第8話 史上最強に目立つ、秘密のデート
週末、家族連れやカップルで賑わう巨大テーマパーク『ドリーム・ランド』。
その喧騒の中に、異質なオーラを放つ二人の女性がいた。
一人は、腰まで届く鮮やかな金髪のウィッグに、顔の半分を覆うような大きなサングラスをかけた美女。
もう一人は、深いキャスケット帽をまぶかに被り、ピンク色の大きなマスクで顔を隠した小柄な少女。
「……梨乃。落ち着いて、自然に振る舞うのよ。私たちの変装は完璧だわ」
サングラスの奥で、桐島美玖は鋭い視線を周囲に走らせた。
今日の彼女のコンセプトは『休暇で来日した北欧のセレブモデル』だ。自慢の黒髪を隠し、服装も普段の清楚なものから一変、タイトなレザージャケットに身を包んでいる。
「そうだね、美玖先輩! ううん、今は『ミカ様』だね♡ 私も『リンちゃん』として、全力で一般人を演じちゃうよっ!」
梨乃が美玖の腕にぎゅっと抱きつく。
美玖は一瞬、心臓が跳ね上がるのを感じたが、即座にクールな仮面を貼り直した。
「ええ。これだけ容姿を変えれば、誰一人として私たちがアイドル『みくりの』だとは気づかないはず。……ふふ、これがプロの隠密工作というものよ」
美玖は内心で勝利を確信していた。
トップアイドルが白昼堂々、遊園地でデートをする。普通ならスキャンダル不可避の暴挙だが、この『完璧な変装』さえあれば、世界中の誰の目も欺ける――。
だが、現実は違った。
***
二人の周囲、半径五メートル。
そこには、奇妙な『空白地帯』が出来上がっていた。
「(……おい、あれ。左から二番目のベンチの二人。……確定だ。確定演出だぞ)」
ポップコーンを買う列に並んでいた一人の青年が、震える手で隣の友人の袖を引いた。
「(ああ、分かってる。あの金髪の歩き方、完全に美玖様の『氷のランウェイ』そのものだろ。変装が雑すぎる……。サングラスがデカすぎて逆に目立ってるし)」
「(シーッ! 大きな声を出すな! いいか、俺たちのミッションは『気づかないフリ』だ! 二人の尊いプライベートを死守するぞ!)」
彼らだけではない。
二人が歩く先々で、ファンたちは阿吽の呼吸で連絡を取り合っていた。
『【緊急】みくりの、ランドに出没。現在アドベンチャーエリア』
『了解。周辺の観測者は、半径五メートル以内に一般人を近づけるな。不自然じゃない程度に「壁」を作れ』
『美玖様、金髪ウィッグでセレブ気取ってるけど、梨乃ちゃんへの視線がガチすぎて隠せてないです。尊い』
『絶対に見るな、目を合わせるな。二人に「バレてない」という幸福な錯覚をプレゼントするんだ!』
それは、ファンたちが長年の修練によって身につけた、究極の護衛術。
美玖と梨乃が「私たちは完璧に一般人に溶け込んでいる」と満足感に浸れるよう、周囲のファンが自発的にエキストラを演じ、二人の聖域を守っているのだ。
彼らの志は熱く、心を満たす糖度は限界突破している。
美玖は、そんな周囲の涙ぐましい努力に気づくはずもなかった。
「……見て、梨乃。あのアトラクション、待ち時間がたったの十分よ。やっぱり変装が完璧だから、誰も私たちに近寄ろうとしないのね。私のオーラが、上手く一般人に擬態できている証拠だわ」
「本当だね! みんな私たちのこと、ただの『ちょっと派手な外国人のお姉さんとその妹』だと思ってるんだよ、きっと♡」
梨乃は美玖の手を握り、指を絡ませた。
オープンな場所での恋人繋ぎ。
美玖は顔を赤らめつつも、「誰も見ていない」という誤解のおかげで、大胆にその手を握り返した。
その瞬間、周囲のファン数名が「グハッ……!」「尊死する……!」と心の中で絶叫し、血涙を流しながら視線を逸らした。
***
夕暮れ時。
二人は遊園地の象徴である、巨大な観覧車に乗り込んだ。
ゴンドラがゆっくりと地上を離れ、密室となる。
「……ふぅ。やっと二人きりね」
美玖はサングラスを外し、ウィッグを少し整えた。
窓の外には、オレンジ色に染まるパークの絶景が広がっている。
「美玖先輩、お疲れ様! 今日のデート、大成功だったねっ!」
「ええ。……正直、最初は怖かったけれど。作戦通り、最後まで誰にもバレずに済んだわ。これも、日頃からプロとして『営業』を完璧にこなしている賜物ね」
美玖は窓に映る自分の顔を見つめ、陶酔したように呟いた。
その様子を、梨乃は少しだけ複雑な笑みを浮かべて見ていた。
「……みく姉」
「え? 何かしら?」
「ううん、なんでもない! ……ねえ、美玖。せっかく二人きりなんだから……変装、もっと解いちゃお?」
梨乃がマスクを外す。
そこには、ステージの上よりもずっと柔らかくて、熱っぽい『恋する少女』の顔があった。
「……梨乃。……でも、外から見えるかもしれないわよ?」
「大丈夫だよ。この高さなら、誰も見てない。……それに、もし見られてたとしても――『営業』だって言い張ればいいんでしょ?」
梨乃が美玖の首に腕を回し、顔を近づける。
観覧車が頂上に達した瞬間、二人の唇が重なった。
地上では。
望遠レンズ並みの視力(と執念)を持つ数人のファンが、頂上で停止したゴンドラを見上げていた。
「(……止まったな)」
「(ああ……。伝説の『頂上の十秒間』だ。……みんな、目を閉じろ。ここから先は、神域だ)」
ファンたちは一斉に背を向け、沈黙の祈りを捧げた。
そこには、アイドルのスキャンダルを暴こうとする下卑た好奇心など微塵もない。
あるのはただ、推しの幸せを願う、敬虔な信徒のような純粋さだけだった。
***
夜。事務所の送迎車が待つ駐車場。
「お疲れ様でしたー!」
変装を解かぬまま車に乗り込んだ二人は、待機していたマネージャーの佐々木恵に、意気揚々と報告した。
「恵さん! 聞いてちょうだい。今日の私たちの隠密作戦、完璧だったわ。指名手配犯でもここまで隠し通せないレベルで、一般人に紛れ込めたわ」
「そうだよ、恵さん! 誰にも声をかけられなかったし、写真も撮られなかったよ。私たちの変装スキル、もう特級クラスだね!」
二人の輝かしい笑顔を、佐々木は死んだような魚の目で見返した。
彼女の手元のスマホには、先ほどから通知が鳴り止まない。
それは、各地のファンコミュニティのリーダーたちから届く『本日の護衛完了報告書』だった。
『佐々木マネージャー、お疲れ様です。本日も「みくりの」の聖域防衛に成功しました。一般人からの接触ゼロ、撮影試行ゼロです』
『美玖様の金髪ウィッグ、不自然すぎて逆に十メートル先から特定可能でしたが、全観測者が連携して「見えないフリ」を徹底しました』
『観覧車内での接触(推定)も、全員で背を向けて守り抜きました。彼女たちの「バレてない」というプライドは守られました。ご安心ください』
佐々木は深いため息をつき、胃薬を二錠、一気に噛み砕いた。
「……そう。よかったわね。……あなたたちが『完璧に隠せている』と確信しているなら、私は何も言わないわ」
「ええ! これで自信がついたわ。次のオフは、原宿の竹下通りに挑戦してみましょうか」
「……死ぬ気?」
佐々木の突っ込みは、幸せの絶頂にいる美玖の耳には届かなかった。
「梨乃、次はどんな変装にしようかしら。……次は私が『梨乃のボディーガードの男性』に変装するというのはどう?」
「あはは! みく姉、それ絶対目立つよ! でもいいかも、私、守られるの好きだし♡」
車内の甘ったるい空気は、エアコンの脱臭機能を完全に無効化していた。
佐々木は、明日から始まる「ファンへの感謝状(という名の火消し業務)」の膨大な量を想像し、遠くの街灯を見つめた。
「(……この世界が、彼女たちに優しすぎるのか。それとも、ファンが変態的なまでに訓練されすぎているのか……。どっちにしろ、本人たちが『隠せている』と信じてる間は、この茶番に付き合うしかないのね……)」
今日もトップアイドル二人は、世界中の愛ある「共犯者」たちに支えられながら、史上最強に目立つ「秘密のデート」を、完璧(だと思い込んだまま)に完遂した。
二人が繋いだ手は、車が事務所に着くまで、一度も離されることはなかった。
次回、氷の姫の誕生日回。明日18:30。




