第七話 過去の俺
再び探索は開始された。俺と先生は再び職員室の鍵を取りに行って波也先輩に倉庫の鍵を渡した後、今度は教室を探索していた。そこで、「2-3」という文字が目に入ると、俺は突然失ってしまった大切な人物の姿が目に浮かんだ。
しかし、それをすぐにかき消した。
「っ…」
「?どうしたの、空野くん。体調でも悪い?」
「い、いえ…大丈夫っすよ先生」
「そう?ならいいのだけれど、まあ気持ちはわからなくもないわ。いくら若城さんを助けるとはいえ、こんな気味の悪い所に連れてこられちゃあね」
「…そうですね」
「2-3」と書かれた教室の扉に、鍵が掛かっていないことを確認した先生は、がらりと音を立てて教室に入った。中はスタート地点と同じ間取りの教室で、何も変哲も無い。ただ、変わっているのは、とある席に花が置かれていることと、黒板に縦書きで名前が書かれていることだけ。
「―――何なんだ…」
「空野くん?」
――――何なんだ、此処は。何なんだ、この空間は。何なんだ、この世界は。
本当の鬼人歩先輩である、『主催者』は一体何がしたいというのだ。参加者の思い出したくない記憶を、無理にでも思い出させて、参加者を嫌な気分にさせて。いくら、このゲームを作った人とはいえ、やり過ぎなのではないだろうか。ぐらり、と視界が揺れて今にも倒れそうになる。すると、目の前にチカチカと忘れたいが、忘れることの出来ない「あの光景」が映像のように映し出される。
嫌だ、嫌だ、嫌だ…!!思い出したくない、やめてくれ。
「空…く、ん…!?」
そして視界の揺れが強くなると同時に、先生の声がかすれて聞こえなくなる。ああ、俺は今、床に倒れているのか。先生が俺の名前を呼んで、何度も何度も「しっかりして!」と身体を激しく揺さぶっている。身体に力が入らず、瞼が重くなっていく。身体に、動けと命令しても言うことを聞いてくれない。
(死ぬのかな、俺…。まだ、まだ何もしていないのに)
やがて目の前が真っ暗になって、俺の意識は無くなって言った。
***********
――――風が吹いている気がする。
ここは一体何処なんだろう。蝉の鳴き声と、風に揺られて葉がこすれる音。そして、何故だか蒸し暑い。ゆっくりと身体を起こすと、そこは教室だった。どうやら俺は、自分の席で机に突っ伏して寝てしまっていたようだ。何故、寝てしまっていったのかはわからない。
「あれ…?俺、何で寝ていたんだ?」
どうしようか、此処はどこかの教室みたいだけど俺以外に誰もいない。黒板の右斜め上に取り付けられている、丸くて白い時計はちょうど午前11時を指している。さっきまで、俺は先生と一緒に―――…
「やっと、起きた」
「え」
そこにいたのは先生ではなく、『彼女』だった。
「燐って、よく寝る。寝たら起こそうとしても、起きない」
「えっと…」
「忘れた?日本人って、寝ぼけるとおかしくなるのね、面白い。覚えてないの?君は、さっきランチを買いに行った私を此処で待ってて、疲れたのか寝ていた」
「そ、そうなの?全然、覚えてないや」
「…じゃあ、ワタシの名前は?」
「名前?」
「そう、名前。Please call me,Rin.」
ワタシの名前を呼んで下さい…か、簡単だ。君のことなんて、忘れたくても忘れられないよ。
「―――デイモ。デイモ・アスフェルト、だよね」
「…なんだ、覚えてる。心配、必要なかった」
そう、彼女の名前はデイモ・アスフェルト。首の真ん中辺りまで長さのウェーブがかかった綺麗な金髪をしていて、日本人とは違って、少し薄みのある黒い瞳をしている。確か、俺が中学二年生の夏に、留学生として転校してきた女の子だ。日本語は勉強中で、話せるには話せるが少し片言になってしまう。俺は通じるからよしとしているが、学年主任の先生は非常に気難しい人で、彼女に「もっと勉強しておきなさい」と何度も言っていた記憶がある。日本人である俺にはよくわからないが、日本語は一番難しいと言われているらしい。それを外国人が学んで、片言だけでも話せて通じるのは、とてもすごいことだと思うのに、それのどこが学年主任は気に入らないのだろうか。
「何買ってきたの?」
「漢字、わからなかった。ライスボールと魚とトマトとレタスが同じ入れ物の中に入っているもの。入れ物が透明で小さくて、持ち運べる…」
「ああ、日替わり弁当か」
「ヒガワリベントウ?あれ、そう読むの」
「そう、デイモって漢字は勉強してないんだろ?今度、教えてあげるよ」
「楽しみ、待ってる」
「うん」
さて、どうしたものか。どうやら俺は、自分の中学生時代にいるみたいだ。
原因はあの「2-3」に入った直後に襲ってきた眩暈らしき症状だろう。背格好も過去のものということは、意識だけが飛ばされて、身体はもとの場所にあるのかもしれない。過去の俺は、髪は短くて縛っておらず、あの飾り用のマスクもしていない。あのマスクは、醜い傷跡を隠す為にしていたのだが、いつも付けていたものが無くなると、どうも落ち着かない。でも、いいことにあの傷はなかった。
(傷が出来る前の俺なのかな)
男子トイレの鏡の前で、自分の姿を確認し終え、外で待たせているデイモの所へ向かった。
「悪い、待たせた」
「トイレ、しないの」
「そうじゃなくて、目にゴミが入って取ってただけだよ」
「そう。痛い?」
「痛くない、大丈夫。もう取ったから」
「そっか」
ふっ、と優しくデイモは笑った。俺はまるで、彼女にまた会えたような気がして少し嬉しくなった。なぜなら、今はもう彼女は何処にもいないのだから。この世界が、この見えている光景、全てが本物じゃないことは知っている。きっと俺は、知らないうちに意識がもとの時代に帰ってしまうんじゃないかと予測している。帰り方なんてわからないし、目の前にいる彼女に聞いたって、首を傾げられるだけだ。
『―――――楽しい時間はあっという間に過ぎちゃうものなんだよ、ねえ参加者くん?』
「!!? 誰だっ!!」
「わ、燐、どうしたの、変」
「どうしたのじゃない、さっき何か聞こえなかったか?声がしたんだ」
「声?聞こえなかったよ、燐、変」
「……嘘、だろ…?」
突然聞こえた声は、俺しか聞こえていないということに驚きを隠せなかった。なぜ、彼女には聞こえていないのだろう。こんなにもはっきりと聞こえるというのに。
(俺しか聞こえないってことは―――)
「……まさか、鬼か」
『ぴんぽーん!僕は緑鬼のハヤテ。やーっと僕の「仕掛け」に引っかかってくれて、嬉しいなあ~』
「仕掛けだと?」
『そっ。君が見ているのは、君の過去の映像。映像はその場の記録として残されるものだから、よくある小説とかアニメにあるタイムスリップとは違って、未来を変えることは出来ない。そういう設定の仕掛けにして置いたんだよ、どう?いい趣味してるでしょ』
「っ…!」
周りが、フッと暗くなり始める。まるでステージに設置してある、スポットライトが明かりを失っていくみたいに、辺りが闇に包まれて何も見えなくなる。
「…何処がいいんだかまったくわからないな」
『ちぇっ、まあ参加者くんは人間だからね。めちゃくちゃにして、殺すようにって命令されてるんだからね?だから、大人しく…
―――死ねよ』
緑鬼がそう呟いた瞬間、いきなり大きな突風が俺を襲った。強くて強くて、目が開けられず、立っているだけで精一杯だ。もしかして、これ飛ばされるんじゃないか?飛ばされたら、どうなるんだよ。何もない空間で、俺が風に飛ばされて、身体を強く打って――――死ぬのか?
―――ばっかみてぇ、まだ死ぬわけにはいかないだろ。
まだ、まだ、まだ、まだ……!!
(まだ、この世界を「クリア」してない―――!!)
「ぐっ…!くっ…っそ、があああああああ!!」
『ははははははははっ!!無駄無駄ぁ、そんなに叫んだって、人間がか弱くてなーぁんにも出来ないことは知ってるんだからねー?』
「うるっせええええ!!鬼ごときが俺を指図するんじゃねえええぇ!!」
『―――は?』
俺は突風に逆らいながら、重い足を何とか一歩一歩、前へと進める。
『その態度―――参加者くんの映像だと、2013年の秋ごろにとれてるね?こういう能力を持っているんだから、何でもお見通しなんだよ?』
「っ…る、せぇ…」
『見せてあげるよ、参加者くん。君の罪を』
――――2013年 秋
ああなってしまったのは、俺のせいなのかもしれない。自分が情けなかったから、どうしようもなかったのかも。中学二年生の冬、俺の成績が極端に落ちた。自分でも訳がわからなかった。順位も三桁に下がってしまって、勉強に厳しい両親にもガッカリさせてしまった。こんなの理不尽だと思い、俺はしばらく遅くまで起きて勉強を続けた。
中学三年になって、俺のクラスは週の終わりに一度、小さなテストを行うようになった。これは去年から続いて学年主任である先生の案で、グループを作って勉強してテストをして成績を上げようというアイデアだ。その俺のグループがなぜか最下位続きな為、朝のHR前や休み時間も昼休みも放課後も、ただ最下位から逃れるために勉強を続けた。
「今週のテスト範囲はそんなに広くないから、簡単かもね」
「そうだねぇ、英語と数学はやらないからラッキー」
「でも、空野くんがなぁ…」
「…ごめん、俺が足引っ張ってるよね」
「ううん!そんなことないって、お気の毒だねぇ、今回の科目は空野くんが苦手とする理化の物理があるからな~」
「気持ちはわからなくもないぞ」
「ああ、もう遅いから半になったら出ようか」
自分のために、遅くまで付き合ってくれる同じグループの子たちにも申し訳なくて、これは絶対に頑張らなくてはいけないと、俺は心の中で燃えていた。なぜか今週のテストだけは頑張れるような気がしていたから。デイモは俺のグループとは違って、少し成績のいいグループに居た。
「燐、今回はどうなの」
「自信ないけど、頑張れるような気がするよ」
「そう、よかった」
「お互い、頑張ろうな」
「うん」
俺はあの時、そう言ったけれども、実は少しデイモに嫉妬していた。俺よりも成績のいい彼女が、少しうらやましかったのかもしれない。デイモはあれから日本語を頑張って勉強して、片言で喋ることは少なくなったらしい。最近では女子の友達やグループの子に「漢字」を教わっているらしい。日本の漢字は面白くていいね、なんて俺に話していた。
「燐って漢字はこう、書くんでしょ?」
「ああ、難しいでしょ」
「うん、書き順も多いし、形もなんだか組み合わせたみたいで変」
「ぶっ、変ってなんだよ。まるで俺の名前が変みたいじゃないか」
「ごめん、そういうつもりで言ったんじゃない」
「知ってるよ、漢字は確かに色々な形があって面白いよな。好きな漢字とかあるの?」
俺がそう聞くと、彼女は「うーん」と少し考えてから、答えた。
「…『人』っていう漢字かな?」
「『人』?それって、人と人が支えあっているからってやつ?」
「ううん、ワタシがそれを好きになったのはそういう理由じゃなくて、…なんかこの漢字ってさ、手をお互いに合わせているように見えない?」
「手を?…ああ、言われてみれば確かに…」
「でしょ?」
俺はデイモの考えにとても関心してしまった。こんな考えを持つなんて面白いと思ってしまった。「まるで手を合わせているみたいだ」ということは、外国人である彼女だからこそ、気づけたのかもしれない。
「人が手を合わせる…か、こんな風か?」
俺は自らの両手を合わせて、合掌のポーズを取る。それを見たデイモは「それってお祈りの方じゃない」と笑い出した。どうやらウケたのか、彼女はしばらく笑っていた。
「そんなに笑う?」
「笑うよ、ワタシが言っていたのはこっちの方だよ」
「え?」
デイモは俺の片手を引っ張り、それを自らの手を俺の手のひらに合わせた。
「ね?」
って首をこてん、と傾げさせてニッコリと笑う彼女。その笑顔に、俺は一瞬、息が止まったような錯覚に陥った。
「っ!」
―――危ない、なんか危ない。正確には俺の「何か」が。
「ね、ねえデイモ…」
「ん?」
「デイモってどこの国に住んでいたんだっけ」
「え、フランスだけど。燐、どうかしたの?変」
「いや…」
フランスかぁ…。フランスの人たちって俺の記憶が正しければ、確か、挨拶代わりに口付けとかするんだっけ。違うっけ?まあ、もしそうだと仮定して、デイモも昔、していたのかな。…いや!!まだ、その時は幼かったから、しているとは限らない……よね?
(あ、言われたとおり、俺、何か変なのかもしれない。こんなこと考えるとか)
「ねえってば」
「うわっ、何」
「何じゃない。燐、さっきから変。顔真っ赤だし、もしかして熱ある?」
「無いって、全然大丈夫だから」
「本当?嘘じゃない」
「嘘じゃないって言ってるだろ、ほらもう帰ろう」
「?…うん」
彼女は少し不思議がって俺を見たが、それ以上は何も聞かなかった。
ちょーっと甘酸っぱい話を入れたかったんですが、全然少ないですね、ごめんなさい。次回頑張ります(笑)