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第7話 隠蔽不可能!? ウェディング撮影


 その日の事務所の会議室には、異様な緊張感……というよりは、爆発寸前の「期待」が充満していた。

 マネージャーの佐々木恵が、テーブルの上に一冊の企画書を置く。その表紙には、国内最大手のブライダル誌『マリアージュ・ノエル』のロゴが躍っていた。


「二人とも、この雑誌は知ってるわね。特別号の表紙、および巻頭グラビアのオファーが来たわ。テーマは『究極のパートナー・ウェディング』。……要するに、二人でウェディングドレスを着て、結婚式風の撮影をするのよ」


 静寂が流れた。

 桐島美玖は、ティーカップを持つ手を空中で止めたまま、その二つ名「氷の姫」を彷彿させる、氷の彫像のように凝固した。

 早乙女梨乃は、一瞬だけ瞳を限界まで見開いた後、即座に「天使」の微笑みをその顔に貼り付けた。


「わあ……! ウェディングドレスですか!? 女の子の憧れですよねっ、美玖先輩!」


「え、ええ……。そうね。……でも、なぜ私たちが? これは本来、男女のモデルが務めるものではなくて?」


 美玖は極めて冷静を装い、震える声を抑え込んで問い返した。

 だが、その脳内は既にパニック状態だった。

(ウェディングドレス!? 梨乃と一緒に!? そんなの、そんなの……仕事の皮を被った私利私欲の極みじゃない! 神様、これは何の試練なの!?)


「最近は『友情ウェディング』や『ソロウェディング』の需要も高いから、という編集部の建前……じゃなくて、意向よ。今のあなたたちの『ビジネス百合』としての人気を、ブライダル業界も見過ごせなくなったってわけ」


 佐々木は無表情に言い放ち、胃薬を口に放り込んだ。

 彼女の目は捉えていた。

 美玖の耳たぶが、みるみるうちに林檎のような真っ赤に染まっていくのを。そして梨乃の口角が、獲物を前にした獣のように微かに、不敵に吊り上がっているのを。


「いい、二人とも。これはあくまで『仕事』。ファンに『みくりのなら結婚してもおかしくない』と思わせるくらいの、完璧なプロの演技を期待しているわ。……ええ、演技をね」


「もちろんですわ、恵さん。プロとして、最高に美しい『友情パートナー』の形を表現してみせます」


 美玖は立ち上がり、凛とした声で宣言した。

 その足取りが、喜びを隠しきれずにわずかに浮き立っていることに、本人は全く気づいていなかった。


 ***


 一週間後。撮影スタジオは、白い生花とキャンドルの光に包まれ、本物のチャペルのような荘厳な雰囲気が作り出されていた。


「――桐島様、早乙女様、入られます!」


 スタッフの掛け声とともに、衣装部屋から二人が姿を現した。

 その瞬間、スタジオにいた全員が息を呑んだ。


 美玖は、気高く、どこまでも純白なシルクサテンのマーメイドドレス。

 梨乃は、ふわふわとしたチュールが幾重にも重なった、可憐なプリンセスドレス。

 並び立った二人は、まさに聖女と天使、奇跡が何重重ねにもなったかのような美しさだった。


「……あ、あの、美玖先輩」


 梨乃が、珍しく少しだけ頬を染めて、美玖を見上げた。


「とっても……綺麗です。本物の、お姫様みたい」


「……あ、あなたこそ。……その、悪くないわよ。梨乃」


 美玖は視線を逸らしながら答えたが、その内心は爆発寸前だった。


(梨乃! 梨乃が可愛いすぎ! 死ぬ! 今すぐ抱きしめて教会から連れ去りたい! これが仕事!? これが本当に仕事でいいの!? ありがとうございます神様、ブライダル業界!!)


 そんな二人の「隠しきれない熱量」を敏感に察知したのが、今回のカメラマン、神田氏だった。彼は業界内でも有名な、重度の『みくりの』ファン――通称『観測者』の一人である。


「いいよいいよ、二人とも! 最高です! じゃあ、まずは見つめ合ってみようか。……もっと近く! 鼻先が触れるくらい! そう、お互いの瞳に自分が映っているのを確認するような、独占欲溢れる感じで!」


 神田の要求は、撮影が進むにつれてエスカレートしていった。


「はい、次は美玖さんが梨乃さんの腰を引き寄せて! 梨乃さんは美玖さんの胸元に手を置いて、少しだけ甘えるように……そう! それです! ビジネスとか忘れて、魂で愛を囁き合って!」


 神田のシャッター音が鳴り止まない。

 美玖は「これは仕事だから、要求に応えるのがプロよ」と自分に言い聞かせながら、梨乃の細い腰を力強く抱き寄せた。


 梨乃の体温。甘い香水の匂い。至近距離で見つめてくる、潤んだ瞳。

 美玖の自制心は、一秒ごとに削り取られていく。


「……梨乃。……愛してるわ(仕事としてよ)」


 美玖は、自分でも驚くほど濃厚な囁きを、梨乃の耳元に落とした。

 梨乃がピクリと肩を揺らし、蕩けるような笑みを浮かべる。


「……私もだよ、美玖。……一生、私の隣にいてね(ビジネスパートナーとしてだよ?)」


 二人のやり取りを、神田は涙ながらにファインダーに収めていた。


((「()内の言い訳」が全部ダダ漏れ! 声に出てなくても空気で分かる! なに、その熱い視線は! その手の力加減は! 完全に『今から誓いのキスします』って顔!))


「最高、最高です! じゃあ、仕上げにいこう。……二人の指を絡めて、まるで指輪を交換しているようなポーズ。カメラは意識しなくていい。世界に二人しかいないと思って!」


 神田の「演出」という名の大号令。

 美玖は、梨乃の左手を取り、そっと自分の指を絡ませた。

 絡み合う指と指。

 熱い手のひらの感触。

 二人の意識は、もはやスタジオの照明の下にはなかった。


(梨乃……。いつか、本当に……。偽物じゃなくて、本物の指輪を、あなたのその指に……)


(美玖……。もう、隠すの疲れちゃった。このまま、みんなの前で……)


 二人の距離が、数ミリまで縮まる。

 触れ合う寸前の唇。

 静寂の中で、二人の荒い鼓動だけが重なり合う。


 ――ガシャン!!


 突如として、スタジオの隅で盛大な破裂音が響いた。


「……っ、失礼。手が滑ったわ」


 佐々木マネージャーが、手元のクリップボードを床に落としていた。

 彼女の額には青筋が浮かび、目は「それ以上やったら現場を止めるわよ」という強烈な警告を発していた。


 二人は電撃に打たれたように飛び離れた。

 美玖は慌ててドレスの裾を整え、梨乃は不自然なほど大きな声で笑い始めた。


「あ、あははっ! 今のポーズ、すっごくメロかったですよねっ、神田さん!」


「え、ええ……。究極の『友情』を表現するために、限界まで感情を追い込んでみたの。……恵さん、今の演技、どうだったかしら?」


 美玖は顔を真っ赤にしながら、佐々木に問いかけた。

 佐々木は無言で、胃薬を四錠、一気に水なしで飲み込んだ。


「……ええ。素晴らしい演技だったわ。演技すぎて、スタジオの気温が五度くらい上がった気がするもの。……スタッフ全員、今日から一週間は糖分を摂らなくて済みそうよ」


 佐々木は、背景で「尊い……尊すぎる……」と咽び泣いているアシスタントたちや、手を組み膝をついて魂が抜けたような顔で天井を見つめ続けている神田を指し示した。


 ***


 数時間後。撮影を終え、再び私服に戻った二人は、二人きりになっていた。


「ふぅ……。梨乃、今日の撮影はさすがに骨が折れたわね」


 美玖はソファに深く沈み込み、長い溜息をついた。

 だが、その手には、神田が「記念に」と渡してくれた、先ほどの抱き合う二人のポラロイド写真が、大事そうに握られていた。


「そうだね、美玖先輩。でも、私たちって本当にプロだよね。あんなに本気っぽい顔して、みんなを完璧に騙せちゃったんだもん!」


「……ええ。神田さんも、スタッフのみんなも、私たちの熱演に圧倒されていたわ。特に最後のポーズ……。あれで、私たちの『最強のビジネス百合』としての地位は揺るぎないものになったはずよ」


「うんうん! 誰も、私たちが一時間後に予約してるレストランで、本当の結婚指輪を買いに行く相談をするなんて、夢にも思わないだろうねっ♡」


 二人は顔を見合わせ、満足げに微笑んだ。

 自分たちの「完璧な演技」が、実はスタジオ中の全員から「本気の婚前写真」として受理されていたことなど、微塵も疑わずに。


 その頃、二人の所属事務所では。

 マネージャーの佐々木恵が、ソファの背に頭を預けて虚空を見つめていた。


「(……神田氏が、撮影したデータを全部事務所の『永久保存資料(実質結婚記念アルバム)』に回すって言ってたわよ……。編集長なんて、特集のタイトルを『みくりの入籍』に書き換えようか悩んでたわ……。隠せてると思っているのは、宇宙であなたたちだけなのよ……)」


 佐々木は、空になった胃薬の箱を握りつぶした。

 ブライダル特集号が発売された日、SNSで「公式が結婚発表」とサーバーがダウンする未来を確信しながら。



***


 今日もトップアイドル二人は、世界で一番甘い「秘密」を抱え、完璧(だと思い込んでいる)な隠蔽作戦という名のデートへと、足取り軽く向かっていく。


「ねえ、美玖先輩。さっきのドレス、どっちが似合ってた?」


「……どちらも。でも、私の隣にいる時のあなたが、一番綺麗だったわ」


「……あ、今の、ビジネスじゃないやつだ。みく姉、反則っ♡」


 楽屋から漏れる糖分過多な空気は、レストランのエアコンの除湿機能をもってしても、到底抑えきれるものではなかった。

次回、史上最強に目立つ“秘密のデート”。明日18:30。

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