第23話 答え合わせ、マネージャーの独白
事務所の最上階、関係者以外立ち入り禁止の会議室。
重厚なオーク材のテーブルを挟んで、桐島美玖と早乙女梨乃は、かつてないほど「達成感」に満ちた表情で座っていた。
「……恵さん。呼び出しの理由は分かっているわ。昨日のMV撮影、そして先日の緊急生放送。私たちの『ビジネス百合』としての完成度が、ついに事務所の想定を上回ってしまった……。その事後処理の相談ね?」
美玖は優雅に足を組み、自信たっぷりに言った。
隣では、梨乃が「えへへ、ちょっとやりすぎちゃったかなぁ?」と、計算された可愛さで首をかしげている。
二人の正面。
マネージャーの佐々木恵は、三日三晩徹夜したような顔で、一冊の分厚いファイルをテーブルに置いた。
表紙には、殴り書きでこう記されている。
【重要機密:『みくりの』隠蔽失敗記録および観測データ総覧】
「……美玖さん。梨乃。……いい、落ち着いて聞いて。……あなたたち、自分たちが『完璧に隠し通してきた』って、本気で思っているの?」
「ええ。当然よ。……ファンの皆様は私たちの圧倒的なプロ意識に平伏し、私たちが裏で『法的拘束力を伴う永久業務契約(入籍)』の準備を進めているなんて、一ミリも気づいていないわ。……そうでしょう?」
美玖の問いに、佐々木は深いため息をつき、ファイルを開いた。
■ 隠蔽ミス記録その1:『巴里の夜、バルコニーの真実』
「まずはこれ。去年のパリ公演、ホテルのバルコニーでの一件よ。……あなたたち『誰も見ていない』って思ってたみたいだけど」
「ええ。周囲の視線は完璧に遮断していたわ。……多少、開放感に負けて情熱的なビジネス・スキンシップを交わしたけれど、あれは異国の空気がさせた演出よ」
「……その『演出』、向かいのビルにいたフランス人のファン五〇人が、望遠レンズでフルHD撮影してたわよ」
佐々木がプリントアウトされた写真を提示する。
そこには、月光を浴びながら、もはや「挨拶」の一言では説明がつかない角度で唇を重ねる二人の姿が、鮮明に映し出されていた。
「――ッ!? こ、これは……高度なAI生成写真ではなくて!?」
「本物よ。……でも、そのファンたちは何て言ったと思う? 『この尊い瞬間を汚すような真似(拡散)はさせない。これは我々だけで守るべき、聖なる秘密だ』って。……SNSに流れないように、現地のファン同士で検閲体制が敷かれたのよ」
「……観測者たちが……私たちを守るために……検閲を……?」
美玖の論理回路が、不協和音を立て始めた。
■ 隠蔽ミス記録その2:『十カラットの業務連絡』
「次はこれ。昨日のMV撮影で、美玖さんがはめてた指輪。……あれ、私物の婚約指輪よね?」
「……え、ええ。……でも、あれは『役作りのための小道具』として私が個人的に調達したもので……」
「宝石店の領収書、共有経費のファイルに紛れ込んでたわよ。……しかも『早乙女美玖』名義のオーダーメイド。……経理担当の子、それを見て一晩泣き明かしてから、『これは福利厚生費として処理します(ニッコリ)』って言ってたわ」
「……経理の……福利厚生……」
梨乃が、初めて「あれ、もしかして」という顔で美玖の袖を掴んだ。
■ 隠蔽ミス記録その3:『生放送中のテレパシー』
「極めつけは、先日の引退発表生放送。……あなたたち、マイクがオフだと思って、最後の方で何か囁き合ってたわよね?」
「ええ。……『これから新居のカーテンを買いに行きましょう』という、事務的な業務連絡を少しだけ……。マイクは完璧に切っていたはずよ」
「音声スタッフが、二人の吐息だけを抽出してハイレゾ音源化してたわ。……それを聴いたスタッフ一同、静かに手を合わせて合掌してた。……『お幸せに』って」
「「…………!!」」
■ 答え合わせ
美玖は、戦慄していた。
自分たちが「騙している」と思っていた世界は、実際には「騙されたふりをして、二人を温かく見守る」という、巨大なゆりかごのような場所だったのだ。
「……恵さん。……じゃあ、世間の人々が『みくりのはガチ』と騒いでいるのは……」
「言葉のほんとうの意味で『ガチであること』を前提とした、様式美としてのコールアンドレスポンスよ。……あなたたちが隠そうとすればするほど、ファンは『ああ、今日も二人は愛を守るために嘘をついている、健気だ……!』って、より一層結束を強めるの。……いい? この五年間、あなたたちの『秘密』を守ってきたのは、他ならぬファンとスタッフの『愛』なのよ」
佐々木は、眼鏡を外して目元を拭った。
「……正直、マネージャーとして胃に穴が何個開いたか分からない。……でもね。……あんなに楽しそうに、必死に『ビジネス』のフリをして愛し合っているあなたたちを見て、誰が水を差せるっていうの? ……あなたたちが幸せそうに笑うことが、私たち裏方にとっても、ファンの子たちにとっても、何よりの『喜び』であり『誇り』だったのよ」
静寂が、会議室を支配した。
美玖の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは悔しさではなく、あまりにも大きな愛情に包まれていたことに気づいた、驚愕と感謝の涙だった。
「……。……そう、だったのね。……私たちは、孤高の聖戦を戦っているつもりだったけれど……。実際には、世界中が私たちの『味方』だったというわけね」
「そうよ。……だから美玖さん、梨乃。……最後の大舞台、国立スタジアムのコンサート。……もう、何も怖がることはないわ。……あなたたちが何を言っても、何をしても、そこには祝福しかないんだから」
美玖はしばらく机を見つめ、二人の「共鳴用デバイス」という名の婚約指輪に目を落とし、それから立ち上がって、梨乃の手を強く引いた。
今度は、カメラの死角でも、ビジネスの仮面の下でもない。
ただ一人の人間として、誇らしげに。
「……恵さん。……今日まで私たちを見守り、泥を被り、そして私たちの拙い嘘に付き合ってくれて……本当に、ありがとうございました」
美玖が、深く、深く頭を下げた。
梨乃も、いつもの営業用ではない、本物の、最高に輝く笑顔で続いた。
「恵さん、大好き! ……私たち、世界で一番幸せな引退をしてみせるよ!」
「……ええ。……見届けさせてもらうわよ。……私の、最高に手のかかる『お馬鹿な恋人たち』」
佐々木は、ようやく少しだけ、憑き物が落ちたような笑顔を見せた。
二人が会議室を出た後、佐々木はスマホを取り出した。
チャットアプリには、スタッフ専用の「聖域防衛グループ」という名のコミュニティが表示されている。
『佐々木:本人たちに、一部の事実を伝達。作戦は最終フェーズへ。』
『音響:了解。スタジアムのメインマイク、彼女たちのささやきを五万人全員に届ける準備、完了しています。』
『衣装:誓いのキス用のベール、衣装の裾に完璧に仕込みました。』
『ファン代表:ご祝儀の準備、および「知ってた!」コールの練習、全支部で完了しています。』
佐々木は、空になった胃薬の箱をゴミ箱へ投げ捨てた。
「(……さあ。世界一盛大な『隠蔽の崩壊』を始めましょうか)」




