第二十話 殺したくない
私は、彼に会うためにあの教室へと向かっていた。あの時と同じ学年、同じ組の教室へ。元・主催者である歩さんの仲間、九川先生のことも気がかりだが、私は一刻も早く燐のところへ行きたかった。
あと少しで目的地というところで、思いもしない人物と遭遇した。教室の前に誰か立っているのを発見した。
「待っていたぞ、デイモ」
「………リーダー」
長い赤髪のポニーテール―――鬼のリーダーである、赤鬼・烈斗がいた。私がここに来ることを知って、先回りしていたのだろうか。
「情けないな、お前。いくら知り合いでも敵は敵だろう?なぜ危害を加えない」
「そ…、それは…」
烈斗は私の胸倉を掴み、顔を近づけてきた。
「ふざけるなよ。お前、俺たちを裏切ったらどうなるかわかっているんだろうな」
「………わかってる…。リーダー達を裏切ることは、主催者さまを裏切ったのと同じ……」
「そうだ。てめぇ、ハヤテを罰したんだからわかってんだろ」
烈斗の瞳が私を射抜く。その目は光がなく、ただ真っ暗な闇だけが広がっていている。一瞬でも逸らしたら、飲まれてしまうような―――そんな瞳だった。
男勝りで攻撃的。リーダーとしての努力はその鍛えられた身体が証明されている。今までの参加者誰もが、リーダーを男性だと勘違いしたようだが、リーダーが本当は女性だと知っているのは恐らく私たちだけだろう。
「まさかとは思うが、ハヤテに便乗してお前も裏切るなどアホみたいな真似はするなよ!真っ先に殺してやる…、それが嫌なら参加者を殺すんだな!!」
大声で怒鳴り、烈斗は最後まで私を睨みつけたまま、彼女は消えた。
「アホみたいな真似―――か…。そもそも、この私達がこの世界にやってこようとした事自体が、アホな真似なのに…」
私は鬼役の中で、一番下っ端。この世界にやってきた時は、何が起こっているのか訳がわからず、夢なんじゃないかと思っていた。ぶかぶかの洋服に大きな探偵の帽子で、顔を隠した子供に「今日から君は、あゆむの世界を一緒に作るためのお手伝いをする人なんだよ~」と言われ、武器と装備を手渡された。
そして『Staff room』を訪れ、他の色の鬼たちと出会って、自分の役目と約束を聞かされた。役目はこの世界にやってきた人間たちを殺すこと、そして約束はゲームの主催者には必ず従い、裏切らないこと。簡単なことだった。
でも―――…
ずっと何も感情を抱かず参加者を殺してきたのに、私は命の恩人である白川さんと、燐に再会してしまった。そこで歯車が狂い始めてしまったのかもしれない…。
―――いや…、ずっと前から狂い始めてる。元・主催者であるあの人と主催者さまの中身が入れ替わっている時点で。
「うう……、ん…」
「! …燐!?」
燐が意識を取り戻したのだろうか。急いで教室の扉を開けると、彼は教室の真ん中の席の前で倒れていた。私は彼を助け起こす。頭を支え、肩を叩きながら声を掛けた。
「燐!しっかりして、大丈夫なの!?」
「あ、れ……?」
「燐…!」
「俺、なんでこんな所で寝てたんだ…?」
「覚えていないの?君は、ハヤテの『仕掛け』に引っかかっていたんだよ!私が助けていなかったら君は…」
「―――そっか、そうだ…。デイモが助けてくれたんだよな、ありがとう」
ふわっ…、と頬に優しい感触。燐が私の頬に手を添えた。それと同時に、なぜか視界が歪んで彼の顔がよく見えない。一体、どうしたというのだろう。こんな…、こんなに彼が無事に生きていることが、嬉しいなんて……。私は君の敵なのに、殺さなくちゃいけないのに、どうして……。
「なんで泣いてるの、デイモ」
「わ、か…、っ…わかん、ない…。なんで…?わかんな…っ、教えて…、教えてよ、ううっ…、ぅ…」
誰か教えてほしい。私は、私はどうしたらいいの。
私は鬼で、彼はこのゲームの参加者で、私は彼を殺さないといけない。けれど、そんなこと出来るわけがない。殺せない。殺したくない。燐が死ぬなんて、嫌だよ。絶対に嫌だよ。
「やだよ、燐…。私、殺したくない…」
「…!」
「殺さないと、いけないのに…、どうして、皆…っ」
ボロボロと涙を零し、泣く私を見た燐は何を思ったのか、起き上がり私の腕の中から離れた。そして、突進のような勢いで、私に抱きついてきた。
「―――っ…り、」
「…んなこと、言うなよ。むしろ殺されるべき人間だよ、俺は」
「なんでっ…、私は殺したくなんか…」
「お前をあんな目に遭わせて、それから勝手に居なくなった…。それで、殺される理由にはなるだろ」
やっぱり、まだ気にしていたんだ…。あの時の事故のことを。確かに、病院に運ばれた私はショックで目の前のもの全てが怖くて、目を覚ましたとき、燐のことを拒絶してしまったけれど。
「もういい。もう…、いいよ。こうして会えたから、もういい、もういいよ…っ」
私は優しく抱きしめてくれている燐に身を委ね、彼の背中にそっと手を添えた。
大きくて暖かい…、彼の腕の中。
「―――会いたかった、燐…、ずっとずっと、会いたかったよ…っ!」
「…俺も、だよ。デイモ、すっげー、会いたかった…」
燐が、さっきより強く抱きしめる。私の細い身体が、折れそうなほど強く強く抱きしめた。そしてお互い、目が合ってしまった。燐の顔が近い。あの空間に居たときはよく見ていなかったが、以前よりも大人っぽくなっている……気がする。マスクのせいでちょっとわかりづらい。
「これ…、あの時負った傷、隠してるの?」
「っ!やめろ、見るな…。外さないで…」
「やだ、見せて。君の顔が見たい」
するっとマスクの位置を下にずらす。すると、あの時の傷跡が見えた。あの時、私のせいで燐が負った傷。斜め左右に切られた頬を、優しく撫でた。
「…もう、痛くないの」
「ああ。手当てしたあと、ちょっとだけヒリヒリしていたけど、今は何とも…」
「…そっか」
私はあの時、『もう一人の燐』の顔を見た。最初は彼が相手に暴言を吐かれて堪忍袋の尾が切れたのかと思っていたが、それも含めて彼が二重人格者だということに後から気付いた。
別名――解離性同一性障害…。もう一人の彼が現れた原因は恐らく、中学の時のあの勉強システムにストレスを感じてしまったからだろう。グループ班で勉強し、受験勉強をして志望校を目指す目的で始まったものだが、実際にやっている私たちにとってそれは、自分自身の『地位』さえも影響を及ぼした。
もう一人の彼は支配されることを嫌い、いつだって怒りに身を任せている。普段の燐とは違って、手加減というものを知らず、相手を倒すことによって快感を得ているのだ。
あの時の燐は怖かったけど、本当は、本当は私を守るために戦ってくれたんだ。
「…ずっと聞きたかったんだ。あの日――どうして君は勝手に居なくなってしまったのか」
「っ!」
私が入院して、意識を取り戻したとき。しばらく燐は私の病室に来てくれていたのだが、ある日置手紙を残して居なくなってしまったのだ。私が検査で出かけている隙に、手紙を残して。それから彼は病室に来なくなってしまった。
まだ幼かった私にとってはとても辛くて、胸が張り裂けそうになった。もしかして嫌われてしまったんじゃないかって考えて考えて…。退院した後も、燐と会う事は叶わなかった。戻ってすぐに引っ越してしまったからだ。
「実をいうとすごく、寂しかったんだ。警察の人が来ても、事件が片付いたら来なくなるし、両親は仕事であんまり来れない。毎日来てくれたのは、君だけだったんだよ?」
「…ごめん、そのご両親に『会わないでくれ』って言われたんだ。当然だよな、不良と関わっていた男と一緒にいるなんて不安になるに決まってる。全部、俺のせいだよ」
「……またそうやって全部、自分のせいにする」
きっと彼は責任感の強い人なのだろう。制服の袖につけられた『生徒会』の印がその証拠だ。私は両手を彼の大きくて広い背中に添えて、片手で優しくぽんぽん叩いた。
「君は間違ってなんか無い。言ったでしょ?私がいるから大丈夫だって」
「…デイモ」
「―――ね?きっと君はこのゲームでもやっていけるよ。敵の私が言えることではないけれど」
「そんな…、こと…」
私は敵で、燐たちを殺さないといけない。それは変えることのできない事実だけれど、彼ならきっと生き延びれる気がする。
「……もう行かなきゃ」
私はするっと、燐の腕から名残惜しそうに離れた。ああ、もうちょっとその中に居たかったけれど、これ以上一緒に居てしまったら燐にも危険が及んでしまう。
「行くの?」
「…うん。本当はこういう時、君を武器で襲って殺さないといけないんだ。今の僕は少しだけルール違反している…、これ以上長く君と居たら、私だけじゃない―――君だってどうなるかわからないからね」
私は懐から一本の鍵を取り出した。これはもしかしたら、このゲームの中のイベントの一種でシナリオどおりの状況なのかもしれない。…それでもいい。私は彼とまた会うことが出来た―――それだけで十分だ。その一本の鍵を燐の手に握らせる。
「はい、緑鬼を倒したボーナスアイテムだよ」
「鍵か…。一体、どこのだろう」
「それを調べるんだよ。私からヒントなんて言えるわけが無いでしょう? ―――さあ、早く行って。私は君を殺したくないんだよ」
ジャキッと乾いたような音。両手で銃を構えたが、手が震えて今にでも床に落としそうだった。
「わかった。じゃあ、最後に一つだけいい?」
「? …何」
すると燐はふう、と軽く深呼吸し間を置いた。そして覚悟を決めたのか口を開いた。
「―――――――――・・・」
「! ……り、ん…」
「返事はいらない。ただ、ずっと言いたかった。伝えることが出来てよかったよ、
ありがとう」
そういって燐は教室から出て行ってしまった。
「…やめてよ…」
『じゃあ、最後に一つだけいい?
―――――――ずっと前から君の事が好きだった』
カシャン、と両手から拳銃が落ちた。もう手はガタガタと震えが止まらなくて病気なんじゃないかって疑われるくらい。そこにまた、大粒の涙がポタポタと零れた。
「ほんとに、殺せなくなるじゃないか…」