第27話 披露宴ライブ、世界一幸せなアンコール
国立スタジアムの夜空を、七色の花火が次々と塗り替えていく。
先ほどまでの「引退コンサート」という名の、どこか切なさを孕んだ空気はすでに霧散していた。
今、この場所に満ちているのは、数万人の親族に見守られた、世界一巨大で、世界一騒がしい披露宴の熱気だった。
「……ちょ、ちょっと待ちなさい! 音響担当! このBGMは何!? 私たちのラストシングルを流しなさいと言ったはずよ!」
桐島美玖……もとい、今この瞬間に全人類の前で「ガチ恋人」であることを認めた美玖が、顔を真っ赤にして叫んだ。
スタジアムのスピーカーから鳴り響いているのは、荘厳なパイプオルガンの音色による『結婚行進曲』だった。
「あははっ! いいじゃない、美玖先輩。……ううん、美玖。スタッフさんもノリノリだねっ♡」
隣でケラケラと笑う梨乃の頭には、いつの間にかスタッフによって純白のウェディングベールがセットされていた。さらに、美玖の肩にも、お揃いの白いマントが強引に羽織らされる。
「演出の神田さん! これはどういうこと!? 台本にはこんな『演出』、一行も書いていなかったわ!」
美玖がステージ袖に向かって怒鳴ると、そこには涙で顔をぐちゃぐちゃにした演出家と、既に白旗を上げた状態のマネージャー、佐々木恵が立っていた。
佐々木は、拡声器を手に取ってステージへ声を飛ばす。
「いい、美玖さん! これは『業務命令』よ! 七万人の観客が『お祝儀』という名のチケット代を払って、今か今かと待ち構えているの! ここで最高のハッピーエンドを提示しないのは、ビジネス上の怠慢だわ!!」
「ビジネス上の怠慢!? そんな、……っ、卑怯だわ! その論理を使われたら、私は……!」
美玖は、自らの武器である「ビジネス論理」によって論破され、絶句した。
客席からは、もはや応援ではなく「新婦!」「お幸せに!」「美玖様、年貢の納め時だぞ!」という、親戚のおじさんのような野次が飛び交っている。
「……仕方ないわね。これも、ファンの皆様の心理的満足度を最大化させるための、高度なプロモーション戦略の一環よ。……そうでしょう、梨乃?」
美玖は、崩れかけたプライドを「戦略」という言葉で無理やり補強し、梨乃に向き直った。
梨乃は、ベールの下から潤んだ瞳で美玖を見つめ、そっとその手を握る。
「……うん。……ねえ、美玖。最後くらい、ビジネスの言い訳はなしにしよう?」
「……。……ええ。……そうね」
美玖は、マイクを両手で強く握りしめた。
スタジアムの巨大スクリーンに、二人の五年間の軌跡が、スローモーションで映し出される。
「皆様。……私たちは今日、アイドルを卒業します。……ですが、これは『終わり』ではありません。……私たち二人の、**『永久的な共同経営』**の始まりですわ!」
「「「「おめでとうぉぉぉぉぉ!!!」」」」
七万人の合唱が、国立の地を揺らす。
「私たちは明日、区役所という名の『登記所』に向かい、法的拘束力を伴うパートナーシップ契約を結びます。……これは、どちらかが裏切った際の損害賠償額が『一生分の愛』という、極めて過酷で、甘美な契約ですのよ。……文句あるかしら!?」
「「「「最高だぁぁぁぁぁ!!!」」」」
美玖の、照れ隠し全開の「入籍宣言」。
ファンたちは、もはや爆笑しながら咽び泣いていた。
こんなにも美しく、こんなにも「知ってた」感に溢れた告白が、かつてアイドル史にあっただろうか。
そして、コンサートは真のクライマックスへと突入する。
アンコールのラスト、二人が歌うのは、この日のために書き下ろされた(二人の惚気そのものの)新曲。
曲の終盤、二人がステージ中央で向かい合う。
照明がゆっくりと落ち、二人の周囲だけが、まばゆいばかりのホワイト・スポットに包まれた。
「……梨乃。……いい、これが最後の『業務』よ」
「……。……指示を、どうぞ。……美玖様?」
梨乃が、悪戯っぽく微笑む。
美玖は、震える手で梨乃の腰を引き寄せ、耳元で囁いた。
「……『誓いの接吻』を。……これは、観客の皆様の期待に応え、今後のブランドイメージを盤石なものにするための、不可避のプロセスよ。……拒否権は認めないわ」
「……。……あは。……そんなこと言われなくても、するつもりだったよ」
梨乃が、美玖の首筋に腕を回す。
七万人の呼吸が、止まった。
美玖は、一瞬だけカメラを――自分たちを守り続けてくれた「共犯者」たちを――見つめ、そして静かに目を閉じた。
二人の唇が、吸い寄せられるように重なる。
それは、これまでの「ビジネス百合」としての寸止めではない。
互いの熱を感じ、互いの存在を確かめ合う、剥き出しの真実の接吻。
一秒、二秒……。
時間は永遠に引き延ばされたかのように感じられた。
パシィィィィィン!!
ステージから放たれた数万本の銀テープが、星屑のように二人を祝福し、スタジアムは今日一番の、いや、観測史上最大の歓喜の渦に叩き落とされた。
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「……お、お疲れ様でしたわ!」
唇を離した美玖は、もはや湯気が出るほど顔を赤くし、マイクを握る手で顔を隠した。
「……美玖。……最高の、お仕事だったね」
梨乃は、頬を染めながらも、満足げに笑った。
ステージ袖。
マネージャーの佐々木は、空になった胃薬の箱を放り投げ、ようやく本当の笑顔を見せた。
「(……ああ。……本当に、お馬鹿さんな二人。……世界中を騙しているつもりで、世界中に祝福されるなんて……)」
佐々木は、スタッフたちに合図を送る。
スタジアム中のモニターに、巨大な文字が浮かび上がった。
『みくりの 完結。――二人の愛は、ここから伝説へ』
二人は、繋いだ手を高く掲げた。
指の間を深く絡ませ、十カラットの輝きを全世界に晒しながら。
「私たちは、世界一幸せなアイドルでした!」
「これからは、世界一幸せな夫婦になります!」
七万人の拍手に見送られながら、二人は奈落へと消えていく。
アイドル『みくりの』の幕は、こうして、これ以上ないほどの多幸感と共に、静かに、そして熱烈に下ろされた。
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楽屋へと戻る通路。
人影がなくなった瞬間、美玖は梨乃を壁に押し当てた。
「……美玖?」
「……。……さっきの『業務』、まだ足りないわ。……ステージ上では、観客の視線というノイズが混ざっていたもの」
「……。……あは。……じゃあ、今度こそ『非公開の残業』、しちゃう?」
「ええ。……徹底的に、……納得いくまでね」
二人の唇が、再び重なる。
今度は、誰の目も、誰のカメラも介さない、二人だけの真実の味。
伝説は終わり、日常が始まる。
世界で一番嘘が下手な「隠蔽」の物語は、こうして、最高に甘美な「公認」へと昇華されたのであった。
翌朝。
ワイドショーのトップニュースは、もちろん「みくりの、スタジアムで実質的な結婚式を挙行!」という文字で埋め尽くされていたが、美玖はそれを「完璧なビジネスイメージの定着に成功した」と、鼻高々に語ったという。
佐々木マネージャーの胃薬が、ついに必要なくなる日は、まだ、もう少しだけ先のことになりそうだった。




