第4話 私たちが「秘密」を誓った日(前編)
眩いフラッシュの光が、スタジオの白壁に跳ね返る。
カシャ、カシャと小気味よく響くシャッター音。その中心で、桐島美玖と早乙女梨乃は、まるで一枚の宗教画のように完璧な構図で寄り添っていた。
ファッション誌『アイドルの素顔』の巻頭グラビア撮影。
美玖は梨乃の肩にそっと手を添え、梨乃はその手に自分の頬を寄せる。
カメラマンが「最高!」「尊い!」と絶叫し、撮影データが更新されるたびにスタッフからため息が漏れた。
「はい、オッケーです! では、そのままインタビューに移りましょうか」
撮影が一段落し、二人はスタジオの隅に用意されたソファに座った。
目の前には、興奮を隠しきれない若い女性インタビュアーが、身を乗り出すようにしてレコーダーを構えている。
「お二人、本当に……本当にお綺麗です! 今日はファンの皆さんが最も気になっている『みくりの』の原点――お二人の運命的な出会いについて、詳しくお聞かせいただけますか?」
運命。
その甘美な言葉を聞いた瞬間、美玖は『氷の姫』の仮面の下で、わずかに口角を引き攣らせた。
そんな綺麗なものではなかった、と。
むしろそれは、静かな城壁をハンマーで叩き壊されるような、一方的な侵略行為だった。
「ふふ、運命だなんて。照れちゃいますねぇ♡」
隣で梨乃が、砂糖菓子を溶かしたような甘い声で応じる。
首を少し傾げ、潤んだ瞳でインタビュアーを見つめるその姿は、まさに『天使』そのものだ。
「私にとって美玖先輩との出会いは、本当にキラキラした物語の始まりだったんです。レッスン室のドアを開けたら、そこには孤独に、でも誰よりも美しく舞うお姫様がいて……。もう、一目で心を奪われちゃいましたっ!」
「まあ、梨乃ったら。そんな風に思ってくれていたのね。私も、あなたの真っ直ぐな瞳を見た瞬間、何か特別な予感がしたのを覚えているわ」
美玖もまた、淀みない流暢さで「正解」の回答を口にする。
インタビュアーが「素敵……!」「エモすぎます……!」とメモを取る。
その様子を横目で見ながら、美玖の意識は、埃っぽくてカビ臭い五年前の地下レッスン室へと飛んでいた。
***
五年前。
当時の桐島美玖は、大手芸能事務所の「期待の大型新人」とは名ばかりの、ただの意固地な研修生だった。
周囲は皆、ライバルであり敵。
馴れ合いは弱者の逃げ道。
誰よりも完璧に、誰よりも高く、誰よりも孤独に。
そう自分を追い込むことでしか、彼女はアイデンティティを保てなかった。
事務所の地下にある、第3レッスン室。
湿気で曇った鏡。擦り切れたリノリウムの床。
そこが美玖の聖域であり、独房だった。
「一、二、三。……四。……っ」
午後10時頃過ぎ。自主練習。
音楽もかけず、自分の呼吸音とシューズが床を擦る音だけが響く空間。
美玖は鏡の中の、疲れ果てた自分を睨みつけていた。
完璧ではない。まだ、理想には届かない。
その聖域を、突如として破る音が響いた。
ガラガラガラッ!!
仕切りのウォールカーテンが開け放たれ、一人の少女が飛び込んできた。
明るすぎる茶髪を無造作なポニーテールにし、大きな瞳をこれでもかと見開いている。
当時の梨乃は、まだ『天使』の皮を被りきれていない、ただの「元気すぎる迷子」のような風情だった。
「うわっ、すごい! ねえ、今のターン、めちゃくちゃ綺麗だね!」
挨拶も、自己紹介も、遠慮もない。
美玖は動きを止め、氷のような視線をその少女へ向けた。
「……何、勝手に入ってきているの? まだ私の予約時間よ」
「あ、ごめん! でも、外まで音が聞こえてたから。私、今日から研修生になった早乙女梨乃! 君のこと、さっき廊下で見かけてからずっと気になってたんだ!」
美玖は内心で「うるさい」と毒づいた。
自分の世界に、土足で、しかも笑顔で踏み込んでくる人間。
最も苦手なタイプだ。
「私は興味ないわ。出て行って。練習の邪魔よ」
「えーっ、そんなこと言わないでよ! ねえねえ、今のステップ、どうやるの? 私、ダンスは全然なんだけど、君みたいに踊れたら最高にかっこいいと思うんだ!」
「……教えるつもりはないわ」
「じゃあ、見て覚える! あ、邪魔しないように隅っこで見てるから! ストーカーみたいにずっと見てるからね!」
美玖は無視することに決めた。
こんな無作法な新人は、三日もすれば現実を知って辞めていくだろう。
そう高を括っていた。
だが、現実は違った。
翌日も、その翌日も。
美玖がレッスン室に行けば、必ずそこに梨乃がいた。
彼女は美玖の動きを、文字通り「獲物を狙う猛獣」のような目つきで観察し、休憩時間になれば必ず話しかけてくる。
「美玖ちゃん、今日のお昼、コンビニのサラダだけ? 力出ないよ? 私の唐揚げ一個あげる!」
「いらないわ。……それと、美玖ちゃんと呼ぶのはやめて。馴れれしい」
「じゃあ、みく姉! お姉ちゃんみたいにかっこいいから、みく姉ね!」
「…………勝手にしなさい」
鉄壁の城壁を誇っていた美玖の孤独は、梨乃という名の巨大な重機によって、毎日少しずつ削られていった。
他の研修生たちは、「あの子、美玖様に近づくなんて命知らずね」と遠巻きに見ていたが、梨乃だけはそんな空気を一向に気にしなかった。
美玖は次第に、この「うるさい存在」がいないと、逆に調子が狂う自分に気づき始めていた。
他の誰もが美玖の「完璧さ」を怖がり、遠ざかる中で。
梨乃だけが、何度も何度も、正面からぶつかってくる。
ふざけたような笑顔の裏に、時折混じる真剣な眼差し。
その瞳の奥にある、底知れない独占欲と熱意に、美玖は少しずつ、抗えなくなっていった。
そして運命が変わったのは、それから一ヶ月ほどが過ぎた、激しい雨の降る夜のことだった。
月末の評価テストを間近に控え、レッスン室の空気はこれまで以上に張り詰めていた。美玖は、新しい振り付けの、ある一つの高難易度のジャンプターンがどうしても納得できず、一人で居残り練習をしていた。
ザアアア、と窓ガラスを激しく叩きつける雨音。湿気を含んだ空気が、肌にまとわりつく。鏡の中の自分は、汗と焦りでぐちゃぐちゃだった。何度繰り返しても、着地がふらつく。完璧を信条とする美玖にとって、それは耐えがたい屈辱だった。
「…くそっ…!」
バランスを崩し、派手に床に尻餅をつく。冷たいリノリウムの床が、打ち付けた身体の熱を奪っていく。もう、立てない。心が、折れてしまいそうだった。
完璧な自分でなければ、ここにいる意味がない。才能がなければ、デビューなんて夢のまた夢だ。
その時、ずっと部屋の隅でストレッチをしていた梨乃が、静かに立ち上がって近づいてきた。その日の彼女は、いつものような騒がしさはなく、どこか真剣な雰囲気をまとっていた。
「ねえ、みく姉。今日はここまでにしよう。オーバーワークだよ」
「……あなたには関係ないことよ。……私は、完璧でなければならないの」
「……知ってる。だったらなおのことだよ。無理して脚を痛めでもしたら。それで最高の桐島美玖を見せられるの?」
梨乃が言うのは正論だった。
だからこそ美玖は反発してしまう。
「うるさい…あなたに何がわかるっていうの?」
「わかるよ。今のみく姉、すごく怖がってる顔してる。失敗するのが、怖いんでしょ?」
図星を突かれ、美玖は言葉に詰まった。梨乃は美玖の前にしゃがみこみ、その目をまっすぐに覗き込んできた。
「大丈夫。完璧じゃなくても、私はみく姉のダンス、大好きだよ」
「何を……」
「……でもさ、完璧に拘るからこそ、みく姉だよね。分かった。そこまで拘るなら――私がその足元、支えてあげる。その恐怖ごと、私が担いでいくから」
「……何を……言って?」
「約束する。私が美玖をセンターにする」
「あ、あなた……」
「美玖がこの先、世界のどこに居ても、どんな舞台に立っても。そして、世界一のセンターの隣には、絶対私がいる」
***
「……あ。すみません、感極まってしまって」
インタビュアーの声で、美玖は現代のスタジオへと引き戻された。
梨乃が「もう、美玖先輩ったら♡」と、インタビュー中にも関わらず美玖の腕に抱きついている。
「本当に、出会った時からずっと、私たちは強い絆で結ばれていたんです! ね、美玖先輩?」
「ええ、そうね。……今となっては、あなたがいない生活なんて考えられないわ」
美玖は慈愛に満ちた表情で梨乃の頭を撫でる。
ファンが見れば「尊さの供給過多」で倒れ伏すような光景。
だが、テーブルの下。
美玖の指先は、梨乃の指と深く、逃げられないほど強く絡められていた。
出会った時の梨乃は、迷子のリスなんかじゃなかった。
あれは、狙った獲物を絶対に逃さない、若き捕食者の目だった。
そして自分は、その視線に射抜かれた瞬間から、逃げることなんて諦めていたのだ。
(完璧に隠せているわね。私たちの、この泥臭くて執着に満ちた始まりなんて、誰も想像すらできないはず……)
美玖は内心でほくそ笑む。
だが、インタビュアーの背後で機材を片付けていたカメラマンは、ファインダー越しに二人の「手の繋ぎ方」を見て、静かにガッツポーズを作っていた。
((指の絡め方が尋常じゃないんだよなぁ……。角度的に見えてないと思ってるんだろうけど、今の、確実に『友情』の圧力じゃないぞ……。ごちそうさまです!))
世界で一番甘い「秘密」を共有しているつもりの二人。
その物語が、いかにして「恋人」という名の共犯関係へと変わっていったのか。
雨の夜のレッスン室で起きた、決定的な事件。
その記憶が、美玖の胸を再び熱く焦がしていく。
「インタビュー、ありがとうございました! 後半の『秘密の誓い』編も、ぜひ後日伺わせてください!」
「ええ。楽しみにしているわ」
美玖は完璧なアイドルスマイルで応じた。
その隣で、梨乃が美玖の耳元に、誰にも聞こえない声で囁く。
「……思い出しちゃった? あの夜のこと」
「……うるさい。インタビューに集中しなさい」
「ふふっ。真っ赤だよ、みく姉」
二人の本当の「運命」が動き出したあの日の話は、まだ、公の場では語られない。
それこそが、彼女たちにとっての、最大級の『秘匿事項』なのだから。
明日18:30、後編です。
あの日の言葉を、二人で形に。




