第四話 名無しさんという名の裏切り者
いつからだったかなぁ、覚えてないなぁ。
思い出そうとしても、思い出せない。だけど、確かにこれだけは覚えているこの記憶。
〝何も〟持って居なかった私の中に、一人の女の子の声が聞こえてきたのは。
≪ひくっ…うあぁあんっ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…≫
赤い空からまた今日も知らない女の子の泣き声が聞こえてくる。これは何だろう、いつからこんな声がきこえてくる様になったのだろうか?…幽霊、ではなさそうだ。仮に幽霊がいたとしてもここは私の世界だから消すことは出来る。じゃあ、一体なんだろう?
(…覗いてみようかな、ずーっとこのゲームを作っていたから疲れていたんだよね)
そうとなれば、声のする方へいってみようか。あの声は人間の泣き声だ。悲しいとき、人間が発する泣き声。しかしその泣き声を聞かれたくなくてこらえる人間もいるというのを最近知った。
ぴゅうっ、と空まで飛んでいき通れるくらいの大きさの扉を一本の指で描くと、私はドアノブを開き
声の持ち主の心の部屋に入り込んだ。
「…ねえ、どうして泣いているの?」
≪っ…だ、誰…!?私の頭の中に誰かがいる…!!≫
「まあまあ落ち着いて、私は君の味方だよ。」
≪貴方は誰…?幽霊?幽霊は人にとり憑くっていうし…≫
「うーん…、なんて言ったらいいのかな。私は名前なんてないし幽霊でもないし…」
≪…変なの。じゃあ「名無しさん」だね≫
えへへ、と少女の笑う声が聞こえてきた。名無しって確か、名前の無い人のことで「名無しのごんべえ」というものだったか。いや、あるじゃん…。どこぞの時代の名前が。まあそんなことはどうでもいいか、私の目的を話さなければいけない。
「ねえ、君の名前は何て言うの?」
≪私?私は歩。鬼人歩っていうんだよ。≫
「あゆむ、か…いい名前だね。ねえ歩、君はどうして泣いていたの?私の作っている世界に君の声が聞こえてね。気になって来てみたんだ」
≪……私ね、お母さんに嫌われてるの≫
「え?」
≪お母さんのお姉ちゃんが私のせいで死んじゃったから、お母さん、私のこと嫌いになっちゃったんだって…≫
「……」
その後も私は歩の話を聞き続けた。親が子に暴力を振るう行為―――、とても理解が出来なかった。
人間の言葉では、『暴力』『虐待』といってそれを受けている子は最悪の場合には死んでしまう可能性が出てくる。そんな危険な状況の中、彼女はずっと生きていたのだろうか。
彼女の話は続いていた。聞いている間、彼女の声はとても悲しみに満ちたものだったが心の中は【憎しみ】で今でも精神が壊れてしまいそうなほど、心の部屋は荒れていた。
そして私は彼女がどうしても気になったので、しばらく彼女の様子を見ることにした。そこで、わかったことがある。まず、歩は学校に行っていない。人間は義務教育というものを必ず受けなければいけないという決まりがあるらしいが、歩は幼稚園にも行っていなかった。だから、本も読めないし、字もかけない。なら教育は親が行うべきではないのだろうか、と様子を見ていたのだが、彼女に暴力をふるっているのは母親のため、教育ではなく暴力をふるうばかりだった。
なら、私が教えてあげても問題はないだろうか。最近、人間を知ったばかりの私なら。
彼女はまだ7歳だ。人がどう生きていくべきなのか、そろそろ知り始める時期だろう。私と同じだ。知りたてだが、字くらいは教えてやれる。
そして、私が歩という名の人間と知り合ってから、数ヵ月の月日が流れた。
歩の心はどんどん荒れていった。両親から育児放棄をされ始め、歩は飲まず食わずの生活が続いた。
「歩…」
≪……ねぇ、名無しさん。名無しさん、っておかしいよね。やっぱり名前あった方がいいよね?≫
その時、歩の様子がおかしいと感じた。いつも、感じていた両親への殺意とは別の何かを感じた。
「どうしたの、急に…」
≪……私の名前、名無しさんにあげようと思ったの≫
「あゆ…」
≪だってもう耐えられない!!こんなにお腹が空いているのに、与えられるのは暴力だけ…、こんな目にあうなら死んだほうがずっとマシだよ!!≫
その時、私は彼女が助かる唯一の方法を思い付いた。これなら、歩は誰にも邪魔されないし、殴る人もいない。
「じゃあ、歩と私の身体を交換しよう。」
≪え?そんなこと、できるの?≫
「できるよ。ただ、私から一つお願いがあるんだけど……」
私からのお願い。それは、「More daze 」の製作を進めて完成させることだった。それに歩は了承し、私達は身体を交換した。
私はこれから、「鬼人歩」になるんだ。
あの子が落ち着いて、元の世界で暮らせるようにいい顔をしておかなくちゃ。
私は、元々持っていた『主催者』の力であの子の家で火事を起こした。いたって簡単な事だった。
父親の吸い終わったタバコの残っていた火を操って、燃え移しただけ。まずはあの子の邪魔をする人間を
排除しなければならないとあの子の身体を交換してすぐ思った。
「きゃぁああああぁっ、火が、火が…!熱い、熱い…!!」
「あ、っぐ…あゆ、む、助け…」
「―――っふ…」
両親に火が移って苦しむ姿を見て、私はなぜか笑いが止まらなかった。だって本当におかしかったから。散々私に暴力をふるっておいて助けを求めるなんて、なんて無様!なんて醜い!こんな人たちがあの子を産んだ両親?おかしくておかしくてたまらない、こんなやつ死んで当然!!
「あはははははははははははははははは!!」
ああ、なんて気持ちがいいんだろう。これが人間が感じるという「快楽」、そして「勝利」というもの
なのだろうか。また一つ人間について知ることが出来た。
その時、後ろから消防員らしき人物が私を発見し、建物の外へと誘導してくれた。
簡単に両親は焼死した。この事件は、父親のタバコの消し忘れが原因として片付けられたが、誰も私が火事を起こして両親を殺しただなんて思わないだろう。それでも私はお父さんとお母さんを亡くしたかわいそうな少女を演じなければならない。
「お父さんとお母さんの名前はわかる?」
「わかんない…お父さんとお母さんは…?」
「今、君のお父さんとお母さんは消防士さんがきっと助けてくれるからな、待ってておくれよ。」
「……」
助からないで、と願っていた。だって、本当に殺したのは私だから。そして二人の遺体が発見され、近所の人々は私に同情の目で見るようになった。「可哀想に」「まだこんなに小さいのにね」などと言われたが、そんなことはどうでもよかった。私はあの子を泣かす悪魔を殺しただけだ。
二人の葬式が行われて食事をしているとき、嫌に親戚の悪口が聞こえた。
「鬼人さんって歩ちゃんに暴力してたんですって」
「可哀想に…、誰があの子を引き取るんだ?」
「いくら親戚だからってウチはやめてほしいわ~、二人の悪霊がついてきたら嫌だから!」
「まぁ、悪霊だなんて!」
あはははは!と親戚の笑う声が聞こえた。何だろうコレ、胸の中がギスギスする。これが「傷つく」ってことなのかな。あの子もずっと、こんな気持ちだったのかな…。
私はしばらくして、親戚の人に親の居ない子供達が住む「養護施設」というものに連れて行かれた。
「今日から皆のお友達になる、鬼人歩ちゃんです。皆、一応仲良くしてあげてね」
「……」
一応、という言葉を使うこの人は、きっと私をあの事件のせいでよく思っていないんだろう。
あの火事の事件は一日で放送されて終わったが、この地域では印象深く残っている。
この施設の中では親に捨てられた子がほとんどで、同じように虐待された子もいれば、身体が不自由な子
もちらほら見かけた。
だけど、私はあまり馴染めなかった。なぜ私が「可哀想な子供」扱いされなきゃならないのか不満だった。私はあの子がまたこの世界で幸せに暮らせるようにしたいだけだ。
私は養護施設でも孤立していた。先生や子供からも厄介者扱いされるようになった。
そして養護施設に入ってしばらく時間が経ったころ、施設に一本の電話が入った。私を引き取りたいという人たちが現れたらしい。その人は「白川さん」といって電話があった午後、ここへやって来た。
「初めまして、鬼人歩ちゃん」
「………」
「ふふ、緊張してるのかな?いいんだよ、これから慣れていけば大丈夫だからね。」
「……はい」
「じゃあお家に行こうか、私ね一人、歩ちゃんと同じくらいの息子がいるんだけどよかったら仲良くしてもらえると嬉しいな。」
「……」
息子。つまり、人間の私と同じくらいの男の子。人間の男の子には会った事がなかった。
親子というものだから、白川さんに似ているのだろうか。車の窓から見える景色を眺めながらその息子さんがどういう人なのか、私は少し興味を抱いていた。
しばらくして私を乗せた白川さんの車は、ある一軒家に辿り着いた。数個の窓にベランダに干された洗濯物。庭に転がっている小さな白と黒の球体。青い棒。これは一体なんだろう…?
「もう、波也ったら。またサッカーボールと野球のバットを散らかして。この間、片付けてって言ったのに…、あ、ごめんね。ここが今日から歩ちゃんの家よ。自分の家だと思って構わないからね」
「は、はい…、ありがとうございます…」
「ふふっ、いい返事だね。じゃあ波也呼んでこようか、ただいま~!波也~!ちょっと来てー!」
家の扉を開けて、白川さんは元気よくただいまをいい、さっき話していた息子さんの名前を呼んだ。
向こう側の部屋からドタドタと走ってくる音が聞こえた。現れたのは少し髪の長い男の子だった。
「母さんお帰り…って誰そいつ?」
「こらっ、そんな事言っちゃ駄目でしょ!?優しくしてあげなさい!」
「いでっ、ごめん…」
「おっ、来た来た歩ちゃんだね?」
「歩?こいつの名前?」
「そうだ、今日からお前の家族になるんだよ。鬼人歩ちゃん。優しくしてやれよ、波也」
「………わかった…。えーっと歩っつったっけ?ん。」
「え?」
彼がいきなり自ら手を差し出してきた。
「握手だ、握手!知らないのか?」
「!…あ、握手ぐらい知ってる…」
何だか馬鹿にされたような気分なってしまい、私は波也という男の子に反発した。握手なら知っている。人が行う挨拶のようなものだ。手をぐっと握ってそれを上下に振る。人間が何故そんなことをするのかわからないが、握ってみたいという気持ちは確かにあった。それが今、出来る。私は、彼の差し出した手に自分の手を差し出してぎゅっと握ってみた。すると波也も私の手を強く握った。
………あたたかい。
「よろしくな、歩」
そういって波也は、私に向かってニッと笑った。
それから波也と暮らすようになった私は最初はなかなか慣れなかったが、前に過ごしていた養護施設よりも、居心地がよくてすぐに馴染めた。波也は「ゲーム」というものが好きだった。テレビというものを使ってコントローラーという機械で操って遊ぶもの。一体造り方とかどうなっているのかわからなかったが、ゲームをしている波也はとても楽しそうにしていた。中でも好きなのがアドベンチャーゲームらしい。そのゲームをやっているばかりか、波也は常に平日は睡眠不足で学校の成績も最悪だった。
そんな彼と過ごす日々はとても楽しいものだった。時間を忘れてしまうほど楽しくて、気が付けば目的である、あの子の為にいい環境を作るということを忘れ、あの子存在自体も忘れかけてしまっていた。
そして―――…
私は再び、あの子を思い出すこととなった。
どうやらあの子は本当に「More daze」を完成させたようだ。しかし、私の思っていたものとは全く違ったゲームになってしまっていた。こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃ―――――…
(…そうだ、私は本当はあの子のために…)
私はあの子を安心させるためだけにこの現実世界にやってきたんだ。だから、いずれ消える存在なのだ。波也や、燐くんや、九川先生の前から。わかっていたことなのにどうして今まで忘れていたんだろう。私も望んでいたというのだろうか?目の前にあるような、温かくてかけがえのない幸せを。
そして私もゲームにあの子から招待させられ、私も参加者としてあの子の元へ行くこととなった。
その時、
≪ちゃんと生かして連れて来てね?≫
「っっ―――!!」
一瞬聞こえた、あの子の声。そうか、このゲームでは私は『裏切り者』なんだよね。あの子が居る場所に辿り着いたとき、私はあの子の味方をしなくちゃいけない。波也たちを裏切らないといけないんだ。
でもせめてその時までは。
――――そばに居させてね、波也。