第二十四話 歪み
私は食事の時間が嫌いだった。料理がまずいとかそういうことではないのだが、自分の向かい側に座る義理の兄であるハイエルが、何が気に喰わないのか一言も喋らないのだ。私に目をあわせようとしないし、あったとしても睨まれてしまうし、食事が終わるとさっさと自分の部屋に戻ってしまう。
普段の日常生活ではあまり会わないし、むしろカッツェル姉さんと過ごすことが多いからハイエルのことはあまり好きではなかった。
私が新しく住むことになったアシュネット家は、日本に引っ越す準備でまわりがダンボールだらけになっていた。新しく来たばかりの家がもうサヨナラだなんてちょっと悲しいけれど、前々から日本の文化には興味があったからわくわくしている。
自分もお義母さんから、「デイモちゃんも荷物をまとめて置いてね」と言われていたのだが、私物が少なかったせいかたった数十分で引越しの準備は終わってしまった。そもそも、家具は誰かに譲り渡してしまったし、私がこのアシュネット家に一人で私物すべて持っていくのは限界だったのだ。
「引っ越すのは、一週間後…。こんな素敵な部屋なのに一週間だけしか過ごせないなんて、なんだかもったいないな」
せめてこの家の中の景色だけはこの目に焼き付けておこう―――そう思い立った私は、アシュネット家を探検してみることにした。
*****
「あれ…?」
西側の廊下を歩いていると、奥から3番目の部屋の扉が少しだけ開いているのを見つけた。あそこは確か、お義父さんの趣味で集めているものが置いてある部屋だったような。いつもこの時間帯ではしっかりと鍵が掛かっていて誰も入れないはずだ。
(昨日、閉め忘れちゃったのかな?)
ゆっくりと部屋の中を覗き込む。窓は雨戸とカーテンで完全に閉め切っていて、昼間だというのに一瞬で夜になってしまったように真っ暗闇だった。よく見ると何かしら嗅いだ事の無いような異臭と、消臭剤の匂いがびっしりと部屋にしみこんでいる。何だろう、ここ…?物置だろうか、それにしたって気味が悪い。電気のスイッチは何処だろうか―――手探りで部屋の中を歩き回っていると、
――――バタンッッ!!!!
「………!!?」
突然、部屋の扉が閉まる。何事かと後ろを振り向いた瞬間、ガチャリと鍵を掛けられた。
「嘘っ、嫌…!誰かっ、誰かーっ!!」
大声で叫んで扉をドンドン叩いても、鍵をかけた人物であろうその足音はどんどん遠ざかっていく。聞こえていないのだろうか、それとも無視をしているのだろうか。とにかく誰でもいいから私がここに閉じ込められているということを気づかせなくてはいけない。そうしないと、ここで飢え死にしてしまう…!!
最初はドアに体当たりして大きな音を出し、アシュネット家の誰かに気づいてもらおうとも考えたが今日は平日でカッツェル姉さんは講義があるといって外出していたし、お義母さんもお義父さんも仕事に出かけてしまっていた。そして、そこである確信に至る。
―――恐らく、今さっき私を閉じ込めたのはアシュネット家の誰かだ。しかし、カッツェル姉さんとお義母さんはこの家には居ない。つまり、私を閉じ込めたのは……。
「ハイエル、なの…?」
……あり得る。
ハイエルは『よそ者』でやってきた私を気に入っていなかったし、普段の生活でも私に対して冷たいし、食事の時だっていつもピリピリした空気になってしまう。きっとこんな意地悪をして、私をこの家から追い出そうとしているんだ。でも、いくら意地悪とはいえ、見知らぬ部屋に閉じ込めてそのままにするだなんて酷すぎる。 …なんで?私がハイエルに何したって言うんだろう…?
閉じ込められてから4時間が経過しただろうか、いつの間にかその場所で居眠りしてしまっていたようだ。ここまで扉が開く様子は無かった。一体、いつになったらこの部屋から出られるんだろう、と一息ため息を付くとコンコン、と何か叩くような音がした。気のせいかと思ったが、またコンコン、コンコンと叩く音が聞こえる。
(向こうの壁からだわ)
私は音の発生源の場所へ向かうと、何となくその音にコンコンと壁を叩き、返してみた。すると、その壁一帯に穴が開いた。開いたというより、その穴が開いたといった方が正しいかもしれない。
「なっ…!?」
その穴の法から顔を出したのは意外な人物――――ハイエル・アシュネットだった。
「早く、こっちに来い!」
「えっ、え…!?どうして、あなたが…!」
ハイエルは私の質問に答えず、軽く舌打ちを打ち「早くしろって言ってんだろ!あいつの人形になりたいのかよ!」と怒鳴り、私の腕をぐいっと無理やり引っ張った。その穴の先は、ハイエルの部屋へと通じていた。普段鍵が掛かっているくせに、換気はしっかりされていて先ほどの物置のような場所からする異臭と消臭剤の匂いもしなかった。
「………大丈夫か」
「どう……して…っ、貴女が私を閉じ込めたんじゃないの!? 私が嫌いだからって――――」
「誤解だ。俺は、あいつに命令されてお前を閉じ込めただけだ。だが、殺すつもりは無い。今頃あいつは俺が上手くやったと思い込んでご機嫌だろうな」
「………どういうこと?」
ハイエルは優しく私の腕を放すと、服についた埃をはらってくれた。
「――――話せば長くなるが、要約すればお前ここにいるとあいつに殺されるぞ」
「あいつ…?」
「……父さん」
「……!!」
ハイエルの言葉に息を飲んだ。彼の言った「父さん」は間違いなく私を引き取ってくれたお義父のことだろう。しかし、何故私がお義父さんに殺されなければならないのだろうか?私は此処に来て間もない。その間に彼の殺気を立たせるような行為をした覚えは無いはずだ…。
「私、お義父さんに気に障るようなこと…」
「いや、デイモは悪くない。 ―――前から、そうなんだ。俺たちの本当の妹が死んでから」
「妹…?もう一人、家族が居たの?」
「ああ。アリス・アシュネットさ。正直言って母さんと父さんには似ていないが、正真正銘母さんが生んだ俺たちの本当の妹だったんだ、不治の病で死ぬまでな」
それからハイエルは話してくれた。アリスさんは余命宣言されていたこと、その時のお義父さんのアリスさんに対する愛情が深くなっていたこと、アリスさんが亡くなってから様子がおかしくなってしまったこと。
「父さんはアリスを求めた。もう戻ってこないはずなのに現実逃避ばかりするようになってしまったんだ。いつしか父さんは恐ろしいことを考えるようになってこう呟くようになった。
『アリスはどうやったら作れるんだ』―――ってな」