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第30話(最終話) 百合営業だと思った? 〜 一生ガチ恋人です♡


 陽光が柔らかに降り注ぐ、都内の広大な都立公園。

 週末の家族連れやカップルで賑わうその場所で、桐島美玖……改め、早乙女美玖は、漆黒のサングラスの奥で周囲の動向を鋭く観察していた。


「……梨乃。北北西三〇メートル地点に、不審な幼児一名。および、その背後に『観測者』の可能性を孕んだ保護者一名を確認。プランD、継続よ」


「あはは! みく姉、またやってる。……それ、ただの迷子とお母さんだよ?」


 隣でピクニックシートを広げる早乙女梨乃が、おかしそうに肩を揺らした。

 引退から一年。かつて世界を熱狂させたトップアイドルユニット『みくりの』の二人は、今、完璧な「一般人としての休日」を満喫していた。


(――ふふ。完璧だわ。今日の私は、あえて『地味な高級ブランド』で身を固めた、どこからどう見ても『少しだけ羽振りの良い若奥様』。梨乃も『清楚な新妻』という仮面を完璧に被りこなしている。これほどまでに街に溶け込んでいれば、私たちがかつての『氷の姫』と『天使』だなんて、誰も気づくはずがないわ!)


 美玖は、自らの内に構築された高度な欺瞞工作に、深い充足感を覚えていた。

 彼女たちの引退公演、あの国立スタジアムでの伝説の告白。世界中が「知ってた!」と合唱したあの日。だが、美玖の脳内では未だに「自分たちは高度な隠密活動によって平穏を勝ち取った勝者」という物語が、強固な真実として残存していた。


「……梨乃。お弁当の『展開』を開始してちょうだい。これはあくまで、地域社会の風景に溶け込むための、高度な擬態用アイテムよ」


「はいはい。……じゃあ、擬態用のおいなりさん、あーんしてあげる。……はい、美玖♡」


 梨乃が、美玖の口元においなりさんを差し出す。

 美玖は一瞬だけ周囲を警戒し、そして――ハムリと、幸せそうにそれを頬張った。


「……くっ。……美味しいわ。……さすが私の共同経営者ね。味覚による従業員わたしのモチベーション管理、120点よ」


「えへへ、よかった。……ねえ、美玖。幸せだね?」


 梨乃が、美玖の腕に自分の腕を絡め、その肩に頭を預ける。

 美玖は、サングラスの下で目を細め、優しく梨乃の頭を撫でた。


「ええ。……これこそが、私たちが五年間のビジネスの果てに手に入れた、最大のリターンだわ」


---


 だが。

 彼女たちの「半径五メートル」の外側では、美玖の想像を遥かに絶する「鉄壁の守護」が、静かに、そして熱狂的に展開されていた。


「(……全員、聞け。ターゲットが今、おいなりさんを『あーん』した。繰り返す、『あーん』だ!)」


 百メートル離れた植木鉢の陰で、一人の男が無線機スマートフォンに囁いた。

 彼は私服警備員ではない。有志で組織された『聖域守護団』……かつての熱狂的な「みくりの・ガチ勢」たちの成れの果てだ。


「(三号機、了解! 周辺の一般客への『さりげない誘導』を継続。彼女たちの視界に不快なノイズが入らないよう、完璧なエキストラを演じ続けろ!)」


「(……ああ。……今日も美玖様は『完璧に隠せている』と信じていらっしゃる。……その尊い勘違いを守り抜くこと。……それこそが、我々観測者の最後の聖戦だ……!)」


 公園内の家族連れの半分は、実は「二人の平和な日常を守るためにボランティアで集まったファン」であった。


 レジャーシートを広げた老夫婦は、実は事務所の元スタッフ。

 フリスビーで遊ぶ大学生たちは、実はファンサイトの管理人たち。

 

 世界中が、二人のために「知らないフリ」という最高に優しい嘘をつき続けていた。

 情報格差。

 美玖が「自分たちが世界を騙している」と信じている一方で、世界は「二人がそう信じていられるように、全力で騙されているフリ」をしていた。

 

 これこそが、彼女たちが五年間で築き上げた、究極の信頼関係ビジネスの答えだった。


---


 陽が傾き始め、公園がオレンジ色の柔らかな光に包まれる。

 美玖は、梨乃の手を引き、池のほとりにあるベンチへと腰掛けた。


「……梨乃。この一年、本当にいろいろなことがあったわね」


「うん。……毎日が、コンサートのアンコールみたいに楽しかったよ」


 美玖は、ふと自分の左手薬指で光る、あの日から一度も外していないリングを見つめた。

 

「……ねえ、梨乃。……あの日、国立スタジアムでカミングアウトした時。……皆様に『知ってた!』と言われた瞬間、私は……自分の人生で一番の、計算ミスを犯したのだと思ったわ」


「あはっ。……美玖、本気で凹んでたもんね」


「ええ。……でも、今なら分かる。……あの『知ってた!』は、私たちの嘘を許してくれた、世界で一番温かい承認だったのね」


 美玖は、梨乃の指に自分の指を深く絡ませた。


「……私たちは、ビジネスとして『百合営業』を始めた。……ファンの皆様に、最高の夢を見せるために。……でも、気づいた時には、私自身がその夢の虜になっていたの」


「美玖……」


「……『隠蔽』と『偽装』は終わったけれど、私たちの『活動』は一生終わらない。……これからも、世界で一番仲の良い、世界一の恋人同士でいましょう」


 美玖がサングラスを外した。

 そこには、かつての『氷の姫』の冷徹さは微塵もなく、ただ愛する人を一途に見つめる、一人の女性の瞳があった。


「梨乃。……あらためて、誓わせて。……私の人生という名の全株式を、あなたに永久譲渡するわ。……私を、一生あなたの側に置いてちょうだい」


 梨乃の瞳から、一筋の雫が零れ落ちる。

 彼女は、最高に輝く「天使の笑顔」で答えた。


「――っ。……当たり前だよ! ……美玖、大好き。……大好きだよぉ!!」


 梨乃が美玖の首に飛び込み、二人はベンチで強く抱き合った。

 

 周囲の『観測者』たちは、一斉に背を向け、あるいは空を見上げ、あるいは激しく鼻をすすりながら、「……いい天気だな!」「空にUFOがいるぞ!」と、涙ぐましいまでの努力で「見てないフリ」を敢行した。


 二人の唇が、ゆっくりと重なる。

 それは、ビジネスでも、演出でも、隠蔽でもない。

 ただ、この世界に実在する、たった一つの、絶対的な真実。


---


 キスを終え、美玖は少しだけ照れたように微笑んで、正面の空を見上げた。

 

「……ねえ、梨乃。……今、ふと思ったのだけれど」


「なあに? 美玖」


「……私たちの物語を、もし誰かが『ただの百合営業だ』なんて呼んでいたとしたら……。……その人に、最後にこう言ってあげたいわ」


 美玖は、かつての決め台詞を口にする時のように、不敵に、そして甘美に言い放った。


「百合営業だと思った? ──一生ガチ恋人です♡」


 その言葉が風に乗り、スタジアムよりもずっと小さな、しかし世界で一番幸せな広場に響き渡った。


 ***


 数分後。

 二人が繋いだ手をぶんぶんと振りながら、夕暮れの街へと帰っていく。

 

「あ! 美玖、今日の夕飯はハンバーグがいいな!」

「……ええ。……早乙女家の『最重要栄養摂取タスク』として、私が最高にジューシーな一品をプロデュースしてあげるわ」

「わーい! さすが美玖先輩っ♡」


 その後ろ姿を、数百人の観測者たちが、声を出さずに、万雷の拍手で見送っていた。


「(……お幸せに、伝説の二人。……我々の守護は、来週も、再来週も……彼女たちが孫の自慢話をする日まで、続くぞ……!)」


 マネージャーの佐々木恵は、公園の入り口で、空になった胃薬の箱をゴミ箱へ投げ捨てた。

 彼女の手元には、新しいタブレットがある。

 

 そこには、既にトレンド一位になった『#みくりの公園散歩(観測記録)』の文字と、幸せそうな二人の後姿を「偶然映り込んでしまった体」で撮影した、最高画質の写真が並んでいた。


「(……ああ。……本当に、手のかかるお馬鹿さんたち。……でも、……まあ、いいわ)」


 佐々木は、二人の後ろ姿に向かって、そっと呟いた。


「……お幸せに。……私の、最高のアイドルたち」


 夕焼けが、すべてをオレンジ色に包み込んでいく。

 嘘は真実になり、真実は伝説になった。

 二人の恋は、これからも世界一の「隠しきれない秘密」として、永遠に続いていく。



 世界は今日も、とても優しく暖かい。



――完――


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