘のように加速する鼓動はきっと、驚いてしまったからに違いない。

「ご、ご、ご馳走様でした!」

 そう言って、顔を真っ赤に染めたまま逃げ出すようにアリスは駆け出した。

 誰にも顔を見られないように頭を下げていたアリスの表情は、ほんの少しばかり緩んでいるように見えた。

 


次は三日後くらいに投稿すると思います。

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