第二十五話 囚われ
その言葉を聞いた途端、身体の底から吐き気がこみ上げてきた。それをすでに予想していたのだろう、ハイエルは近くにあった紙袋を差し出し、私の背中をさすってくれた。
アリスさんを作る―――それはつまり、〝人間で〟人形のアリスさんを作るということだったんだ。
そう考えれば、あの部屋のむせ返るような消臭剤の匂いと薄暗さも納得がいく。もう既にアリスさんを作るための材料である女の子たちが犠牲になっているのだ。それにハイエルは強制的に協力させられているということだろう。
お義父さんは囚われていたのだ。アリスさんがいないという虚無感、それによる底のない孤独に。それを補うために、アリスさんを作ろうと考えた。
「……どうして?そんなことしたってアリスさんは戻ってこないのに…」
「俺も父さんに何度も言ったけど聞いちゃくれなかったよ。もう、アリスを作ることしか見えていないのさ、あの男は」
「………間違ってる、そんなの…っ、絶対駄目だよ…」
自分だってそうだ。両親を亡くして、急に一人になってとても悲しくて寂しかった。願うことなら、もう一度二人に会いたい。けれど自分の願いの為に関係のない人を犠牲にするなんて耐えられない。
「間違ってる―――そうだな、あの男がしていることは犯罪だ。今まで隠していて悪かった、この事は隠さずに裁かれるべきだと俺は思っているよ。だから、全てが壊れる前にお前だけでも助けたかった」
「だから、私に冷たい態度をとっていたのね」
きっと彼はこれ以上の犠牲を出したくなかったのだろう。我慢の限界に達していたところで次のターゲットである私が来た――――それで決心したのだろう、父親と今度こそちゃんと話すべきなのだと。
「でも、裁かれるべきだって言っても自首をつもりなんでしょう?警察に行くのよね」
「話をして父さんがそれをまず認めるかどうかだ。 まぁ、暴れるとは思うけどな。デイモ、本来なら計画がうまくいっていればお前は俺に殺されていることになる。父さんと話をしているときにお前は出てこなくていいから隠れていてくれないか?」
「それ、本気で言ってるの?」
デイモは何ともいえない気持ちになった。自分を助けてくれた兄が危険を犯してまで自分を助けてくれたのに今度は彼が自らを犠牲にしようとしている。そんな事をデイモは許せなかった。彼の父親はアリスさんしか見えていないのだ。こんな苦しい思いをしながら無理矢理協力させられている息子の気持ちなんてきっと考えたことなんて無いのだろう。それをどうすることも出来ずに見て見ぬふりしているカッツェル姉さんや義母さんも同罪。何が家族だ!何が幸せだ!!最初ッからここには幸せなんてなかった、ただ狂って幸せを求める狂人たちの住処じゃないか!!!!
「……事故で亡くした本当のお父さんやお母さんも、かすかだけど小さな息はしてたのを私は知ってる。テロから私を庇ってくれたもの。……救助隊員は外傷だけで二人を死んだと判断して私だけを助けた。――――酷い話でしょう?私はそんな奴らみたいな、軽い気持ちで人を見捨てる人間にはなりたくないの!」
「…!」
「お願い、兄さん。……ハイエル兄さん、一人で戦おうとしないでよ。私を助けたいって思うなら、一緒に戦わせて!このままじゃ駄目なのよ!!」
ハイエル兄さんは、そう叫んだ私を見ると「ははっ」と少しはにかんだ。
「オマエ、すげぇ格好よくてクールだよ。まるで今から戦場に赴くジャンヌ・ダルクみたいだ。…そうだな、一緒に戦おう。初めて俺のことを『兄さん』って呼んでくれた妹のためにも、な」
「! …うん、私も一緒に!」
薄暗い、ハイエル兄さんの自室。場所はそんなにロマンチックじゃなかったけれど、これはまるで本当に『本当の兄妹みたい』って言えるのかな。わからないけど今、ハイエル兄さんと初めて家族になれたような気がした。
*
「………今、なんて言ったんだハイエル」
「何度言ってもわからないか?もう、こんな馬鹿みたいなことはやめようって言ってるんだよ親父」
皆で集まって、楽しい話をしながら過ごしていたリビング。そこで初めて、冷たい空気が辺りを包んでいた。ここで家族全員そろっている中で、ハイエルが話を切り出した。
「……一体、何のことだかわからないな。それに今は食事中だろう?嫌な気持ちで食べたくないだろう」
「―――――アリス」
「「 !!!! 」」
私はリビングの入り口付近の壁から姿を現し、彼ら三人に敵意を向けてその言葉を放った。こいつらはもう家族なんかじゃない、家族という名の「ばけのかわ」を被った怪物だ。
「お、お前…!なんで生きて…!!あの時、作業部屋に閉じ込めたはずじゃ…っ」
「ええ、確かに閉じ込められたよ。でも―――ハイエル兄さんが助けてくれたから」
すると、突然―――お義父さんはまるで人が変わったかのように、食卓の上にあるものすべて床に撒き散らし、ハイエルに向かって怒鳴り声をあげた。
「ハイエル、貴様あ!!実の父親の言うことを無視するとは何様のつもりなんだ!!?こいつは、今日の昼に殺しておけと昨夜、命令したはずだ!!!」
皿の割れる音と怒鳴り声に、お義母さんとカッツェル姉さんが怯える。
「もうウンザリなんだよ、この悪趣味野郎が」
「悪趣味だと!!?裏切るつもりか!?そんなにアリスに戻ってほしくはないのか、貴様の血の分けた大事な妹なんだぞ」
「裏切るも何も最初から協力なんざするつもりなんてねぇよ!逆らったらテメェに殺されそうだから、自己防衛のためにやっていただけだ――――この時のためにな。 今まではチャンスがなかった、引き取られた子供達は皆お前のやることに怯えて立ち向かう勇気が持てなかったんだ。…でも、デイモは違う」
「………デイモ……」
カッツェル姉さんが私を呼ぶ。
「………二人とも、この事知ってたんでしょう」
「それは…」
「信じてたのに!!幸せになれると思ったのに、嘘をついていたのね?カッツェル姉さん――――ううん、もうあんたなんか姉さんなんかじゃない!私の家族はもう『ハイエル兄さん』ただ一人よ」
かつてカッツェル姉さんと話していたあの日のことを思い出す。あの時、カッツェル姉さんは私がいずれ殺されてアリスさんの人形にされることを知っていた。
いったいどんな気持ちで話していたのだろう。
いったいどんな思いで『姉さん』ぶっていたのだろう。
………想像したくない。そう思うと自然に涙が出た。
「……ハイエル、そうか…、そういう事か!!お前―――デイモに話したんだな!?あれだけ言っておいたのに、この役立たずの能無しが!!―――俺の『アリス』を返せ、じゃなければ殺してやる!!」
「―――!」
お義父さんが懐から拳銃を取り出し、銃口をハイエルに向けた。形から見るに、あれは『本物』だとわかる。テロの現場に立ち会って、それと似たような物を持っているテロリストたちの姿と現場の景色が頭に浮かび始めた。そして、たくさんの銃の玉に撃たれ、苦痛に歪む両親の顔と血しぶきがフラッシュバックした。
「…駄目…っ」
(足が、すくんで動けない…!)
私はまた失うのか。たった一人の家族となろうとしてくれた彼を…。
「死ね、ハイエル!!」
お義父さんが、激烈を起こし引き金を引いた。
「駄目えええええええええええ!!!!」